1-2 市場経済の波

 翌朝、天気は快晴となった。この日は中国環球期貨有限公司、略して環期公司を訪問する。それが今回の出張の目的だ。ホテルで軽い朝食を済ませた私たちは、スーツを着込んで出発する。環期公司の本社は、私たちの泊まるホテルから三環路を挟んで三百メートルほど離れた真新しい高層ビルにある。三環路沿いには、こうした近代的な高層ビルの建設も始まっていた。

 タクシーに乗るほどの距離でもないため、歩いて向かうことにする。日差しは強いが、蒸し暑さは感じなかった。到着したビルのエントランスで、環期公司の入居するフロアを確認する。高層階のワンフロアを独占しているようだ。エレベーターを降りて同社の受付に向かうと、「GFC」のロゴを掲げた欧米企業のようにしゃれたレセプションには、その佇まいに不釣り合いな派手で巨大な花瓶が据えてある。その辺りが中華風というところか。花瓶の高さは、小柄な女性の背丈を超えていそうだ。

 受付嬢に来訪を告げると、程なくして総経理の蔡亮信さんが出迎えに現れた。

「ようこそ。この日を迎えられて嬉しい限りです」蔡さんは、感無量といった面持ちで流暢な日本語のあいさつをする。

「董事長や総裁がお待ちしています。どうぞこちらへ」

 握手や消息のあいさつもそこそこに応接室に通された。徐建董事長や楊国祥総裁らは既に部屋で待機しており、私たちの来訪に対する中国側の期待感が伝わってくるようだ。テーブルの上には、日中の小旗が飾ってあった。社長の名代である松原専務をはじめ私たち三人が北京に来たのは、環期公司と業務提携に調印するためだった。


 この年の三月初め、東京日本橋に本社を構える私たちの会社、城東通商を蔡さんが訪れた。城東通商は商品先物取引のブローカー、いわゆる商品取引員だ。経済産業省や農林水産省の認可を受け、公設の商品取引所で取引される商品先物取引の受託業務を行っている。

 執拗な勧誘に加えてときとして客が人生を棒に振るほどの損失を被ることで悪名高く、また運良く儲けた顧客の一部はしばしば脱税で摘発されるという、社会的には散々な評判の業界だ。

「社長、大変なことが起きましたよ!」などと顧客に電話を入れてはあの手この手で強引に取引を勧誘する手口が、悪徳商法の代表のように言われたものだ。

 今はFX取引など新しい利殖商品に客層を奪われ見る影もなく寂れてしまったが、一九九〇年代前半まで投機利殖の花形と言えば商品先物取引だった。城東通商はその商品先物業界大手の一角で、私の肩書は国際事業部係長。大学卒業後に勤めていた会社を辞めて中途入社してから数年が経っていた。当初はアナリストを目指す調査部員として採用されたはずなのだが、国際化を志向する業界の流れを受けて海外業務を拡充する方針が進められ、少し英語ができた私は否応もなく海外営業に回されることになった。

 日本の市場に外国のプレーヤーを引き込むことを目標に、欧米のファンドマネジャーに取引を売り込み、アジア各国の投資会社に営業をかけるのが仕事だ。無論、少し英語ができるくらいで簡単にやっていけるはずもなく、涙目になりながら取り組んだ。苦心惨憺したが英語はかなり上達したので、世の中何が幸いするかは分からない。成人してから習得した英会話のため発音も文法も怪しいが、通じるのだから問題はない。そうするうちに私はアメリカ人、シンガポール人に韓国人と多彩な国籍のスタッフが揃うトレーディング・チームのリーダーを務めるようになっていた。

 この頃、城東通商だけでなく業界他社でも外国人の採用が増えていた。蔡さんもまた日本の大学への留学を終えて帰国せず、そのまま商品先物業界に就職して荒稼ぎをしていたらしい。蔡さんにはやがて帰国命令が下り、しばらくは大人しく指定された国有企業に勤めていたのだが、中国で先物取引が本格始動するため環期公司にスカウトされたのだという。


 改革開放に水を差した一九八九年の天安門事件を受けて久しく停滞していた中国の経済発展は、九二年の鄧小平による南巡講話をきっかけに加速を始めることになる。市場経済化を急ピッチで進める中国で国内企業に対する商品先物取引の解禁が決まったのはやはり九二年のことで、その年の末には中国環球期貨有限公司も設立された。中国語で「環球」はグローバル、「期貨」は先物を意味する。

 環期公司のビジネスは、中国の国有企業に商品価格変動のリスク・ヘッジ機会を提供することを目的に、国内外の商品先物市場への取引の仲介を行うことを目指していた。とはいえ、雨後の竹の子のように乱立した中国国内の商品取引所は全くの未整備で信頼性に欠けるため、当初の環期公司の主力業務は海外市場での取引だった。規模の大きい米国の商品先物から始まり、蔡さんが日本市場での取引という品揃えを増やそうとしていたのだ。まずは古巣に打診した蔡さんだが、この会社は個人投資家向けの営業に特化しており、国際ビジネスにあまり関心がなかった。そこで、城東通商を紹介されたというわけだ。

 経緯の報告を受けた鹿島社長は、蔡さんとの面会を即断した。創業社長で業界団体のトップも経験した市場の顔役の一人だ。ワンマン社長の良いところは、意思決定が速いことだろう。良くないところは思い付きで部下を振り回すことだが、今回の案件は当りのような予感がした。

 社長と酒井部長に私を加えて蔡さんを迎えた。日本語が堪能で商品先物業界にも精通した蔡さんに、通訳は必要なかった。日本で働いていたときに買ったと思われる仕立てのよいスーツに小柄な身を包んだ蔡さんは、私と同世代のようだ。中国人特有のイントネーションがわずかに残るものの、ほぼ完璧な日本語を操る。蔡さんは、人懐っこい笑顔を浮かべながら身振りを交えて中国先物業界の将来について熱っぽく語った。

「古巣の人たちにも勧められましたが、今日お話をうかがって改めて城東さんがパートナーとしては理想的だと思います。どうぞよろしくお願いします」

 蔡さんが話を締めくくると、社長は「ご縁は大切にしたい」と言って酒井部長と私に話を進めるよう命じた。社長の決断に役員会で異議が出ることは考えにくかった。話がまとまると、いつものように相場に関する鹿島社長の講釈が始まる。根っからの相場好きなのだ。

 更に、無類の歴史小説ファンなので蔡さんに三国志の話を振るのだが、蔡さんは少し困った風だった。現代中国人は日本人が思うほど自国の歴史に詳しくない。三国志についても、中国人より日本人の方が詳しいケースが多いのだ。とはいえ、一般の日本人だって、日本史マニアの外国人に毛利元就の「有田中井手の戦い」みたいなことについて議論を吹きかけられても応じられないだろう。

 その後、電話とファックスを使ったやり取りを経て両社の業務提携が大筋で合意に達し、北京の環期公司本社で業務細部の詰めと調印式が行われることになった。


 蔡さんに案内された応接室で、徐建董事長と握手を交わす。革張りのソファに微笑を湛えて姿勢正しく座る徐氏は、学者然とした雰囲気で物静かに話す。経済学博士の学位を持ち、以前は政府系経済研究機関にいたという。中国人というと大声で口論でもしているかのように話すイメージがあるが、地位の高い人には小声で上品に話す人も少なくない。

 一方、楊国祥総裁は怜悧な役人といった物腰で、前職はやはり官僚だったそうだ。このトップに加え、蔡さんたち幹部は海外留学経験者などが多く、一般社員も大卒などの高学歴な若者が集まっているという。学歴経歴不問、必要なのは根性と打たれ強さだけという日本の商品先物業界とは大違いだ。市場経済が始まったばかりの中国では、先物市場は最先端の分野という認識で、そこに携わるというだけでエリート視されるらしい。また、中央政府の支援を受ける同社の本社職員は、顧客である大手国有企業の幹部や財務担当者と商談するため、それなりの知的背景も必要なのだろう。

 無事に契約調印が終わり、雑談が始まって社員たちのことに話が及んだとき、楊総裁が切り出した。

『ところで、森脇さんは罫線分析に詳しいそうですね。当社の社員との懇親会の予定でしたが、折角ですからレクチャーをしてはいただけないでしょうか?』

 蔡さんが事前にいろいろと吹き込んだのだろう。

「彼は各国の取引先でも何度もレクチャーをやっていますから、お任せください」

 酒井部長が応ずると、松原専務もうなずいている。もちろん私に異存はない。部長が言うように日本市場の特性の説明やローソク足の解説などに関しては、これまで嫌というほど取引先にプレゼンテーションしたりセミナーを開いたりしてきたので、いつでも講義はできる。挨拶して雑談するより、お互いに有意義だろう。専務たちがもうしばらく徐董事長らと懇談してから環期公司の各部署を見学する間、私は会議室で罫線分析の講義を行うことになった。その後のランチで合流するのだ。

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