3-2 中国らしい商売
出発の朝、スーツ姿の私たちに対し、馬氏はポロシャツにジャケットというややカジュアルな出で立ちで現れた。握手と挨拶を交わしてタクシーで駅に向かう。大学の先輩ということだったので酒井部長は馬氏のことを「先輩」と呼び、馬氏もそう言われて喜んでいるようだ。羅湖行きの電車は郊外に向かう通勤電車といった趣だった。羅湖で入管を通過すると、馬氏は慣れた様子で私たちを伴ってタクシー乗り場に向かい、運転手に広東語で行き先を告げた。
十五分ほどで目的地に着いたようだ。深圳は八十年代から急速に発展を始めた新しい街なので、どこへ行っても新しいビルが建ち新規の建設も進められている。通りに面したオフィスビルの一階に店舗を構える宏豊期貨公司に入る。小奇麗な受付で訪問を伝えると、四十代と思われる人の好さ気な男が出迎えた。この会社の総裁で王氏ということだ。馬氏とにこやかに言葉を交わし、私たちにも広東語で挨拶してくる。
王総裁の会社は従業員が三十名程度。現在事務所に居るのは十名弱で、残りの社員は営業に出かけているようだ。総裁の部屋に案内された。癖の強いプーアル茶を出してもらう。馬氏が軽く先方の現状を探る。彼のパートナー企業から話が通っているはずだが、会話を続けるうちに馬氏の表情が僅かに曇る。
「彼らは日本の別の会社と取引の話を進めているそうです。手数料安くしてくれたら、城東さんと付き合ってもいいと言ってます」
馬氏が私たちに通訳すると、王総裁は部長の反応をうかがっている。彼らにしてみると、既に他社との交渉を進めているため日本への取引委託先で困っているわけではない。城東を割り込ませて二社で値段を競わせようという腹なのだろう。
そういう展開も予想していたが、価格競争をする積りはなかった。私たちのビジネスは海外子会社などを活用したスキームによる利便性を提供することであって、値段だけで勝負しているわけではない。また、国内の個人顧客の公定手数料は非常に高く、海外顧客に対する過剰な値引きは個人営業部門を刺激して社内的にも軋轢を生みやすい。現物業者扱いとなる商社や海外からの注文に対しては優遇手数料が設定されているのだが、それよりも更に安いレートは違法とまで言えないものの歓迎されない。我々だって海外市場の手数料と競争しているのだが、国内しか見ていない者からするとそんな値引きをしたら誰だって注文が取れると思うようだ。そんなわけで、持ち帰って検討してみますと言って、会社案内だけ渡して王総裁の会社を後にした。
タクシーで深圳駅に戻る途中、馬氏がぼやく。
「日本人は会社の信用とか商売の付加価値を重視しますが、それが中国人には分からないですよ。彼らはいつでも目先の値段だけしか見ない」
「先輩、今の会社、呑み行為もやるんじゃないですか? 注文を全部日本に取り次ぐ気はないでしょう」
酒井部長が言うと、馬氏も同意する。
「酒井さんもそう思いますか。中国人を相手にしていたらよくある話。値切った上に相手の名前だけ利用して注文は全然しない。あそこは多分余りいいお客さんにならないでしょうね」
外貨持ち出し規制の厳しい中国では、日本に送る証拠金の手配も大変だ。売り買いの注文は自社内で相殺させて日本に出す注文を絞れば、必要な証拠金額も抑えられる。それを呑み行為という。そういう運用をされた場合、注文が少ないのでは馬氏もキックバックが期待できそうにない。早々に見切りを付けて広州の会社に期待だ。
途中のレストランで軽めの昼食を済ませ、戻って来た深圳の駅から鉄道で広州に向かう。馬氏は軟座の席を確保している。軟座は日本でいうグリーン車に当たり、自由席は硬座という名前でいかにも座り心地が悪そうだ。広州までは二時間半程度の旅になる。乗車すると女性の車掌が来て、チケットをプラスチックの板と交換した。板には座席番号が記載されている。降りるときにまたチケットと交換するらしい。切符購入者が正しい席に着いたことを確認する仕組みのようだ。軟座席は快適だったが、消毒のせいなのか卵を茹でるような匂いが車内に漂うため終始気になって仕方がない。
消毒臭に耐えてようやく広州駅に着くと、駅前の広場にはおびただしい数の人々がたむろしていた。群衆の身なりは、大半が余り良くないものだ。馬氏によると地方から出稼ぎに来た人たちが集まっているそうで、彼らの中にはホームレスも多いという。気候の温暖な地域なので冬でも野宿はし易いのだろう。関わっても碌なことは無さそうなので、そそくさとタクシーを拾ってホテルに向かう。到着したホテルはかなりの高層ビルで、私たちの泊まった部屋は三十五階だった。駅前に群がる流民と高層ホテルの対比は、経済発展の波に乗り始めた者と置いて行かれる者の姿を象徴するようだ。
私はそれまで三十階を超えるようなフロアでの宿泊など、日本はおろか米国でも経験していない。シカゴ研修中に泊まったウイークリー・マンションの窓からは当時シアーズ・タワーと呼ばれていた超高層ビルを見上げることができたものの、私が高層階に宿泊することはなかった。馬氏のアテンドのお陰で人生初の体験を中国で迎えることになった。また、馬氏に任せていれば外れの無い食事にありつけ、ガイド代も安いものという気がしてきた。そして日本留学時代に馬氏は横浜中華街もよく訪れたようで、本場香港と遜色ない料理が食べられる店を教えてくれた。帰国後にそこへ行ってみるのも楽しみだ。しかし、馬氏の学生時代から何十年も経っているので、その店が現存していたところで代替わりして味が変わっている可能性も否定できない。
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