花の夢枕 4

 narcolepsy《ナルコレプシー》

 ナルコレプシーとは、日中において場所や状況を選ばず起こる強い眠気の発作を主な症状とする脳疾患(睡眠障害)である。

 笑い、喜び、怒りなどの感情が誘因となる情動脱力発作カタプレキシーを伴う患者も多いが、その症状が無い患者もいる。

 通常であればノンレム期を経た後で発生するレム睡眠が入眠直後に発生してしまい、また入眠時レム睡眠期SOREMPが出現するため、入眠時に金縛り・幻覚・幻聴の症状が発生する。更に夜間はレム睡眠とノンレム睡眠の切り替わりで中途覚醒を起こすため、目は覚めても体を動かそうとする脳の一部が眠っていることにより金縛りを体験することになる。入眠後から起床時までは、そのような状況のため概して睡眠が浅くなりやすくなり、夢を見る回数が増える。ほとんどが悪夢で、現実とリアルな夢の境目が分からずにうなされる場合が多い。

 

 私は、スマホのブラウザを閉じた。昨日お兄ちゃんから教えてもらって、調べて何度も読み返したのだ。もちろん、遠野物語も少し読んだけれど。

 私は調子が悪いからと言って、午後の授業を一時間早く切り上げた。どうせ学級活動とかだから、休んでしまってもさして問題はないだろう。保健室には早退しますと言って、そのまま美術文芸部の部室に来た。私の予感が確かなら、おそらく。

 私は、まだ誰もいるはずのない美術文芸部部室の戸を開いた。

 ふわりと風が流れて、開け放たれた窓のカーテンが舞っている。私以外の誰かが先に来ている証拠だ。

 私は、書架の間から、部室の奥へと進んでいく。

 窓から垂直に並ぶ書架を左へ折れると、立ち並ぶ書架の間を縫って奥に進むことができる。窓際には作業用の机が配されている。さらに奥へ。

 一つ目、二つ目、三つ目――。とりあえず、今のところ誰もいない。

 コツ、コツ、とリノリウムの床をローファーの踵が叩く。その音がいくつか続いた後、最後の書架に行き当たる。

 窓際を見遣ると、ふわりとたなびくカーテンの袂、西日にひそかに照らし出された一角に、やはり、彼女は眠っていたのである。

「ユメコ先輩……」

 ユメコ先輩の足元には、取り落としたように一冊の本が落ちていた。『遠野物語』。私が西之先輩から勧めてもらった本である。

 落ちている本を拾い上げ、開かれていたページを確認してみる。私の持っている文庫本とは違うけれど、項番が振ってあるためどこを読めばいいかはわかる。――八。サムトの婆。


『黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々に同じ』


 その項の冒頭には、そう記してあった。ユメコ先輩は、どうしてこのページを。

 私は、そっと本を閉じ、ユメコ先輩の傍らに置いた。

 本を取り落とすほど、急激に眠ってしまうということは、おそらくユメコ先輩はナルコレプシーなのだろう。そして、それによって迷惑をかけるのを避けるために、部室に来て一人眠っているに違いない。

 それにしても、窓を開けっぱなしでは、ユメコ先輩が風邪をひいてしまう。

 私は、くいっとずれた眼鏡を直した。

 調子を崩されては、それはそれで困る。私はブレザーを脱ぎ、ユメコ先輩の肩にかけようとした。そして。たまたまユメコ先輩の肩に触れた、そのときである。

 

 ――りん。


 私の脳裏に、一つの鈴の音が響いたのである。

 古い。古い民家だ。昔ながらの、古くて広い、黒塗りの柱。開放感のある、開け放たれた襖からは外の光が差し込んでいて、やさしい風にのって、ふわりと桜の花びらが運ばれてくる。

 私は、おかっぱの女の子と一緒にどこかへ走っている。私たちを追いかけてくる少女がいて、その子はしきりに待って待ってと言っている。私たちは、その子をどこかへ連れて行きたいのだ。深い深い闇の奥へ。そうすれば、きっとわかってくれる。

 その子が決して追いつけなくはない程度の速さで、私と手をつないだおかっぱの、赤い和装の少女は奥へ奥へと駆け上がる。奥へ。奥へ。闇の中へ。そして。


『こっちだよ』


 と、私は彼女に声をかけた。 

「こよりちゃん?」

 突然背後から声をかけられ、私は現実へと引き戻された。するとそこには、ブラウスにカーディガン、私服姿の、柳沢先輩が立っていた。

「……柳沢先輩……ことね先輩……」

 緊張の糸が切れた私は、わっと泣き出してしまい、ことね先輩はそんな私をそっと抱きしめてくれた。落ち着くまで、どれだけの時間がかかっただろう。だだ私は、どうしようもないほどのもどかしさと、悲しみに包まれていたのである。


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