6-3 新入社員は上海人

 帰国してチームで検討した結果、弘達期貨との取引を進めることになった。手数料は、アルティメットと同程度で良いだろうと判断した。好んで価格競争をする必要はないし、それ以外の付加価値で顧客の心を動かして行けばよいのだ。

 実際のところ多少手数料が安くても、注文執行能力が低い会社と付き合うと顧客にとって結果的には損になる。また、誰もがインターネットで容易に情報を収集できる現代と違って、提供できる情報の質や量がかなり違う会社のうちどれを選ぶかは、顧客にとって重要な問題であった。個人投資家相手の大衆店と商社との付き合いがある会社とでは、どうしてもその辺りに差が出る。

 それに先物業務に関与の薄い陳氏は、最初に謝礼を取ったとしてもその後の取引に対するキックバックを要求する可能性は低そうだ。総合的に見て、弘達が負うコストは城東の方が低いとも思われる。松浦さんに電話すると、陳氏への義理が果たせたと喜んでくれた。


 弘達期貨に送る契約書類の準備をしていると、人事課長から内線電話が掛かってきた。

「森脇君? お疲れ様。来年の新卒採用も大詰めなんだけど、中国人留学生の子が応募しているんだよ。酒井部長に聞いたら現場の君らと話させてみてって言われてさ」

「人事の選考は終わってるのでしょう? どんな状況ですか?」

「俺たちの評価としては悪くない。だから君と林さんの面談で問題無ければ内定を出そうかと思う」

「わかりました。予定はいつですか?」

「明後日の午前十時だけど、都合はつくかな?」

「私は大丈夫です。リンちゃんにも確認してみますね」

 応礼にも特に支障はないので、二人で面談することになった。学生の名前は許道成、二十六歳。上海出身で、中国では短大あるいは専門学校に相当する学院専科を卒業している。一旦は地元で就職したが、辞めて日本語学校に通い日本に来て四年制大学に編入したようだ。

 就職氷河期の最中である一九九五年卒業生の就職活動は困難を極めていたが、商品先物業界には大変なチャンスだった。普段では考えられないような高偏差値の大学からの応募が増えたのだ。

 有名大学からの入社も例年わずかながら存在したが、そういう連中は性格に問題があったり何年も留年したりで好況時であってもまともに就職できない者が少なくない。しかし、就職氷河期には、なぜこんな学生がという人々を採用できていた。許君の母校も難関校とまでは言えないものの、それなりに名の通った大学だ。


 面談当日、私は応礼と会議室で待っていた。

「私、面接を受けたことはあっても、したことはないです」

「難しく考える必要はないよ。チームに馴染むかどうかを確認して欲しいんじゃない? 個人営業部隊なら合わなければ転属できるけど、国際事業部だとすぐ辞めることになるし」

 普段だと城東通商では、よほど社会性に欠ける学生以外は基本的に採用する。どうせすぐに辞めてしまうので、選り好みはできないからだ。

 ドアがノックされ、人事課長がグレーのスーツを着た青年を伴って入室してきた。まだ就活生全員が黒いリクルート・スーツを着る時代ではなかった。とはいえ、多くの学生は紺かグレーのスーツでシャツは白を選ぶのが普通だ。

 一方、この日私が着ていたのはダークグリーンのスーツに青ストライプのシャツ。城東の男子社員は夏でもスーツとネクタイが必須だったが、色やスタイルは自由だ。羽振りの良さが重要な仕事だけに、貫禄を示そうとダブルのスーツを着る者も珍しくなかった。


 人事課長は私たちを引き合わせた後、ざっくばらんに歓談をと言い残して退出した。許君はお辞儀をして課長を見送ると、改めて私たちに一礼して「よろしくお願いします」と言う。日本式の礼儀が分かっているようだ。大学の就職課で教わるのか。

「お掛けください。こちらこそよろしくお願いします。紹介の通り私は国際事業部の森脇で、こちらは同僚の林です」

 応礼が「林です」と言ってお辞儀をする。三人のうち中国語話者が二人なのに日本語で会話を進めるのもおかしなものだが、私は挨拶程度しか中国語が話せないので仕方ない。

 机を挟んで相対して座る許君は理知的な表情をしている。中国で高等教育を受け、日本に私費留学をするだけの能力と経済的背景を持っているのだ。

「許さんは日本語がお上手ですね。何年くらい勉強しているのですか?」

 彼は工商学院で外国語科目に日本語を選択し、卒業後は日本語学校で学び日本語能力試験二級を取得して訪日したそうだ。十八歳の頃から八年勉強し、ここ三年くらいは日本で生活している。日本語にリソースを集中する余り、英語はそれ程できないという。

 それは応礼も同様だ。台湾人の応礼の場合大陸の中国人ほど留学の基準が厳しくないので、高校を卒業後ほとんど日本語ができない状態で来日し、日本語学校から大学の別科を経て入学した。英語は城東に入社してから少しずつ習得している。


「先物取引についての知識はいかがですか?」

 経営学部在籍だし、就活のために業種研究もしたのだろう。一般的な知識は持っているようだ。

「聞いているかも知れませんが、弊社は昨年から中国でビジネスを始めています。顧客が我々に求めるのは実用的な知識でありアドバイスです。単なる通訳ではなく、そういうものを臨機応変に提供できる人材になってもらうのが目標ですね」

 許君の受け答えは意欲的だ。適度な謙虚さもあってチームの連中とぶつかることもないだろう。雑談をしていて嫌な奴という印象を持たなければ、大抵は上手く付き合って行ける。こちらがポジティブな印象を持つ場合、相手も悪い感情は持たないものだ。チームで仕事をしている以上、個人の能力の突出よりチームが円滑に回る方が全体のパフォーマンスには良い結果になる。

 面談が終わって、どうだったと応礼に聞いてみた。

「感じのいい人でしたが、上海人は口が上手くて油断できないので、どこまで信用できるか分からないです」

 上海人のイメージが悪いな。応礼の忠告は心に留めつつ、人事課長には問題なくやって行けそうだと伝えた。許君側から辞退されない限り、翌年の四月にはチームに加わるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る