1-3 万能の手法

 蔡さんは専務や部長に同行するため、彼の部下で経理の李宣さんが会議室に案内してくれた。経理は日本の企業でいう課長に当たる役職だ。董事長が会長、総裁が社長、総経理が部長ということになる。提携契約の交渉中も何度かファックスのやり取りで接触があった李経理だが、今後は業務担当者同士として頻繁に連絡し合うことになるのだろう。

 李さんは商家の若旦那といった雰囲気の優男で、留学経験はないそうだが日本人訛りの私よりも遥かに聞き取りやすい流暢な英語を話す。環期公司本社には、蔡さんの他に日本語が堪能な社員はいないということだった。

『私は中国語で講義内容を説明できませんが、英語で説明しても大丈夫ですか? それとも李さんが通訳をされるのですか?』

『問題ありません。今日参加するスタッフは皆、英語ができますよ。どうしても理解が難しいようなら、私が補足説明します』

 既に米国での取引をしているのだから、英語ができる社員もそれなりに居るのだろう。

『分かりました。ところで、社員の方々は罫線についてのどの程度知識があるのですか?』

『中国語で書かれた解説書はまだ無いので、アメリカから取り寄せた洋書で研究しています。一通り本に書かれた内容には目を通していますが、経験者からのお話しを聞く機会が少ないのです。蔡総経理が一番詳しいのですが、多忙ですから……』

 蔡さんは日本の先物業界に勤めていたとはいえ、個人向け営業に特化した彼の古巣には理論派の社員は少ないような気がする。環期公司の社員たちが勉強している欧米式のバーチャートにも馴染みはないのだろう。

『日本には古くから商品先物市場があるそうですね。そこで培われてきた罫線分析のテクニックに詳しい方から、直に話を聞けるのはまたとないチャンスですよ。私も楽しみにしています』

 何やら期待されているような気がする。業務提携調印早々に失望させないようにしなければ。


 会議室に入ると、十人程の若い社員たちが一斉にこちらを見る。皆、二十代半ばくらいのようだ。李さんが皆に私を紹介する。「城東通商」や「森脇係長」に「K線」など知っている固有名詞は何となく聞き取れる。K線は日本語の罫線を音訳したものだ。紹介が終わり、李さんが私に『どうぞ』と促す。

「大家好,我姓森脇。很高興今天有機会給大家講課。(皆さんこんにちは。センシエと申します。本日は皆さんに講義する機会をいただき、大変うれしく思います)」

 あいさつぐらいは中国語で決めようと私が話すと、室内に緊張の解けた空気が流れて静かな笑いが起きた。全員が身構えていたところに、私が何やら中国語かどうかも怪しい意味不明の言葉を喋りだしたせいだろう。李さんの方を見ると苦笑している。やはり中国語でのコミュニケーションは無理だ。

『残念ですが、私が中国語会話を試そうと思うのは挨拶だけです。この度御社と業務提携を結び、当社は今後皆さんと一緒に密接なビジネスをすることになりました。今日は皆さんと共に罫線分析について議論する機会をいただき、大変光栄に思います。皆さんは既に欧米のテクニカル分析について学ばれているとうかがいました。今日お話しするのは、十八世紀に日本で開発され、現代でも世界中で活用されているローソク足についてです』

 用意されたホワイトボードを使って私が説明を始める。ローソク足は、江戸時代に米相場で財を成した出羽酒田の豪商本間宗久が考案したと伝えられる。欧米で主流のバーチャートより、「足」と呼ばれる罫線の単位一本一本の中での値動きが視覚として捉えやすい。また、罫線の一連の流れから市場の趨勢を読み取る分析手法が多彩だ。


 伝統的な罫線の見方について一つ一つ説明する。欧米のチャート分析に取り入れられた内容も多く、受講生たちは問題なく理解してくれているようだ。他にも、大引け三本抜け新値足など非時系列の分析や時系列チャートとテクニカル指標の組み合わせなどを説明する。一通りの解説が終わったところで質問を受けた。

『様々な手法を教えていただき、ありがとうございます。ところで、この中で最も効果的なものはどれなのでしょうか?』

 受講生の一人が質問する。才気走った顔つきの青年だが、身に着けている服装は幹部社員に比べると垢抜けていない。

『効果的というのは、最も高確率で相場の方向性を予想できるという意味ですか?』

 私が聞くと、彼は大きくうなずく。

『実のところ、それ一つあればいいという万能の手法は存在しません』

 笑顔で答えると、受講生たちには苦笑と軽い落胆が広がる。しかし、時期や市場の種類に関係なく、どんなときでもピタリと値動きを予想できるような魔法があるわけではないのだ。

 長い年月を経て個々のテクニカル分析は相当に洗練されている。二十世紀も終わりのこの頃には、新しいアイデアも出尽くした感があった。決まったいくつかのポピュラーな分析手法のうち、今の値動きに合った指標というのが大抵見つかる。何のことはない、市場参加者の多くがそう思って注目する指標こそが、そのときに値動きを主導する要素になるのだ。従って、そうした「流行」の指標をいち早く発見して流れに乗ることが大事だと、私は考えていた。

『罫線も他の指標も、誰にでも入手できるものですよ。でも、今どれを見るべきかを知るためには、市場の中にいて息吹を感じ取る必要がある。顧客にはそれは難しいかもしれません。皆さんや私の存在している理由の一つがそこにあるわけです』

 納得している顔もあれば、腑に落ちないという表情もある。罫線分析の専門家という触れ込みで話をしているのだから、価格予想の必勝法みたいなものを伝授してもらえるとでも思ったのかもしれない。


 私自身は基本的に需給のようなファンダメンタルを重視し、テクニカル分析を過信していたわけではなかった。何年か前に研修で訪れた米国シカゴの先物ブローカーでも、コンピュータ端末の画面を睨みながら矢継ぎ早に裁定取引の注文を出すトレーダーが、自分はチャートなど見ないと言い放っていた。

『だって、あれは芸術みたいなもんだろ』

 面倒くさそうにそう言うの聞いて、私は彼らの会社のチーフ・アナリストが製図用具のディバイダーを使ってエレガントなチャート波動分析を説明する姿を思い浮かべた。髭面のアナリスト氏の立ち振る舞いは、確かにアーティストといった方が似合いそうだった。

 九十年代初めの米国市場では、数学モデルによりコンピュータで算出した理論価格と実際の市場価格との乖離を狙う裁定取引がディーリングの主役になりつつあった。ただ、まだ日本の商品先物市場には古き良き時代が続き、産声を上げたばかりの中国の先物市場もまた、鉄火場に過ぎなかった。

 何となくすっきりしない形でレクチャーは終わり、受講生に別れの挨拶をして会議室を後にする。専務や環期公司の幹部ら共にと昼食に出かけるのだ。

『今日の話は、お役に立つでしょうか?』若干の引っかかりを感じつつ李さんの反応をうかがってみる。

『興味深い内容でしたよ。経験のある人のお話には含蓄がある。機会があれば、またお願いしたいと思います』

 李さんの答えは本心なのか、何か気の利いたことを言いたかっただけなのか分からない。ただ今後の取引拡大のためにも有益であって欲しいものだ。


 ベンツや紅旗といった幹部用の社有車に分乗して、少し離れたホテルのレストランに向かう。もちろん高級中華料理だ。今回は注文も中国側にお任せで、食べきれないような心配事もなくリラックスして食事を楽しめた。

 中国での宴席では強引に酒を勧められると警戒していたが、海外経験の豊富な環期公司の人たちは、意外なことに軽く嗜む程度だ。

 すっかり満腹になった頃、この後の予定の話となった。私たちの帰国は翌日の予定だ。前日に故宮へ行った話をし、まだ万里の長城には行っていないと告げた。そうすると、楊総裁が自分の車を貸すのでそれに乗って行くように提案してきた。観光地として高名な八達嶺の長城まで、車で一時間余りなのだという。バスかタクシーで行く積りだったが、確かにベンツの方が快適だ。ご厚意に甘えることにする。

 昼食を終え、環期公司の人々は会社に戻り、私たちは楊総裁の車で万里の長城に向かう。ホテルに戻って着替えなどしていると運転手さんが残業になっても困るので、そのまま出発することにした。荷物も環期公司の車に積んでおけば安全だ。

 途中、観光客を満載したバスを何台か追い越し、快適なドライブとなった。山間の道を進み八達嶺に到着する。

 駐車場に車と運転手を残し、私たち三人は長城に向かった。おびただしい数の売店と観光客だ。みすぼらしい小屋のような売店が堂々と「国営」の看板を掲げているのは微笑ましい。

 意気込んで少し登ってみると、万里の長城の勾配は予想以上に大きなものだった。スーツに革靴で来たのは失敗だったかもしれない。私たちは、無理せず撤退することにした。落書きだらけの城壁に手をかけ、慎重に降りる。観光地が落書きだらけになるのはどこでも一緒のようだ。

 戻ると運転手は「もういいのか?」という風に驚いていた。車を離れて三十分と経っていない。また来る機会はあるだろうからということで、ホテルまで送ってもらうことにする。


 帰りの車中では夕飯の話題になる。前日の失敗もそうだが、今日の昼も中華だったので脂っこいものには皆食傷気味となっていた。といって洋食では芸がないし、わずか三日の滞在で和食が恋しくなることもない。

「薬膳なんてどうですか?」

 私が提案してみる。薬膳は漢方を駆使し医食同源の思想を体現した料理だ。健康にもよく、前日からの飽食で疲れた胃腸に優しいに違いない。

「面白そうだね。せっかく中国まで来たのだから、日本じゃ食べられないものに挑戦しないとな」

 部長が食いついてきた。ガイドブックによると、北海公園にある「坊膳飯荘」が有名らしい。中華宮廷料理のフルコース満漢全席でも知られる高級店だ。

 夕食が決まったところで車は北京市街に入り、程なくしてホテルに着いた。着替えたら、再びタクシーで外出だ。北海公園は昨日訪れた故宮の隣に位置する。夕刻とあって、辺りには散策を楽しむ市民の姿が見受けられた。

 公園の入り口でタクシーを降りたが、レストランがどこなのかよく分からない。前から歩いて来る母娘連れに聞いてみた。

『すみません、坊膳飯荘を探しているのですが、どこかご存じですか?』

 すると母親が振り返って木立の方を指差し、『あの中だよ』と教えてくれる。珍しく一発で通じたのだ。幸先が良いような気がする。この辺りで同じような質問をする外国人が多くて、発音が悪くても察してもらえるのかもしれないが。

 言われた通り進むと、古風で伝統を感じさせる建物には間違いなく同店の看板が掛かっている。なかなか良い雰囲気だ。ウェイトレスも宮廷風の衣装を身に着けている。予約はしなかったが、問題なく入店できたので、さっそく薬膳のコースメニューを頼む。

 食事が始まると、嬉しいことに適量だ。味も悪くない。悪くはないが何となく漢方薬っぽい。それは薬膳なのだからと納得するのだが、普段あまり見かけない食材が使われているような気がする。サソリやヘビは、まあ序の口のようなものだ。味は問題ないのだ。

 スープが出てきたら、ゼリー状のチューブに入った数珠のような具が見える。水田や池で見かけるあれだろう。メモ紙に『これは何か?』と書いてウェイトレスに聞くと、微笑を浮かべて「青蛙的后代(カエルの子孫)」と書いてくれた。やはりそうだ。「蛋」という卵を表す普通の言い方をしないところが高級レストランというわけか。

 蟻を振りかけたケーキが締めくくりの薬膳コースは、要するにゲテモノ料理だった。話のタネになってよかったと専務は満足していたが、前夜に続いて微妙な感想の夕食となった。

 こうして、私たちの初めての訪中が終わった。

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