6-2 地域格差

 早く寝たら目覚めも早くなる。大勢の人々が体操などをする早朝の公園をゆっくりと散歩した後、シャワーを浴び朝食を済ませて弘達期貨を訪れる。ホテルからはそう遠くないので歩いて向かった。

 事務所に到着して来訪を告げると、二人の男性が現れる。頭髪の薄い少し貧相な感じの眼鏡の男と、小太りで目の細い男だ。貧相な男が『邱です。遠いところ来てくださってありがとうございます』と愛想良く話してくる。小太りの男は総経理で何と名乗った。何総経理は英語が苦手のようだ。

 この会社は中台の合弁で、台湾人の邱総裁が共同オーナー。この場に居ない何氏のボスである董事長が、中国側出資者の窓口らしい。会社の実務は何氏が仕切っているということだった。規制の強化を受けて中国では先物取引会社の新設は困難になっており、台湾との合弁である点が弘達期貨のメリットになったと思われる。

 電話のときと同様に邱氏はテンションが高い。中国にはよく来るのか、武漢は初めてか、武漢の印象はどうだ、などと話しかけてくる。

『そういえば、昨夜は空港でお迎えの方を探したのですが見つからず、一人でホテルに向かいました。入れ違いになっていたらすみません』

 雲助タクシーのことは触れずにそう言うと、邱氏は少し気まずそうに答える。

『申し訳ない、昨日は急に都合が悪くなりましてね。森脇さんが旅慣れている方でよかったですよ』

 悪いと思っているなら、無駄話の前に先ず謝罪があるだろう。出迎えのことをすっかり忘れていたと考えるのが自然だ。細かいことで嘘を吐く人々は概ね信用が置けない。しかし、そんなことを追及しても意味がないので本題に入ろう。

『お電話の感触では、もう既に日本の商品を取引しているようですね』

『ええ、取引してますね』

『差し支えなければ、どの会社とお付き合いがあるかをうかがってもよいですか?』

 邱氏によると、現在アルティメット・フューチャーズと委託契約を結んでいるという。新興で勢いのある取引員だが、海外業務や大手商社との取引では名を聞かない。中国側の共同オーナーの伝手で最初に紹介されたそうだ。仲介してくれた在日中国人がいろいろと手伝ってくれるものの彼に払うキックバックも馬鹿にならないし、アルティメットには英語や中国語のできるスタッフがいないので、弘達期貨が直接交渉するのは難しい。それが仲介者の狙いでもある。


 邱氏は英語や中国語でやり取りできる会社は無いかと友人の陳氏に相談し、そこから松浦さんを経由して私のところに話が回ってきたわけだ。アルティメットに縁を結んだ仲介者には不義理となるため、中国側の董事長としてはあまり面白くないので私には会わないのかもしれない。とはいえ、利があれば義理などそれ程気にしないのも中国人である。手渡した簡体中文で作成した会社案内や資料も、早速彼らの関心を引いている。

『もちろん、今すぐ全部城東さんに切り替えるわけには行きませんが、御社だと関西や北海道の取引所がでも取引できるでしょう?』

 アルティメットは新興企業だけに、首都圏にビジネス資源を集中している。営業所も取引所の会員資格もだ。一方、我が城東通商は老舗ということもあって、会社案内に記載した通り全国津々浦々に支店を設置し北海道や中部、関西の取引所の上場商品も取り扱っている。また、シンガポール法人を利用した取引スキームも提供できるので、弘達期貨の自由度は高まると言えるだろう。

 現在の手数料を聞くと、我々が環期公司に提示しているレートよりも高い。アルティメットは欧米企業との取引も大手商社の受託もやっていないので国際的な相場を知らないだろうし、日本国内の個人向けの馬鹿高い手数料と比べると、弘達期貨への手数料はそれでも安く設定されているのだ。広東省や上海など沿海部の都会では日本の取引員が複数訪問して競争原理が働くが、内陸部はまだそうでもないようだ。

 競争相手の少ない内陸部でビジネスを始めた邱氏は目が利くとも思ったが、国共内戦後台湾に渡った外省人である彼の家族にとって湖北省は先祖の故郷らしい。邱氏自身は生まれも育ちも台湾だが、私たちのあずかり知らない親族のネットワークがあるのかもしれない。

 いずれにしても、契約したところで取引量の大きい東京の取引はアルティメットのままにして、城東は関西など地方取引の品揃えにだけ利用されるという懸念はある。しかし、やり様によっては東京の取引所での商いも増やしてくるかもしれない。とりあえず、全面的には信用できない相手なので小さく始めた方が良いだろう。


 最終的に今日の話の内容を互いに確認し合い、私は帰国して上司に報告し、彼らは董事長を交えて相談するということで商談は終わった。

 弘達期貨のオフィスを出たが、まだ空港での搭乗手続きには時間がある。リュックやスーツ・バックはチェックアウト済みのホテルに預けているので、取りに戻る必要もある。そして、昨日の様子から空港には店も少ないと思われ、食事は街で済ませておく必要があるだろう。ホテルの近所には色々あったような気がする。

 ブラブラと歩いていると、大きな病院で展示会をやっているので覗いてみる。性病に罹患した人々の悲惨な写真が多数掲示されていた。人民への啓蒙活動か。食事の前に見るものではなかったな。ホテルのロビーで少し時間を潰し、それから目に付いた麺料理の店に行ってみる。湖南のような激辛ではない。隣の省とは言っても武漢と長沙は三百五十キロメートルくらい離れているので、風俗も料理も違って当然と言える。

 この日は香港で一泊だ。夕飯時くらいには香港に着くのだが、乗り換えて日本に向かう直行便はもう無い。シンガポールなら深夜に出発して早朝に成田に着く便があるが、住宅街に近くて夜間の発着が制限されている啓徳空港では、そういう運航の設定はできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る