4-2 研修生が来た

 環期公司から知らせてきた研修生は本社の李宣さん、上海は趙東勇さんで広州からは周慶利さんと全員三十代の男性で、役職は日本の課長に当たる経理だ。江戸川区西葛西にある会社の独身寮に三部屋確保した。まだ新入社員が来ていないので比較的空いている。毎日地下鉄で会社に通ってもらおう。寮はワンルーム・タイプで各部屋にベッドとユニットバスが付いており、談話室にはテレビもある。寮生は皆自分の部屋にテレビを持っているから、談話室のテレビは研修生専用に使ってもらえるだろう。昼食は社員食堂を利用し、夜と休日はできる限り私たちが付き合う予定とする。事前に寮に行って、管理人にも挨拶した。老齢の男性だ。ゴミ箱にはプラスチックや缶・瓶、その他などと英語で書いた貼り紙をしておいた。

 招聘状に問題はなく、蔡さんからはビザを無事取得して航空券も予約したという連絡があった。各自バラバラに来るのではなく、一旦北京の本社に集まって一緒に来るようだ。研修は半分座学、半分は社内や取引所を見学して回る予定にしている。横浜生糸取引所の見学は、横浜までの小旅行にもなる。一行は春分の日の連休明けとなる火曜日に来日して翌週の水曜に帰国するため、正味の研修期間は五営業日だ。


 研修生到着の日、私は会社の車を運転して成田空港に向かった。三人の研修生が乗るので、迎えに行くのは私一人だ。李さんとは面識があるが、念のため「歓迎 中国環球期貨有限公司」と書いた紙を持って到着出口で待つ。昼過ぎに到着の中国国際航空の便は予定通りに着陸し、通関中となっている。しばらく待っていると、中国人と思しき集団が出口から次々と出てくる。何組かが通り過ぎた後、李さんを含む三人組がドアから出てきた。手を振ると笑顔でこちらに来たので次々と握手する。

『ようこそ、日本へ。李さんはお久しぶりですね。皆さん、日本は初めてですか?』

『お出迎えありがとうございます。我々は海外に出たのも初めてですよ。一人でそれぞれ行かせるのは不安だというので、北京の本社に集められました。蔡総経理が北京空港まで引率してくれたのです』

 李さんがそう言った。一緒に来た上海の趙さんは肌の浅黒い角張った顔をしており、広州の周さんは細身で三人の中では一番背が高い。

『慣れない道中で、精神的にもお疲れでしょう。まず車で寮までお送りします。荷物を置いたらそのまま私たちのオフィスに向かいましょう』

 駐車場に向かう。三人のスーツケースはそれ程大きくない。余裕でトランクに入るなと思った。車に着いてどうぞとドアを開けると趙さんが驚く。

『森脇さんが自分で運転するのですか?』

『日本では大抵の人が運転できますよ。うちの社長も運転するのが好きです。運転手付きの車に乗るのはお年寄りか権威主義の人ですかね。私の運転は上手ではないですが、これでも無事故無違反の優良ドライバーなのです』

 皆感心している。中国ではまだ自家用車が少ないので、自分で運転するという発想にはならないのだろう。旧知の李さんが助手席に座り、趙さんと周さんが後部座席に座った。三人共同じ役職だし、比較的新しい会社なので先輩後輩の上下関係も特には無いのだろう。

『さっきも言ったように、優良ドライバーですが上手ではありません。念のためシートベルトは締めておいて下さいね』

 そう言うと、皆神妙な顔でベルトを締める。

『ここは新東京国際空港と呼ばれてますが、実は東京ではありません。東京までは一時間ちょっとのドライブです』

 空港の敷地を出た東関東自動車道の周辺は、幕張辺りに至るまで都会の雰囲気を感じさせない。湾岸千葉のインターチェンジを過ぎたらビルも目立ち始めて、研修生たちはホウと声を上げた。江戸川放水路を超えて首都高に入るとやがて左側にディズニーランドが見える。

『あれが東京ディズニーランドです。アメリカのテーマパークですね。寮はもうそう遠くないから、夜はパークで打ち上げる花火が見えるかもしれませんね』

 後年香港や上海にも建設されるディズニーランドも、この頃米国以外には東京とパリにしかなかった。 

 葛西の出口で高速を降りて倉庫街を抜け、寮に到着した。寮生が全員出勤しているから、営業車を停める駐車場も空いている。トランクから荷物を降ろして管理人室に声を掛ける。

「お疲れ様です。中国の研修生を連れてきました。今日から月末までお世話になります。何かあったら先日も言ったように国際事業部に連絡してください」

 管理人は「あんたも泊まって世話してくれたらいいのに」と言っていたが、ずっと一緒だと監視されているようで研修生も嫌だろう。管理人から部屋の鍵を受け取り、各自に渡す。大きな荷物があるかもしれないということで、一階の並びで部屋を用意してある。荷物を部屋に置いたら、談話室や共用洗濯機の使い方、ゴミの捨て方などを説明する。寮の使い方を中文で説明した紙も渡しておいた。


 一息ついて身軽になった研修生を再び車に乗せて、会社に向かう。李さんはお土産だという紙袋を抱えている。西葛西から清砂大橋を渡ると、あとは永代通りを真っすぐ進むと日本橋だ。道が空いていれば三十分かからないが、酷く混んでいたら小一時間かかる。この日の混雑状況は、そこそこと言ったところだ。

『地下鉄だと二十分の距離なので、会社まで通うのは楽ですよ。この辺りは十七世紀中頃、中国で言うと清朝初期くらいの時代に開発された下町です』

 富岡八幡宮の鳥居の前を通り過ぎながらそう説明する。研修生はふんふんと聞いているが、歴史にはそれ程興味はないようだ。

『東京は日本の歴史の中では比較的新しい都市で、十六世紀までは小さな田舎町でした。十七世紀初めに京都から政治の中心が移って急速に発展したのです』

 そうやって道すがら東京案内を話しているうちに永代橋を越え、程なくして会社に到着した。受付で内線電話を使って国際事業部に連絡し、研修生を応接室に通す。応礼がお茶を持ってきたので紹介する。

『うちのチームの林小姐です。御社の担当をしています。今回の研修の資料も彼女が翻訳しました』

 応礼が研修生たちと中国語で話す。この後社長に会うときも通訳をする予定だ。雑談していると、酒井部長が社長を伴って来た。社長を交えて改めて挨拶だ。翌月のセミナーに向けて応礼の通訳の練習にもなる。研修生のお土産は立派な工芸品だった。非常に繊細な造りの良さそうな物だが、貰っても困る類のお土産だな。応接室にでも飾っておくしかないだろう。

 鹿島社長は、興味があることは何でも聞いてほしいことや、来月自分が中国へ行くのを楽しみにしていることを話した。社長への挨拶が終わると、国際事業部に移動してチームの皆を紹介する。そして歓迎会を兼ねて和食店で夕食にする。もちろん座敷は無理なので、テーブル席のある店だ。刺身は初めてのようで恐々試したが、その他の料理は気に入ったようだ。サリーの北京語はそれなりに通じている。


 研修生たちが日本に来るまでの各自の旅程の話では、広州の周さんは北京に集合するためにホテルを予約した際、チェックインの時まで女性だと思われていたそうだ。部下の女性に手配を頼んだのだが「慶利」という名前を口頭で伝えると女性的な響きがあるようで、電話を掛けた女性本人の予約と思われたらしい。

 逆に応礼の名前は男性的な響きということだ。どちらも「リー」という音で終わるのだが、「利」は四声で「礼」は三声だ。どうやらネイティブの感覚では四声だと女性名らしく聞こえ、三声だと男性名のように聞こえると思われる。周さんは李さんや趙さんから、「自分で予約しないで部下にやらせるからだ」と揶揄われていた。

 しばらく歓談した後は、私が引率して寮に帰る。地下鉄の切符の買い方や乗り方を教えたが、自動改札は珍しいようだ。日本円は、中国で両替して持参してきたらしい。朝会社に向かうときは日本橋・中野方面、寮に帰るときは西船橋方面。どの列車に乗っても大丈夫だが、帰りは快速に乗ると西葛西には止まらないと注意しておく。中国の簡体字とは異なるが、看板や行き先表示などは漢字で書いてあるから理解しやすいと言っている。

 コンビニで買い物する方法も教えた。店員は日本語しか話さないが、レジに値段が表示されているからそれを見て払えば問題ない。お札で払えば、お釣りをごまかす店員はいない。三人を無事に寮まで送り届け、翌朝は念のため寮に迎えに行くことを約束して、自転車を置いてあるため一度会社に戻った。

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