chopinの手帳 3

 卒業式も一週間前となると、学校の中は騒がしい。休み時間には、〇〇先輩への寄書の色紙とか、そういうものがひっきりなしに回ってきて、ああ。ほんとに先輩たちは卒業していくんだなという気にさせられる。もっとも私は部活に所属していないから、そういう類のものは一枚も回ってこず、いやでも別に寂しいわけではない。ただ。


「こよりちゃん、大丈夫? 調子悪い?」


 あんずちゃんが、私の顔を覗き込んで言った。心配そうに眉をひそめている。そうなのだ。あんな朝の一件があって、私は体調が悪いというわけではないけれど気分はそんなに良くはななかった。とはいえ、あんずちゃんにいらない心配をかけてはいけないので、ばれないようにずれた眼鏡をくっと直した。


「ん? 大丈夫だよ。ちょっと午前中の授業で疲れただけ――。もうお昼だし、ご飯にしよ?」


 ちなみあんずちゃんは、料理部に所属しているため、私と無縁の色紙の類も回ってきている。うらやましいわけではないけど、あんずちゃんしか友達と呼べる友達はいないな……と思い、少し自分の交友関係の狭さに悲しくなった。


「そっか。じゃあ、気分転換に、外でお弁当食べようよ。温かくなってきたから、お花見気分でいいよね!」


 正直先ほどの件もあって、桜の花はもう結構と思ったりもしたけど、あんずちゃんがせっかく誘ってくれているし、私はお兄ちゃんが作ってくれたお弁当を手に取って立ち上がった。あんずちゃんは、どうしても引っ込み思案で人の輪に入るのことが苦手な私になんかのことををさりげなく気にかけてくれる優しい子だ。どうして私と気が合ったのかはわからないけれど、私とほとんど一緒にいてくれる、優しい子なのである。

 校庭の桜の木の下のベンチが空いてたので、私たちはそこに腰を下ろした。あんずちゃんの言った通り、桜の下はいざ来てみるとやっぱりきれいなもので、十分気分転換になる。葉っぱがないから毛虫もいないぶん、花の時期は好感度大である。

 お兄ちゃんお手製のお弁当の包みをほどくと、顔を覗かせたのは卵焼きに、ポテトサラダ。トマトに、煮物。それから――。


「やった。今日はハンバーグ!」


 大きなハンバーグが、お弁当箱の一角に鎮座していた。ハンバーグは私の好物なだ。


「わ。今日も手が込んでる。こよりちゃんのお兄さん、いつもすごいね」


 このお弁当は、田舎から出てて来た私が居候させてもらっている、十歳上の兄あ作ったものだ。兄はちょっと煩いところがあるけれど、まあ、料理の腕は女子をうならせるほどの腕前で、そういうわけなので兄の作ったお弁当はありがたくいただくことにしている。


「そんなことないよ。他に取り柄がないだけだって」


 そういうあんずちゃんのお弁当は、もちろんあんずちゃん手作りで、グリーンピースの乗った手作りシュウマイに、タコさんウインナー、炒め物に、それから、さらにおかずがたくさん。いつもさすがです。


「あんずちゃんのほうがすごいよ。毎日自分でそんなにおいしそうなの作っちゃうんだもん。はー、私も自分のお弁当くらい作れるようになりたいな」

「そ、そう? じゃあ――」

 あんずちゃんは、少し間をおいて、

「こ、今度、こよりちゃんのうちに遊びに行っていいかな、一緒にご飯作ろうよ?」

「? いいよ?」


 別にこれくらいで改まらなくったっていいのに、とは思いながら、返事をした。

 


 そうして、お喋りをしたり、お弁当を分け合ったり。食べ終わって、まだ少し時間があるからゆっくりしよう、と思っていた、その時だった。


「あなた、少しいいかしら?」


 背後から声かけられて、びっくりして包みなおしたお弁当箱を落っことしそうになった。

 振り返るとそこには、今朝桜並木で会った、あの女生徒が立っていた。リボンの色は――青。三年生だ。肩の辺りできれいに切りそろえられた髪。色白の肌。整った顔立ち。とても美人だ。でも、どうしてだろう。彼女からはきらきらとした女子高生らしい輝きよりも、むしろ薄幸な印象を受けた。今朝桜並木であった女生徒が、腕組みをしながら立っている。少なくとも、友好的な視線では、ない。その瞳に宿る感情は――強い悲しみと、そして怒り?


「今朝、あそこで何を見たの?」


 私がイエスともノーとも言えずにいる間に、彼女は続けた。どうして、それを。


「それにどうして、あなたがあの事を知っていたの?」


 矢継ぎ早に来る質問に、私は答えに窮してしまった。それに、しかもここにはあんずちゃんだっている。答えられるはずなんて、ない。


「柳沢から聞いたのね? サイテー……」


 柳沢さんって誰? しかもここにはあんずちゃんがいて、そもそもなんで三年生に絡まれなければいけないのだろう。訳が分からなくて、私の思考ははぐるぐると混乱していた。こんな状況は、残念ながらそんなに得意じゃなくて、胃から何かが上がってくる。吐き気がする。


「……あの、すいません。こよりちゃん、困っているみたいなので……」


 そんな私を見かねてか、あんずちゃんが助け舟を出してくれた。でも三年生の先輩に鋭い目付きできっとにらまれて、あんずちゃんも怯んでしまう。

「おや。桜庭先輩じゃないですが。一年生相手に何やってるんですか?」


 そのとき、また私たちの背後――。つまり、本来の正面から声がして、桜庭先輩、と呼ばれた女生徒が眉を顰めるのが分かった。声のしたほうを見ると、緑のリボン、二年生の、ショートカットで、身長の高い、何かスポーツでもやってるのかな、と思うぐらいの、スレンダーな先輩が立っていた。


「あなた、柳沢の後輩の……」

「西乃あかりです。お久しぶりです。ダメですよ。一年生、怖がってますよ――」


 その言葉で、桜庭先輩は西之先輩を再びギラリと睨んだ。しかしさすがに、私たちが怯えているのが分かったのか、一瞥をくれると、スカートの裾を翻し、どこかへ行ってしまった。


「す、すいません。ありがとうございます」


 あんずちゃんが、西之先輩、というらしい人に、何度もお辞儀をしてお礼を言っている。私はというと、まだ心臓が飛び出そうで、ドキドキしたまんまだ。


「はは。いいってことよ。三年生の先輩に絡まれている一年生の後輩を助けるのも、二年生の務めってね。――それより、さ」


 西之先輩は、にっと屈託のない笑顔を浮かべながら、言った。



「後で、うちの部室に来てくれない? 一生のお願い」

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