4-4 日本と言えば富士山

 午前中の座学は航空券紛失のトラブルで潰れてしまったが、午後の東京工業品取引所訪問には影響がない。取引所のビルは、地下鉄日比谷線の小伝馬町駅から少し人形町方面に戻ったところにあった。

 まず広報部に出向いて来訪の挨拶をする。広報部長は「チャイナ・マネーには大いに期待してます。うちの貴金属やゴムの取引もよろしく頼みますよ」と愛想よく応えた。海外向けの取引所資料を持たされた後は立ち合い場、つまり板寄せの取引市場を見学だ。ガラス越しに立ち合い場を見下ろすと、高台と呼ばれる正面の檀上の中央にセリ人が立ち、左右に算盤を持った職員が並ぶ。高台の下に並んだ机にも職員が座って帳面を開いている。高台を取り囲むように取引員各社の場立ちがU字型に並び、それぞれが壁際の電話につなげたヘッドセットをして、自社業務部の場電係と話している。城東通商の場立ちもいる。『彼がうちのスタッフですよ』と指さして研修生らに伝えると、場立ちは私が連れて来た来客に気付いたのか軽く会釈した。


 取引の時間となった。セリ人が台に置いた撃柝と呼ばれる拍子木を二回打ち鳴らして「ゴム、当限!」と叫ぶと、何人かの場立ちが指で数字を示しながら右手を上げる「手振り」を行う。セリ人が端から順に手を挙げた場立ちを指差して手振りを読み上げて行く。「カネト三枚買い、マルエー五枚売り……」セリ人に読まれた場立ちは手を下げ、その間場立ちたちは手振りの実況を自社の場電係に伝えている。算盤を持った職員は売買の数量を弾いて行く。読み上げが一巡した所で、セリ人がその時点の売買の差であるハナを伝える。「六枚買える!」買いハナ六枚なので唱え値が引き下げられる。三十銭下がったところで買いハナを取る会社がいた。激卓を一回打って価格決定だ。そんな調子でゴムであれば期先まで六つの限月の値決めが順番に行われる。

 最も取引の集中する先限さきぎりのセリでは、城東通商もかなりの数の注文を出していた。

『環期さんの注文も入っているかもしれませんね』と話すと、周さんが『広州ではゴムの取引が人気ですから』と言う。中国の天然ゴムの産地である海南島に近いということもあるのだろう。

 すべての限月の取引が終わると、場立ちが自社の売買の明細を記入したシートを取引所職員に渡している。立ち合い中に手振りで伝えた売買だけでなく、各社の社内で売りの客と買いの客の注文数が合致していたためセリには出さなかった分も報告し、顧客から受け取った注文はすべて取引所に知らせるのがルールだ。報告しない「呑み行為」は重大な違反となる。呑み行為を行えば取引員が取引所に支払うコストは少なくなるが、いずれは監督官庁への監査報告で露見する。それを胡麻化すには大掛かりな帳簿の改ざんが必要となり、結果として更に厳しい国税局に目を付けられることになる。


 また、注文執行がセリの値決めに間に合わなかった顧客からの「売りたい」または「買いたい」といった駆け込みの注文希望があった場合、一定時間内であれば取引員はそうした顧客の希望注文の相手方となって自己売買を行い、追加取引として報告することができた。すべての取引がセリで決まった一本の値段で処理されるため、そのように売り買い同数にした売買を後で報告することが可能になる。

 当時、顧客の売り買いに対して取引員の自己売買が向かっていることについて、意図的に顧客を損させて自分は儲ける「客殺し」の手法だといった批判が良く行われていた。しかし、相場変動の方向が予め分かるのであれば、わざわざ営業社員を雇って客を勧誘せず自己売買だけやる方が効率的だ。損をした顧客は納得が行かないので、偶然の結果に対して難癖を付けているに過ぎない。

 とはいえ、経験的に客が慌てて買いたいようなときは天井掴み、焦って売りたいようなときは大底近辺であることが多いので、結果的に顧客が損をしてその注文を成立させるための相手方となった取引員の自己取引が利益になっているとも言える。


 翌金曜日は東京穀物商品取引所を見学した。年季の入った東京工業品取引所の建物とは対照的に、重厚なガラス張りの壁面の外側にはギリシャの神殿を思わせるような円柱の並んだ立派なビルだ。戦時統制で廃止される前にはコメの先物取引を行っていた米穀取引所の跡地に建て替えられたものらしい。それもあってか、日本橋堀留町の繊維問屋街にある東工取とは違い、蛎殻町の穀取の周辺には老舗の取引員がいくつも軒を並べていた。昭和の時代には「赤いダイヤ」と呼ばれた小豆相場で活況を呈したが、時代の変化と共に取引の主役は大豆やトウモロコシに移っている。そうした変遷の話をしつつ、帰りには人形町でたい焼きを買って食べた。


 週末にどこへ行きたいかと聞いたら、「富士山」と趙さんの鼻息が荒い。欧米人が喜ぶ定番観光地の寺院は中国にもあるし、神社だって中国には道教の廟があるからと言う。私はどちらも日本と中国では相当に趣が違うと思うのだが、とにかく日本に行ってきたという何よりの証拠は富士山なので、是が非でも富士山を背景に写真が撮りたいということだ。他の二人も異存が無いようなので土曜日は車で河口湖に行き、日曜は都内で観光とお土産探しとする。中央道で河口湖まで行き、山中湖を回って帰りは御殿場から東名高速というルートで回る計画を立てた。

 幸い土曜日の天候は晴れとなり、湖畔で富士山を背景に写真を撮った趙さんはじめ研修生は大いに満足のようだった。日曜も快晴で、浅草を観光してから水上バスで隅田川を下った。日の出桟橋で上陸し浜松町まで歩いて山手線に乗って新宿に向かったが、残念ながらどこへ行っても東京の桜の開花にはまだ早いようだった。


 月曜日は横浜生糸取引所訪問だ。朝から東京駅で東海道線に乗り横浜へ、そして根岸線に乗り換えて関内に向かう。取引所は横浜港大桟橋の入り口に位置するシルクセンターにあった。応接室に通されると窓から港やベイブリッジが一望できる。研修生たちも後で訪れた立ち合い場よりもこの眺望の方が圧倒的に印象に残ったようだ。

 見学後はシルクセンターを出て山下公園を散策し、ホテルニューグランドの横を通って昼食のため中華街を目指す。どうせ会社の経費だからと、華正樓で豪勢なランチを食べた。華正樓は取引所のパーティーにも使われるので、私たちには馴染みがあった。その後は桜木町でみなとみらいを観光し、帰りは桜木町始発の東急東横線から地下鉄日比谷線に乗り継いで会社に戻った。

 最終日の研修は振り返りと質問だ。一週間の日程が終わるのは早い。午後には社長に挨拶し、サリーや応礼ら国際事業部のメンバーとも別れを告げる。翌日は寮に迎えに行ってそのまま車で成田に向かうのだ。研修生滞在中は航空券を無くしたこと以外に大きな問題もなく、成田のカウンターで無事チェックインを済ませて出国検査のゲートに三人を送り出したら、思わず「あー、疲れたな」と独り言が出た。だが、まだこれから東京まで一人で運転しなければならない。

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