5-5 料理は辛くないとダメな土地

 長沙は湖南省の省都だ。「湖」は長江中流に広がる巨大な洞庭湖のことを指し、その北側は湖北省で南側が湖南省となる。長沙の街は長江沿いではなく、洞庭湖に南から注ぐ湘江に沿って開けている。湘江流域は日本の湘南の名前の元ネタになった風光明媚な地域として知られる。

 中華の辛い料理といえば四川料理が有名だが、湖南料理は更に辛いとされる。俗に「四川人不怕辣、湖南人怕不辣(四川人は辛さを恐れず、湖南人は辛くないことを恐れる)」と言われるらしい。

 鉄道の長沙駅舎は、時計台の上にトーチのモニュメントを据え付けており、その形が唐辛子に見えるので湖南省の玄関にふさわしいと称される。トーチのモニュメントは夜になると炎を表すように赤く点灯するのだが、それで更に唐辛子らしい外見になる。

 空港で出迎えてくれた若い男女二人の社員に連れられて投宿したホテルは、その長沙駅前から真っすぐ伸びる目抜き通りにあった。目抜き通りといっても高層ビルは少なく、田舎町の雰囲気が漂う。

 夕食は英語の通じる可能性のあるホテルで取ることにした。広いレストランには丸テーブルが並び、服務員がワゴンに乗せた料理を運んでいる。テーブルに寄ってきて好きな物を選ぶのは飲茶形式だ。客が皿を受け取ると、服務員がテーブルの伝票に記録する。

 さてどれを選んだものかと見ると、料理はどれも赤い。明らかに辛そうだ。どれが良いのか分からないので、手あたり次第にいくつか選んでみた。余り辛そうに見えないものも含めてすべて激辛だった。口の中が痛くなるレベルなのでビールとお茶ばかり飲んで、すぐに満腹になってしまう。 


 一夜明けて訪れた環期公司長沙支店は、ホテルからそう遠くない三階建てのビルに入居していた。前日に空港に出迎えてくれた女性社員の朱氏が通訳をする。上海の記者もそうだったが、女性の方が英語の発音は良いという印象を受けた。

 社員の平均年齢は、これまで訪れたどの支店よりも若いように思われた。レクチャーが終わると、劉強総経理ら支店の人々とランチに出かける。普通の中華料理だ。唐辛子と一緒に蒸した魚料理のようないかにも湖南名物といったものもあるが、出る皿が全部辛そうということはない。

 昨夜のことを話すと、湖南料理が辛いのは全国的に有名で他所から来た人たちも期待しているのだから、ホテルのサービスがそうなるのは仕方ないし、辛くない料理も別途注文できるはずだと笑われた。

『ただ、良い思い出になったでしょう?』

 劉氏がそう言う。その通りではある。

 食事の後、飛行機のチェックインまで時間があるので、博物館に寄ってはどうかと勧められた。ミイラが有名らしい。出迎えの二人組と共にタクシーで向かう。公園の一角のような場所にある博物館は古い建物で、古代の収蔵品が多く展示されていた。時間も無いのでゆっくり見て回らず、目玉の馬王堆漢墓のコーナーに向かう。前漢初期の貴族の墳墓から発掘された副葬品が展示され、ミイラは薄暗い館内の強化ガラスの下に横たえられていた。エジプトのミイラのような干からびたイメージではなく、水死体のようなグロテスクさだ。高貴な夫人が死後二千年以上も経って見世物にされるのは何ともお気の毒な話と言える。

 朱氏に『どうでしたか』と感想を聞かれ、思ったものと違ったと応じると、そうだろうなあという顔をしている。

 長沙の空港は大きくないが、北京や上海の空港に比べて新しく綺麗な印象だ。そこから広州に向かう。前回は鉄道で訪れたので、空路は初となる。


 到着した広州白雲空港は、がらんとした体育館のようなターミナルだ。広州市街から何十キロも離れている現在の巨大空港と名前は同じだが、当時は街の中心部から数キロの近郊にあり、名前の由来になった白雲山の麓に位置するこじんまりした空港だった。

 到着が夕刻なので出迎え不要と環期公司には伝えてある。広州に行くのは二度目だし、宿泊は駅のそばなのでタクシーに伝えるのも楽だ。広州駅に着くと、駅前には相変わらず大勢の人々が集まっている。私はタクシーを降りると駅舎ではなくホテルに向かって歩き出した。前回泊まった高層ホテルとは違い、低層の年季の入った建物だ。旧市街の駅前なので、昔からあるホテルなのだろう。

 翌朝、ホテルのロビーで待ち合わせた周さんと再会する。一か月振りだが、色々あったので随分前のような気もする。李さんや趙さんから北京と上海のセミナーの様子は聞いているようだった。広州でのレクチャーも周さんの通訳で行う。通訳なしで講義できる北京の本社は、やはり特別と言える。

 総経理の黄勇氏からは、周さんの研修についてとても感謝された。面子があるので航空券紛失のやらかしについては誰も触れないが、それも含めての謝意だと思われる。

 広州支店のレクチャーも大過なく終わり、支店を案内してもらう。夕刻になり周さんが夕食でも一緒にどうだと誘うので、蛇料理を食べてみたいと伝えた。『何でそんなものを?』と聞かれたが、せっかく広州に来たのだから日本では食べられないものを試してみたい。皆さんが富士山に行って写真を撮ったのと一緒ですよと話すと、『なるほど』と笑っている。


 下町にある老舗の風格を持つ専門店に連れて行ってくれた。路地裏のような場所なので、一人で来いと言われると難しいだろう。粥とスープに唐揚げを注文する。広東料理らしい餡かけスープに入った蛇は毒蛇だそうだ。薬味のせいか粥もスープも臭みは感じなかった。中国では「田鶏ディエンジー」と呼ばれる蛙肉と同じように鶏肉に似た風味だが、蛙より骨が多い。唐揚げはビールに合う食感だ。

 食事をしながら周さんの経歴の話を聞く。中級公務員の家庭で育った彼は、奨学金で大学に進み経営管理を学んで卒業後は国が指定する商社に勤めた。八十年代までは進学や就職は政府による手配が主流だったのだ。学生時代から英語の学習に力を入れ、留学は無理でも海外貿易に関わるような仕事を希望していた周さんだが、なかなかチャンスは巡ってこなかった。

 九十年代に入ると民間企業が増え、環期公司広州支店開設の話を聞いたときには新しい業種への可能性を感じたそうだ。結果は管理職のポジションを得て日本に行く機会も手にした。転職は成功だった。

『また会いましょう。中国から気軽に海外に行ける時代が早く来るといいですね』

 ホテルまで送ってもらい、いつの日かの再会を約束して周さんに別れを告げた。


 さて、環期公司の支店巡りは終わったが、上海に向かう前にやることがもう一つある。木曜日の午前中は鴻隆期貨に挨拶しに行った。眉毛の濃い梁総裁の会社だ。環期公司ほどの量ではないが、継続して取引をしてくれるお得意様となっている。マックを使ってレクチャー用に簡体中文で作成し直した罫線ガイドを数部携えての訪問だ。前回は馬氏に案内されたが、同社にも英語で通訳のできる社員は在籍している。

 梁総裁にランチの飲茶をごちそうになった後、白雲空港に向かう。待合室に入ると、これまで乗ったどの便よりも機内持ち込みの段ボール箱を抱えた乗客が多い。覚悟はしたが、搭乗時にはラッシュ時の電車のようにもみくちゃにされながらゲートに向かい、靴を散々踏まれて足跡がいくつもくっきり残った。

 翌金曜日は、宿泊した和平飯店から上海虹橋空港に向かう途上で大渋滞の洗礼は受けたものの、成田行きの国際線に搭乗する乗客の秩序だった行列に心底ほっとした。

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