花の夢枕 9

『こんなことを言うと、笑われるかもしれないけれど。座敷童様は、私の恨んでいるのかもしれないわ。私がもし、あのとき遠野を離れなかったなら、座敷童様は、まだあの家にいられたかもしれないのに』

 あのとき、ユメコ先輩は目を伏せた。銀色の長い睫毛が、重くしなだれている。けれど、本当にそう? あの夢の中で感じた感情は、本当にそんなもの? 

『――ユメコ先輩、お願いがあります』

 それは違う。確信を持って断言できる。それは――。

『私を、遠野へ、連れて行ってください』


 ああ――そうだ。確かにこの場所だ。リフォームで造りが変わってしまって、判別するのに時間がかかってしまったけれど、夢で見たのは確かにこの場所だ。私と、そしてあの子は、ここから階段を駆け上がっていった。

 それは、青い和服の少女が教えてくれた。

 それなら、私は聲を寄せよう。この家に満ちた冥府の空気は、死者の聲を語るのに、もう、十分だ。


『――こっちにおいで』


 それは、死者の言葉だ。あの人が、ユメコ先輩にどうしても伝えたかった言葉。

『こっちにおいで――』

 もうそこにかつて存在した古い階段はなかった。だから、私は見上げることしかできない。座敷童が駆け上がっていった、あの階段の続く先――。そこは。

「――あそこ、は」

 ユメコ先輩が、何かに気づいた。それは、ユメコ先輩が自責の念から閉ざしてしまった、夢の続き――。

「お! 二人ともそうどうしたんだ!? こんなところに突っ立って!」

「わ、あんなところに、二階の壁に扉がある。どうやって入るんだろう?」

「納屋に脚立があったわ。あかりちゃん、一緒に運んでくれる?」

「まかせとけ!」

「わ、私も手伝います~」

 一瞬にして、家の中が騒がしくなった。私も、ユメコ先輩も、目を白黒させている。

「脚立、持ってきた!」

「登ってみましょう」

「せ、せんぱい、あぶないですよ~」

 あんずちゃんが止めるのも構わず、ことね先輩は脚立を登っていく。

「この扉、外から鍵がかけられてるわ。外しちゃいましょう」

「ええっそんな勝手にまずいですよ~」

「そうだ~。やれやれ~」

 そう言って、ことね先輩は、木の板でこしらえられた、簡素な閂に手をかけて――。


「いいわよね? ユメコちゃん?」


 そう言って、にこりと微笑んだ。ユメコ先輩は――。


「はいっ」


 銀の睫毛を輝かせながら、晴れやかな表情で、そう答えた。

 閂が外され、扉は開け放たれた。その瞬間、まるで透明な冷たい深い深い深層の井戸水のような冷気が家中を満たし、遠野に溢れていくのを感じた。それは、冥府の冷たさの中に、ほのかな温かさを湛えた、不思議な温度。

 ことね先輩が脚立を降りる。まず最初にその部屋に入るべきは、ユメコ先輩だからだ。

 ユメコ先輩がまず脚立を上り、ことね先輩に促され私が続いた。不安定な脚立は、みんなが支えてくれていた。おずおずと入ったその部屋は、埃だらけで、きっと昔と何一つ変わらない、物置部屋。

 そこに、七色の糸を巻いて作られた、綺麗な手毬が一つ落ちている。

 ――りん、と。

 その手毬は、ひとりでに、嬉しそうに転がった。

 ユメコ先輩は、そっとその手毬を抱いた。


「――ごめんなさい。ごめんなさい」


「――私、勇気がなくて、早とちりで、本当にごめんなさい。――ごめんなさい」 

 ユメコ先輩の瞳からあふれた涙は、銀色の睫毛を伝い、埃の積もった古い木の床を濡らしていった。

 大丈夫。座敷童は、ユメコ先輩の横で、嬉しそうに笑っているよ。

 ――それなら、おらの役目もおしまいだ。 

『――ユメコさ、こんなめんこい娘っこのともだぢあまた、でぇじにするんだぞ』

 まるで舞い散るひとひらの桜の花弁のように。

 ユメコ先輩のおばあさんの霊は、私の体から去っていったのである。



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