5-2 気の抜けない場所
来客を送り出し会場の片づけを始めるスタッフに別れを告げ、陳総経理と趙さんにアナリストの宋氏を加えて私たちはランチに向かった。上海は小籠包の本場と聞いていたので楽しみだった。応礼から食べ方を教わる。黒酢の癖が強いが、薬味の生姜も効いて美味だった。
食後は宋氏が一人会社に戻り、陳氏と趙さんは我々に豫園を案内してくれた。池の周囲に古い建物が立ち並ぶ庭園だ。肉まんなどを売る屋台があり、応礼が興味を示している。ランチが終わったばかりだが、通訳をしていたのであまり食べられなかったようだ。胡麻団子や
豫園を出たところで陳氏らと別れた私たちは、タクシーで外灘に向かった。翌日は環期上海支店を訪問する予定なので、二人にはまた会うことになる。
外灘は黄浦江沿いの大通りに二十世紀初めに建築された欧米式のビルが並ぶ地域だ。昔は租界、つまり外国人の居留区だった。古いビル群はまだ現役で利用されており、外資系の店舗が入っているところもある。川岸には公園があって、対岸の浦東にはボールを模した巨大な塔が建造中だがその周辺の建物はまばらだ。川の上流に大きな橋が出来ており、これから発展するのだろうと思われた。
しばらく公園を散策し、私たちは中山東一路の大通りを渡って南京東路に向かった。南京東路の入口には和平飯店がある。お爺さんたちのジャズ・バンドで有名なホテルだ。そこから西に延びる通りはデパートなどが並ぶ繁華街なのだが、北京の王府井と同様にぱっとしない印象だ。道を歩きながら社長が煙草に火を点けて吸いはじめると、突然どこから現れたのか男女の二人組が社長に向かって何事か非難するように訴え始めた。応礼が聞くと、喫煙の禁止されているエリアなので罰金を払えと言っているらしい。外国人だし知らなかったと言っても聞く耳を持ってくれないようだ。日本円にして300円余りなので社長は苦笑しながら払った。
「お土産の記念品を買ったようなものかな」と違反チケットを手にしておどけている。
「条件を満たさないと手に入らないんで、単に店で物を買うより難しいですね」部長が応じる。
そういえば、中国人にはヘビー・スモーカーが多くいろいろな場所で煙草を吸う人を見かけたが、この周辺の路上で歩き煙草をしている人はいない。注意力と観察眼の重要性を思い知らされる。
その後私たちはデパートや商店をいくつか見て回った。腕時計の一つが気に入った私は買い求めることにした。文字盤の曜日の表示が一~六と漢数字になっている。中国語で月曜日は星期一といい土曜が星期六だからだ。日曜日は星期日なので日の表示になっていた。星期天とも言うが、それは話し言葉に近いため日の方が採用されるのだと思われる。
「森脇、そんなの買ってもすぐ壊れるんじゃないの?」
そう言う部長は自転車用のポンチョを買っていた。上半身から自転車の籠まで覆うものだ。今は日本でも見かけるが、当時はそんな代物を見たことがなかった。流石は自転車大国だ。
上海滞在三日目、私たちは環期公司上海支店を訪れた。事務所は中山北路にあり、滞在するホテルからは蘇州江を越えて北に車で二十分のビジネス街だ。オフィスに着くなり社長らと別れて私だけ会議室に呼ばれ、社員たちにチャート分析の簡単な講義と質疑を行った。北京と違って英語を話せない社員も多く、趙さんが通訳している。社長に同行して陳総経理ら支店幹部と社内見学をしてもあまり意味はないし、この後の各地の支店周りの予行演習にもなるので丁度良いと思った。
午後見学に訪れた上海金属交易所は、環期公司からほど近い場所にあった。深圳では見ることができなかった念願の中国の先物市場だ。取引場にはサッカーの紅白戦などで使うビブスのようなベストを着たトレーダーが行き来している。ベストには番号が書いてあり、それで所属企業や個人を識別するのだろう。取引方法はザラバ、つまり欧米の市場や日本の証券市場と同じでその場にいるトレーダーのうち最良の呼び値、つまり買いなら最も高い値段で売りなら最も安い値段を提示する相手に対し早い者勝ちで売買を締結する。呼び値の提示は取引時間終了まで間断なく行われ、トレーダーは市場のムードに応じて呼び値を上げたり下げたりする。
取引は活況を呈しているようだ。以前はもっと取引参加企業が多かったが、一方で競合する取引所も多く存在していた。政府の締め付けのせいで参加者数は減ったものの、市場も集約されて取引量が集中しているらしい。環期公司でも、海外市場だけではなく国内市場の取引部門にも力を入れ始めているという。
上海訪問はまずまずの手応えだった。セミナー参加者からの注文が増えればよいが、中国国内の市場が整備・進化しつつあるのは気になった。いずれ日本市場のライバルになるのかもしれない。
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