第一話⑦

 嫌だ、と言いたかった。遥お兄様のそばから離れたくない。なにより彼が心配だった。ゲームの彼は、どうしていたっけ。私は、神社に住んでいたのだろうか。ああ、なんで、もっと詳しく記憶できなかったんだ!遥お兄様の悲しい顔が遠ざかる。手が伸ばされているのに、私はそれを握れない。嫌だ、嫌だ、いやだ、そばにいたいのに、


「…円。」


 そのときだった。


 凛とした声が響く。普段からは絶対に想像できないような澄んだ声。その持ち主は、小さな身体なのに、今、どの誰よりも大きく見えた。


「…ちひろ、おにいさま、」

「円の意見聞いてからでもいいだろ。大巫女様。」


 じっと、千紘お兄様が大巫女様を見つめる。その目はひどく澄んでいて、無駄な物が一つもない。


「なあ、円。お前、どうしたい?ゆっくりでいいから話してみろ。」


 その声が、ゆっくりと緊張を溶かしていく。握られた腕が痛むことも今気がついた。ゆっくりと、口を開く。どうやら喉が声を思い出してくれたようだ。


「わたしは、はるかおにいさまと、いっしょに、いたいです。」

「まどか、」

「いっしょに、いたいです、」


 齢七つにして、肉親と離されるのは流石に辛すぎたのだろう。腕の痛みと合わせてぽろぽろと涙が流れ出す。ぬぐってもぬぐっても涙は溢れてどうしようもない。それを見て、遥お兄様が飛んできた。ぎゅう、と抱きしめられて「大丈夫だからね」と声がかけられる。


「ってことです。幸い?俺らの家の中で1番ここに近い家に住んでるのは遥と円です。家から通うんじゃだめなんです、大巫女様?」

「僕からもお願いします。」


 すい、と琥珀お兄様が手をあげる。


「円さんはもちろん、遥くんもあの家に一人きりというのは、いくらうちの村でも心細いと思います。…だめ、でしょうか?」

「…ダメだと言っても、貴方たちは連れ出すんでしょうね…仕方ありません。帰ってゆっくりなさい。ただし、明日は凛に迎えに行かせます。」

「ね、姉さんに?!」


 これまで黙っていた廉太郎お兄様が素っ頓狂な声をあげる。


「あら、廉太郎。何か問題でも?」

「い、いえ、その…」

「心配なら貴方も蘇芳のお家に泊めてもらいなさいな。久々に凛の顔も見たいでしょう。」

「お泊まり会、ですか?」


 怯えた様子の恭ちゃんが顔を出す。大巫女様が頷いたのを見てパッと顔を綻ばせた。


「そうと決まれば、早く帰ろ!円ちゃん、お泊まり会だよ!」

 

 私を除いた最年少の声があまりにも楽しそうに響くので、周りの皆の表情が和らいだ。遥お兄様だけが複雑そうな顔をして私の顔を覗き込む。涙は止まっていなかったし、相も変わらず腕は痛いけれど、いつまでもこんなところでしゃがみ込んでいるわけにもいかないだろう。


「だいじょうぶです、はるかおにいさま。かえりましょう。」

「でも、」

「…まどかが、かえりたいのです。」


 とにかく、疲れてしまった。一気に色々なことがありすぎた。輪郭のぼやけたカミサマとやらは、気が付くと姿を消している。それに安堵すると同時に、ふわりと意識が遠のく気配。まあ、頭もたくさん使ったし、ずっと正座だし、目まぐるしいし。幸い今日は琥珀お兄様もいらっしゃるから、私一人連れ帰るくらいどうってことないだろう。安心できる遥お兄様の腕の中で、私はゆっくり瞼を閉じた。

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