chopinの手帳 5

 柳沢先輩たちに教えてもらったことは、大体次の通りだ。


 柳沢先輩は、この世ならざる者――霊を見ることができ、そして、オートマティスム。いわゆる自動筆記――俗にいう、お筆先を行うことができる。そういう家系の生まれなんだそうだ。


 西之先輩は、霊を見ることはできない。だけど、ソートグラフィー。いわゆる念写によって、霊の姿を写真に写し撮ることができる。これは遺伝とかではなく特技なのだと、彼女は言っていた。


 そして、この美術文芸部には、ほかにもそういう力を持った人たちが、何人か在籍しているらしい。そこまで話した後、柳沢先輩はおもむろに続けた。


「砂川さん。アカシックレコード、というものを、あなたは知っているかしら」


 それは、唐突な問だった。そしてそれは、今朝、桜の下で私に対して告げた言葉の一端である。


「アカシックレコード、とは、この世界のすべて、宇宙、地球、人、人ならざる者、過去、現在、未来のすべてが記録された、何ものでもあり、何ものでもない、この世界のすべてが蓄積された記録層。アカシア年代記、アカーシャ記録、アカシア記録とも呼ばれるものよ。そして、この世界のすべてが記録された、アカシックレコードにアクセスし、そこに記された記録を現世に顕現させる行為を、アカシック・リーディングと俗に言うわ」


 淡々と、柳沢先輩は語るけれど、私は。


「えっと、突然、何を……」

「ごめんなさい。少し唐突かもしれなかったわね。例えば、もういなくなってしまった人や、この世界にあるはずのないもの。そういったものとの交信手段がつまるところ、アカシック・リーディング。つまり、私の自動筆記やあかりちゃんの念写は、アカシック・レコードにアクセスし、その内容を読み取る一つの手段と解釈できる。そして砂川さん、あなたの言葉もそう。そしてあなたの言葉は、文章としての言語よりもより人が先に獲得することができた、音声による交信と言う意味でより原初に近い」

「すいません、話が見えないのですが……」

「前置きが長かったわね。要するに、私やあかりちゃんができないことが、砂川さんにはできるんじゃないかって思っているということよ」


 そこで、私はふと今朝のことを思い出す。柳沢先輩と西之先輩は、私が今朝あの桜並木で、赤い服の女の言葉を口にするのを目撃した。でも、これだけじゃあ、ピースは埋まらない。おそらく柳沢先輩も、西之先輩も、霊の言葉を聞くことはできないはずだ。だから、あのとき私の口から発せられた言葉が、彼女のものと同一であるなんて知りようがないのである。その状況で、柳沢先輩の自動筆記。西之先輩の念写。


――なら、導かれる結論は、一つだ。


 私は、くっと人差し指で眼鏡を押し上げた。 


「柳沢先輩は、あの女性の言葉を、自動筆記したことがあるんですね?」


 美術文芸部室中央の長机で、私は振舞われたホットココアの入ったくまのマグカップを口に運ぶ。香ばしいカカオの香りが鼻孔をくすぐった。やっと状況が見えてきたところで、私は深く息を吸った。柳沢先輩が、お話しするなら、まずはリラックスしないと、と言って淹れてくれたものだ。ちなみに柳沢先輩は、ハート形のきれいなティーカップでミルクティを。西之先輩はステンレスのマグでコーヒーをそれぞれ飲んでいる。 


「鋭いわね。あなたの言う通り、私は去年、あの女性の言葉を自動筆記したわ。その結果が――これよ」


 柳沢先輩は、一冊の古びた手帳を私に手渡した。古くて貴重な本かと驚いたけど、古く見えたのは装丁のせいで、どうやら、古風なノートらしい。表紙には筆記体で、「chopin」と印字してあった。


 私はおずおずと、その手帳を開く。付箋の個所。

 するとそこには、あの言葉がびっしりと敷き詰められていた。

 

 ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない――

 

 酷く乱れた字で、私は目を覆いそうになった。そこには「許さない」という憎しみの言葉が、何ページにも渡って殴り書きのように綴られていたからだ。背筋が寒くなり、本を閉じ、私は柳沢先輩を見た。柳沢先輩はその視線に気付いて静かに笑った。


「砂川さん。あなたに、お願いがあるの」


 ものすごい、嫌な予感がした。こんなことができる柳沢先輩が、私に頼みそうなことなんて、ただ一つだ。つまり、自動筆記や念写ではない私の特技のことについて。


「もう一度、あの桜の木の下で、あの女性の口寄せをしてもらえないかしら?」


 ――ほら、やっぱりだ。今日は散々な出会いが沢山ある厄日だ。


 確かに、私は今朝、間違えて彼女の口寄せ――いや、そんな大したものじゃない。おばあちゃんは『聲寄せ』と言っていた――を、してしまった。でも、それは事故だ。私は、聲寄せをしないって、ずっと前に決めている。


「――したく、ありません」


 しかもそれを、さっき会った人のために、どうして。

「――私は、聲寄せをしないって決めているんです。ごめんなさい」


 だから、きっぱりと言った。それに先輩は自動筆記を行うことができる。私の聲寄せなんて、不要なはずだ。


「あなたのあの力は、『聲寄せ』と言うのね」

「はい。おばあちゃんはそう言っていました。なんというか『口寄せ』と比べて、範囲が広くて直接性が強い、とかで。詳しいことはよくわかりませんけど……

 まあ、そんなことはどうでもよくて、とにかく、私は聲寄せをしないって決めているんです」


 ――でないと。

 あの子が、気付いてしまうから。

 あの子が、気付いてしまったら、私は死んでしまうだろうからである。


 ただ、そのことを、今目の前二人の先輩に伝える必要性はない。


「それは、どうしても?」


 少しだけ小さな声で、確認するように、柳沢先輩は言った。


「――はい。どうしても。決めているんです」


 私は、きっぱりと言った。仕方ないという風に、柳沢先輩は息をついた。


「なら、仕方がないわね」

「ばらしますか? あんずちゃんに私の『聲寄せ』のことを」

「そんなことはしないわ。秘密を知っているのは、あなたも同じことだもの」


 柳沢先輩は、深く息をつき、でもその後に、優しい笑顔を浮かべた。


「私にはどうしてもできなかったから、時間がなくて、少しだけ力を貸してもらえたらって、そう思っただけ。ありがとう。あなたにはあなたの事情があるわ。無理を言って、ごめんなさい」


 その柳沢先輩の笑みは、どうしてだか、ひどく悲しそうだった。


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