花の夢枕 5
私が少し落ち着くと、柳沢先輩――ことね先輩は、私にホットココアを入れてくれた。あの一件の後、ことね先輩からは、柳沢でなく、ことねでいいと言われていて、それなら私もこよりと呼んでほしいと進言したのである。
ことね先輩は、相変わらずきれいで大人だった。満開の桜の木の下の一件でも、泣きじゃくる桜庭先輩を抱いて、落ち着くまで背中をさすってあげていたように思う。今回は、私がその役になってしまった。
「こよりちゃん、落ち着いた?」
紅茶を一口含みながら、ことね先輩はにこりと笑った。私は、思わぬ失態を見せてしまった恥ずかしさに、眼鏡の位置をくいっと戻した。
「あ。はい。私は。――ユメコ先輩は?」
「寝てるわ。ときおり何かをつぶやいているみたいだけれど……」
そのつぶやきは、私も耳にしていた。昨日と、そして――今日夢の中で。
「――ことね先輩。質問があります」
「うん。私で答えていいものであれば、何でも」
ことね先輩は、そう言って微笑んでくれる。それなら、きっと大抵のことは教えてくれるだろう。私は、勇気を出して聞いてみることにした。
「ユメコ先輩がああいうふうにすぐに寝てしまうのは、やはり、ナルコレプシーなのでしょうか」
「そうね。それは本人も知っているわ。それ用の薬を処方されて治療中だと聞いているわ」
やはりか。お兄ちゃんや、あんずちゃんの読みは当たっていた。――それなら。
「その症状は、最近になってその、悪化しているのでしょうか」
「おそらく、その通りよ。冬までは大したことはなかったけれど、春が近づくにつれて、ユメコちゃんが部室の隅で寝ているのを見かけるのが多くなったわ。原因は、わからないけれど……」
私は、くいっと眼鏡の位置を直した。
「ユメコちゃんは、明晰夢――いわゆる、Lucid dreamingで、夢見を行える。死者の夢を見ることができる、そういう子なの」
「でも、ユメコちゃんが最近見ている夢は、私にもわからないの。だから」
「ことね先輩、それは本当ですか?」
おそらく、それは嘘だと思ったからだ。
「ことね先輩は、ことね先輩なら、何かを知っているんじゃないですか?」
おそらく、ことね先輩の中に思いはある。でもそれが、確信に変わらないから、ことね先輩は行動できずにいる。
「さっき私は、ユメコ先輩の中を見ました。そのとき、どうしてももどかしくて、悲しくて、たまらない気持ちになったんです。そしてユメコ先輩は、もっと寂しい気持ちでいる。あんな悲しい夢を、見るのも、見させるのも。私は、嫌なんです」
ことね先輩は、少し困ったような笑みを浮かべた。あれは卒業式前のあの時、私に見せたあの表情。
「でももしかしたら、ユメコちゃんは、もう二度とその夢を見れなくなるかもしれないわ」
それでもいいの? とことね先輩は言った。私の心の中と、過去を見透かすようにして。
それは。
確かに、そうかもしれない。私は酷いことをしようとしているのかもしれない。もしかしたら、ユメコ先輩の大事なものを無視してまで。
それでも。それでも、私は。
「ことね先輩。
こんなこと言うと、笑われるかもしれません。
でも、さっき見た夢の中で、私が手を繋いだあの子は泣いていたんです。
ユメコ先輩に何かを伝えたくて、泣いていたんです。
だから私は、あの子のために何かしたいんです。
どうしてだかはわからないですけど、そのほうがあの子にとって幸せだと思うから……」
ことね先輩は、まぶしい西日を見るように私を見た。そうして、ふうっとため息をつくと、仕方ないというように、困ったように笑った。
「そうね。でもそれは、私じゃなくて、きっと彼女に直接聞いたほうがいいんじゃないかしら……」
振り返ったそこには、眠い目をこすりながら確かに私のブレザーを肩に羽織った、ユメコ先輩が立っていた。
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