第三話①
その日の夜ご飯は、とても賑やかなものだったように思う。というのも、疲れがとれていなかったのか、私は常にゆめうつつだったのだ。きちんと目が覚めたように感じたのは、翌朝、玄関の扉がたたかれる音を聞いてからだった。
「ごめんください。」
鈴の鳴るような声がした。知らぬ間に着替えさせてもらっていたらしく、出かける準備は万端だ。時計を見ると、まだ早朝。ううむ、修練に出ることになったら、使用人の方々には朝、負担をかけてしまうことになりそうだ。「はあい」と声をあげて扉を開くと、自分よりも随分と高い位置に美しい女性の顔があった。
「…あなたが、円さんね。」
「は、はい。」
「大巫女様の命でお迎えにあがりました。凛と申します。」
廉太郎お兄様と同じ、緑がかった髪が揺れる。後ろでひとくくりにされたそれは、目を見張るほど美しかった。ぼんやりと見上げていると、彼女の眉間にしわが寄る。
「…なにか。」
「い、いえ、でます。…えっと。」
「…姉さん!」
慌てて靴を履こうとすると、その後ろから廉太郎兄さまの声がした。振り向くと声の主が目を輝かせて立っている。どうやら彼一人だけのようだ。遥お兄様あたりは見送りに来そうなものだけれど、まだ眠っているのだろうか。
「れんたろうおにいさま。」
「…あら、柳家の御嫡男が、そんな大声を出すのははしたなくはありませんか?」
「…も、申し訳ございません…でも、姉さんです、よね。」
凛さんの彼を見る目は冷たい。まるで感情がすべて削げ落ちてしまっているかのようだった。奈落の底のような光のない目が彼を見る。
「私は神社の者です。弟などおりません。」
「で、でもおおみこさまはおねえさんだと、」
「現世での血縁は神社にいる間は関係なくなるのです。あなたも通いの巫女になるのであれば、神社にいる間、蘇芳の名を名乗ることは許されません。」
言われてみれば、神社にいる間の私の表記名は【円】だった気がする。なるほど、神社にいる間は苗字が使えないのか。一つ作品を深く理解することができた。
「私はすでに神社で暮らしている身。巫女として現世に未練を残してはいけないのです。…ほら、早く行きましょう。修練の時間が勿体ありません。」
「ま、待ってよ姉さん、」
彼女は私の腕をつかむと、ぐいぐいと先へと進んでいく。でも、昨日の大巫女様とは違って、私が痛がらない程度の力だ。根はやさしい人なのだろう。それにさっき、彼女は廉太郎お兄様に【未練】という言葉を使った。きっと、たぶん、この人は、他人を慮れる人なのだ。
「りん、さん。」
「はい。質問でしょうか?」
「…れんたろうおにいさまは、りんさんにとって【ミレン】になるのですか?」
「…答える必要性を感じません。」
そう言ってふいと外を向くけれど、彼女の手はやっぱり温かくて、なんとなく、安心できたのだった。
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