花の夢枕 7

 関東に比べて、北国の空気は冷たい。それが昔、雪女が出るなんて話を書かれた遠野であれば尚更だ。

 空気の冷たさは、そのまま桜の開花模様にも現れていて、東京の桜は散り際だけれど、遠野の桜はまだ三分咲き、満開には程遠い状態だ。はるばる乗ってきたセレナを降りて、見上げるは、丘の上のリフォームされた、小奇麗な曲り屋――。あれが、ユメコの実家。

 あたしたちは、はるばる岩手県は遠野に来ていた。その原因は、向こう見ずな後輩の一言に起因する。

『――ユメコ先輩。お願いがあります』

 あのとき、黒縁の眼鏡を正しながら、砂川は言った。


『私を、遠野に、連れて行ってください』


 それを美術文芸部の扉の前で聞いていたあたしは、思わず勢いよく戸を開けた。おそらくそれはあたしの望みでもあったから。

『いいねいいねぇ! 遠野! 卒業旅行みたいじゃん! あたしも一回行ってみたかったんだよ!』

 中の三人があっけにとられいるのがわかる。もうひと押しだ。するとそこに、ちょうどいい塩梅にもう一人の後輩、日下部が現れた。このチャンスを生かさない手はない。

『な! 日下部! あんたも遠野行きたいよな?』

 日下部の両肩をむんずと掴んで、あたしは言った。突然のことに、日下部は目を白黒させている。

『え? ええ? 行きたいかと言われれば、行きたいですけど、いきなりなんですかぁ?』

『そうだよな! 行きたいよな? 何だったら砂川のお兄さんにでも保護者代わりについてきてもらえばいいじゃん! そうだよそうしよう!』

『ええっ!? こよりちゃんのお兄さんとりょ、旅行!? それはでも早すぎ……でも、でもでも、ついてきてもらえたら、私たちだけじゃ心配だし……』

『あ、あんずちゃん……?』


 結局、免許を持っている柳沢先輩がどこかから車を調達してくれて、砂川がものすごい剣幕で電話でまくしたてたところお兄さんは折れて、それからあたしたちはめいめいに、友達のうちに泊まりに行く(別に嘘ではない)という理由を作り、その日のうちに遠野へ出発したのだった。そのとき、車を持って来たことね先輩のお付きの初老の男性が、『どうぞよろしくお願いしますね』と一つ挨拶をしていった。たまにことね先輩と一緒にいるのを見かける男性だ。ことね先輩はこの執事のような初老の男性のせいで、どこかのお嬢様なのではないかという噂が広まっている。

 メンバーは、砂川のお兄さんに、砂川、柳沢先輩、ユメコ、日下部と、あたし。車で、しかも準備が終わったのが夜九時とかだったから、走りながらとパーキングエリアで一泊して、到着は朝になってしまったけど。

 まあ、走りながらとパーキングエリアで一泊とはいえ、どこでも寝れるユメコに、気合十分の砂川。あたしはちょっと肩が凝ったかもしれない程度で、日下部は少し眠そうだけれど、運転してきた砂川のお兄さんと柳沢先輩は、疲れもなさそうにひょうひょうとしていた。

「すいませんね。妹がわがまま言ってしまって。僕が運転しなければならないところ、途中代わってもらったりもして……」

 ことね先輩に、砂川のお兄さんはすまなそうに頭を下げた。

「いいえ。こよりちゃんには、いつも助けてもらっています。今回の旅行だって、部活に入ったばかりなのに、私たちのために企画してくれて、本当はとても嬉しいんです」

 ふわりと春風にさらさらの黒髪を揺らしながら、柳沢先輩は言った。どこから見ても完璧美人である。この間まで制服を着ていたから高校生に見えたけど、今ではすっかり大人の女性に見える。

「そうですか。ほんとは僕、あいつにこんなに友達がいるなんて信じられなかったんです。あんずちゃん以外の友人の話なんて、聞いたことがなかったから……。これからも、あいつと仲良くしてやってください」

「こよりちゃんは、大事な友達ですよ。お兄さんも、今回のこと、あまり叱らないでいてくださいね。それから、またこういうことがあったら、協力してくださいますと嬉しいです。私一人では、少し荷が重すぎますから……」

 これはこれで、いい雰囲気にも見えなくもない。が。

 おっと。隣を見ると、日下部がトリプルリーチのビンゴを五連続で外しあとに、ワンチャンスで上がった人を見たような複雑な表情で、二人を見ていた。いや、おそらくそんなことは、決してないと思うぞ……? 

「あ。僕、妹にせがまれたので、道の駅で飲み物と食べ物買ってきますね」

 砂川のお兄さんは、そういってセレナに乗り込むと、道の駅の方に向かっていった。

 さて、向こうはもうカタがついている頃だろうか。私たちも遅れて、ユメコの実家の曲り屋に向かう。



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