3-3 コネを持つ人

 一夜明けて、広州の二社を訪れる。まず午前中に富盛期貨、午後は鴻隆期貨という会社に行く予定だ。朝食を終えた私たちは、大きな荷物をホテルに預けてタクシーで富盛期貨社に向かった。袁と名乗るヘルメットのような独特の髪型の総裁に出迎えられ、応接室に通された。馬氏が私たちを紹介し、軽い世間話で座を温めている。応接室の壁にはヘルメット総裁が地元の有力者と思しき人々と握手する写真が何点か飾ってある。私たちも知っている中央政府の大物と一緒に撮った写真もあった。この部屋に通された顧客は、総裁の顔の広さに安心感を覚えるのだろう。中国でのビジネスは共産党や政府とのコネの強さが大きくモノを言う。ただ、そうした写真の中に私たちは気になる一枚を発見した。

「あれ、金原さんだよな……」

 酒井部長がつぶやきながら顎で示す写真は、ストライプ柄のダブルのスーツを着て髪をオールバックに撫でつけた中年男性がヘルメット総裁と笑顔で握手しており、両者の手には契約書のような書類が見える。スーツ姿の男は、日本の商品取引員エクセレント商事の金原社長に酷似していた。急成長中の同社を率いる金原氏は業界誌を飾ることも多く、業界の集まりなどで私も何度か見かけたことがある。部長は面識もあるだろう。

 そんな写真が飾ってあるということは、富盛期貨は既にエクセレント商事との取引を始めているか近く始めるということに違いない。

 私たちが金原氏の写真を見ていることに気付いたのか、ヘルメット総裁が悪びれる様子もなく説明するのを馬氏が通訳する。

「先日エクセレント社の金原社長が来て、覚書を交わしたそうです。まあ、取次先は一社と限定されているわけではないので、城東さんとの商談にも興味があると言ってます」

 またか。ここも競い合わせて手数料を安くしようという魂胆だな。既に覚書も交わしたエクセレントに対して遅れをとっている城東に期待されているのは、ディスカウントで割り込むこと。中国人にとっては常識的な戦略なのだが、私たちはそれには乗らない。


 同社の事務所を覗いたとき、他にも気になる点があった。ホワイトボードに東京ゴムや横浜生糸、前橋乾繭という文字と値段が書かれているのだ。応礼の翻訳をひたすらワープロ入力したおかげで、私は橡膠ゴムなどといった上場商品の中国語名には詳しくなっている。エクセレント商事との取引は覚書の段階なので、まだ取引は始まっていないはずだ。取引開始に向けて準備を始めているのか、あるいは何か別の用途があるのか。

 私が懸念したのは東南アジアで流行っているブラック・マーケットだ。東南アジアに行くと、現地のブローカーが普通に日本の商品先物取引を扱っていた。中には城東シンガポールのような正規ブローカーに日本での取引を取り次いでいる会社もあるが、大半の中小ブローカーはそんなことをせず顧客と相対で博打を張らせている。現地の新聞には日本の商品先物市場の価格が掲載されているので、それによって顧客の取引の決済を行っているのだ。中国にもそのような闇市場があるのかどうかは分からないし、国内商品市場ができているならそちらを使えばよいとは思うが、以前から闇市場があるならその人気もすぐに衰えることはないだろう。広東省は香港や東南アジアに近くそういう市場へのアクセスも容易だろうし、部長や馬氏が警戒したように深圳の会社にもそういう懸念を感じさせるものがあった。


 良い返事をお待ちしてますよ、と下卑た笑顔で言うヘルメット総裁に別れを告げ昼食に向かった。富盛期貨は、持ち帰って検討した私たちが値引きの商談を持ち掛けてくるとでも思っているようだが、残念ながら帰国後にテンプレートのお礼状を送って終わりになる。

「価格交渉のダシに使うような話ばかりですみませんね」

 昼食の飲茶を食べながら馬氏が申し訳無さそうに言う。元々ビジネスになると当てにはしていなかったが、実際に来てみると他社の動きも予想より早いことが確認できた。私たちの目的自体、代議士の面子のために来るのが半分、リサーチが半分といったところだ。前日から二社回ったところで大体の様子は見えてきたので、収穫としては十分と言える。


 ランチを終えて最後の会社、鴻隆期貨を訪問した。同社の梁総裁は四十代半ばの眉毛の濃い男だ。ここでも、馬氏が現状の確認と先方の要望についてまず聞き取りする。鴻隆はまだどの日本企業とも提携には至っていないようだ。まとまった額の海外送金に難があるという。ただし、同社は親会社系列の関連会社が香港にあり、そこを通じてバンク・ギャランティーが出せるらしい。

 これは私たちのチャンスだ。鴻隆グループ香港法人を城東シンガポール法人の顧客にして日本に注文をつなぐ。そういうスキームが無い取引員には手が出せない。同様の仕組みを提供できる会社なら競合可能だが、そういう企業は城東を含めて付加価値の無い価格競争は避ける傾向がある。政府の許認可権に守られた業界だけに、総じてガツガツしない空気が各社にはあった。

 私たちの説明に対し、梁総裁は大いに乗り気になった。同社名義で証拠金を国外送金するハードルは高く、もう国内の市場だけで商売をしようかと考えていたようだ。ただ、海外市場と実際につながっている会社というのは大きなセールス・ポイントになるようなので、できればやってみたいという希望も強い。そして、香港法人を経由することにより馬氏も管理の目が届きやすくなる。全員にメリットのある商談になりそうだ。

 注文は環期公司と同様に主にファックスで送り、一応香港の関連会社が城東シンガポール法人の顧客ということになるが、実際には広州から東京に直接注文をすることになる。形式上の契約主体が香港法人になるため、シンガポール法に基づいた委託契約のほか、馬氏の顧問弁護士が確認する覚書も交わすことになった。今日のところはそこまで話を詰めて、後は馬氏が準備する書類を見た上で正式契約となる予定だ。

 梁総裁は夕食でも一緒にどうかと誘ったが、私たちは夕刻の汽車で香港に戻る必要があるため、また後日の約束をして駅に戻った。会社案内のほかに、せっかく作った罫線のガイドブックも梁総裁に手渡しておいた。

 汽車の中では馬氏が上機嫌だった。実際のところ彼もそれほど期待はしていなかったようだが、初めて取り組む分野のビジネスに関わることができて興味深いと話している。今後鴻隆期貨とのビジネスについて馬氏に対するコストは掛かる可能性があるものの、彼のネットワークを使ってリスク回避につながる監督ができるのであれば悪くないだろう。

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