エピローグ
夕方になって、ユメコ先輩のお父さんと、お母さんと、そして妹さんが帰ってきた。
途端、ユメコ先輩は、あの隠し部屋へ梯子をつけて、即刻外鍵をなくすようにと掛け合った。普段は見せることのないユメコ先輩の必死な様子に、とうとうご両親は折れ、納屋に眠っていた古い梯子を設置して、そして木の閂は外側でなく、内側に設置することになった。
ユメコ先輩のご両親の好意で、せっかく東京から来たのだし、泊まっていきなさいということになった。遠野名物のひっつみ汁や、けいらんや、川魚や山菜まで振る舞ってくれて、夜はさながら宴会模様を呈していた。
「あんだ、東京からわざわざぎてぐれで、ごんなにうれしいごとはねえ。よぐみりゃ、たいそうなおどこまえじゃねぇが。ユメゴの婿さなっで、こっちさ引っ越してごねぇか!」
「ええと。ユメコちゃんはまだ高校生ですし……」
「いやいや、あたしらもう十六のごろには、夫婦になったもんでよぉ」
「だ、ダメですよう、ユメコ先輩のお父さん、お母さん。結婚はその……本人同士で決めるものだと思います」
久しぶりにお酒の相手ができたと喜んだ、ユメコ先輩のお父さんに絡まれたお兄ちゃんはなんだか大変なことになっていて、それにどうしてかあんずちゃんが付き合っていた。
古い着物を貸してもらったことね先輩と西之先輩は何やら楽しそうにユメコ先輩の妹さんと話をしていて、囲炉裏にはいつぶりかの火が灯り、自在鉤に下がった鍋にからは湯気がたち、弁慶には焼けた魚が暖められている。
こんな暮らしが、きっとユメコ先輩は好きだったんだ。
――ふと見まわすと、ユメコ先輩がいなかった。どこへ行ったのだろう。
ふと。ことね先輩が目で合図をする。どうやら入り口の方を指しているらしい。そして、声に出さずに、ことね先輩は行っておいで、と言った。私はみんなに気づかれないように立ち上がると、トイレに行くふりをして、靴をはいて玄関を出た。
月明かりに照らされた屋敷へ続く道は思ったよりも明るく、足元の石ころさえ鮮明に見て取ることができた。その道の続く先、中ほどの曲がり角の石垣に、ユメコ先輩は腰を下ろしていた。その傍らには七色の糸で模られた手毬があって、座敷童が遊んでいて、ユメコ先輩の背の大桜の木だけ、ほかの桜が三分咲きであるにも関わらず満開である。
ユメコ先輩が、私に気づいて、にこりと笑った。
私は、ユメコ先輩と同じように、石垣に上り腰を下ろした。
「――こよりちゃん、ありがとうね」
ユメコ先輩は、月と、満開の桜を見上げながら、呟いた。
「――私ね。きっと一人じゃいつまでたっても気づけなかった。ううん。きっと私は現実を見ないふりしていたの。おばあさまと、座敷童様が、あんなにたくさん夢を見せてくれていたのに。桜の舞い散る頃に戻ってくるって、約束していたのに――ね」
ふわふわの銀の髪と、銀の睫毛が、月明かりと風に揺られてふわりと揺れた。座敷童が、心配そうに、ユメコ先輩を覗き込む。
――きっと、そうじゃない。たぶん、まだ伝えきれていないことがある。
私は、あのとき感じた冷たくて、でも暖かな冥府の温度を思い出す。この大桜を満開にして見せた、あの風を。
きっとそれは、ユメコ先輩を責めているわけじゃないんだ。
「ユメコ先輩、おばあさんは、きっと嬉しかったんだと思います。ユメコ先輩のために、必死になってくれる友達がいて。はるばる遠野まで来てくれる人たちがいて。
――座敷童だって、きっとそう思っていると思います。だから、おばあさんは、あんなふうに安心して、いったんだと思います」
あの時のおばあさんの気持ち、どうしたらユメコ先輩に届くだろう。どうしたらユメコ先輩にわかってもらえるだろう。
私は、くいと、黒縁の眼鏡の位置を正す。
「だから、笑って下さい。それから、眠くなるまで、たくさんお話をしましょうよ。話疲れて、寝てしまうまで。だってほら、私たち、友達、なんですから」
そうだ。だから、おばあさんは安心していくことができて、大桜は満開になって、この地に温かい風が吹いていて、座敷童は笑っている。――あとは、ユメコ先輩次第なのだ。
ユメコ先輩は、月明かりと、満開の桜を見上げている。銀色の髪をきらめかせ、私に向けて微笑んだ。
「――うん。そうだね。じゃあ、囲炉裏の広間に戻ろう。みんなにお話ししたい話が、たくさんあるの」
座敷童も、きっと笑っている。
「――今夜はなんだか、良い夢が見れそう」
P.S
ユメコ先輩が都会での出来事を書き留めた手帳は、遠野の家に置いておいたはずなのに、帰り道私の鞄の中から見つかることになる。
その最後のページには、へたくそな字で、こう書かれていた。
――またおいで。と。
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