第13話 最悪への道

 『勇者』が追尾を諦めてから2時間ほど。快斗とケープは脇に抱き抱えられたまま超高速を体験し、二人ともゲッソリとしていた。

 快斗は抱き抱えられるという不自然な姿勢を長時間強いられたことによる体性痛に苦しんでいたが、一方のケープはそれに加えて乗り物酔いに似た症状を患っていた。


「ねぇ……吐いていい……?」


「おやおや、そういえばずっと走りっぱでしたね!その身を案ずることを失念してました!」


 ケープが言葉ではなく胃液を吐き出す前に、バハムーナはようやく止まってくれた。


「ありが……ぉえ!?」


 止まってくれたことと助けてくれたことを含めて感謝をしようとしたケープを、バハムーナは乱暴に地面に落とした。 

 腹から着地したケープは、結局我慢できずに空の胃から吐瀉物を絞り出した。


 快斗も同じように地面に落とされ、体験したこともない辛さに起き上がれずにいた。


「お二人共、大丈夫ですか?」


「お前が訊いていい事じゃないからな……」


「どうやら僕の乗り心地は最悪だったようですねぇ!次からは背負いましょうか」


「次はもうなくていいよ……」


 透明な吐瀉物に顔を埋める汚ったないケープがどんよりとした声でそう言った。快斗はそのケープの姿に顔を顰めつつ、どうにか立ち上がった。


「お前……何者だよ……?」


「僕はバハムーナ!『魔王』を倒した『剣聖』にして、史上最強の剣使い!」


「自己紹介文終わってる」


 単語を並べ立てて自分の素性を抽象的にしか示してくれないバハムーナ。疲れ果てた快斗はそれについて行くことができず、深いため息をつくことしか出来なかった。

 そうして地面に視線を落とした時、生い茂った草が普通よりも緑色に見えた。


 この場所は快斗が生まれた場所とは違い、背の高い木や大きな葉っぱを悠々と広げて際限なく成長する鬱蒼とした森林だった。

 少し目をこらせば、草の隙間のそこら中に生き物が潜んでいるような生命の王国。ふと違和感を覚えて快斗が手を持ち上げると、薬指にヒルが吸い付いていた。


「珍しい結婚指輪ですね」


「趣味悪いだろその弄りは」


 全力でヒルを引きちぎりその場に捨てる。傷口から血が止まらずに流れ続ける。ヒルの毒かなにか、血が止まる作用を打ち消しているようだ。


「そういうのは火で炙れば簡単に治ります」


「お前は大丈夫なのか、そんな薄着で」


「ハッハー!ヒルごときが僕の血を吸えるわけないでしょう?」


「太ももに3匹ぐらい付いてるよ?」


 薄いジンベエのような服を着ているバハムーナには相当な自信があるようだったが、それはケープの指摘によって瞬時に打ち砕かれた。


「ケープはヒルつかないのか?」


「怨念が先に追っ払ってくれるからね」


 怨念というのは不思議なもので、人間の憎悪や恨みが形になったものもあれば、その土地に根付いた草木の意思が具現化したものも存在する。それらは俗に言う土地神のようなもので、そこに生息する生物には本能的な恐怖を与える。


 それを従えるケープには、自然と生物は寄り付かない。


「従えたって言うよりかは、仲良くなった感じなんだけどね」


「もうそんなに絆が?」


「疲れてる私を助けてくれたから、ありがとうってお礼したら仲良くなってくれたよ。私がってよりかは、ここの土地神ちゃんが優しいんだよ」


 ケープのそばでとぐろを巻いている緑色の蛇が、ケープの手に頭を撫でられている。それが土地神の具現化であるようだが、随分と可愛らしい姿に変換させられているなと快斗が見つめていると、ケープが「ふふ」と笑った。


「快斗ちゃんにはどんな風に見えてるの?」


「どんな風にって、緑色の蛇だろ?」


「あはは、こういう土地神は、その人のイメージを反映して見えるものなんだよ。だから、快斗ちゃんにとって土地神は緑色の蛇ってイメージなんだね」


 ケラケラ笑うケープは、どこか馬鹿にしたように快斗の答えを笑っている。快斗は眉をひそめ、ケープを指さした。


「お前はどう見えてるんだよ」


「私?草が生えた土の山」


「お前もゆーてどうしようもないイメージじゃねぇか」


 無機物に見えているのなら何故生き物を撫でる感覚で撫でているのか。ケープの行動はよく分からない。


「ムーナちゃんはどう見えるの?」


「苔が生えた剣に見えますね!ふむふむ使いづらそう!でもそういう剣をあえて使うってのもかっこいい!」


 バハムーナは土地神を眺めて唸りながらも楽しそうに答えた。人によって本当に様々らしいが、土地神と言われて無機物を想像する二人の感性は、快斗には理解できなかった。


「まぁそんなことはさておいて、僕はあなた方に一つ頼み事があるんですよ」


 改まったバハムーナがそう切り出した。三人はヒルから逃れるため、そこからバハムーナの目的地へ歩きながら話を聞いた。


「僕はあなた方に、『魔王』の墓地へ入って欲しいんですよ」


「『魔王』の墓地?『魔王』死んでるんだ?」


「えぇ!僕らが倒しましたから!ですが完全には死んでないので、封印という形でここに留めてるんですよ」


 鬱蒼とした森を抜け、野生動物達の声を聞きながら、しばらく歩いていた。暑くて仕方ないが、悪魔である二人は汗をかかない。

 バハムーナも汗を一滴もかいていなかった。


「その『魔王』の墓地に入って、どうすればいい?」


「簡単です。奥に行けば石版があるんですが、それに触れて、受け入れてくれればそれで」


「受け入れる?何を?」


「『魔王』ですよ」


 バハムーナの返答に、快斗のケープは顔を見合せた。文脈と話の流れから察するに、多分バハムーナは『魔王』をなんらかの方法で呼び起こそうとしているようだ。

 快斗とケープが触れればそれが解決する理由がわからないが、この世界にとってそれが紛れもない損害であることに間違いない。


 それに、バハムーナは自分を、『魔王』を倒した『剣聖』であると名乗ったはずだ。


「倒した敵を起こしたいのか?」


「察しがいいですねぇ。えぇそうです。僕は『魔王』を復活させたい。完全にね。だからこそ、あなた方の魔力を感知した時、めっちゃ喜びました!しかも赤い目の悪魔と来た。これはもう運命としか言いようがない!」


 話しながらテンションが上がっていくバハムーナはとてつもなく楽しそうだった。目的に必要な手駒がたまたま見つかったのなら、そうなるのも必然と言えよう。


「『魔王』って……やばいんじゃないの?」


「どうでしょう?『魔王』復活なんてやった事ないですし、この世界では最も重い罪の一つでしょうね!まぁ、世界で一番の大犯罪者なんて肩書きも悪くないでしょう!」


「えぇ……」


「それで、俺らがその石版に触れたら復活するのか?」


「それもやった事ないので要検証なんですが、『魔王』さんと話し合ったところ、闇の魔力の使い手、特に悪魔が触れてくれれば、復活の確率がぐんと高まるようです」


 バハムーナの話によれば、その『魔王』とは随分と長い間墓地で一緒に過ごしてきたらしいが、意外にも対話が可能なその『魔王』は、闇の魔力が染み込んだ肉体を欲しているとのこと。


 そうなれば最適解は悪魔の肉体である。


「ということで頼みたいんですが駄目ですかね」


「拒否しても連れていきそうな眼圧だね……」


 目を見開いて凄まじい圧をかけてくるバハムーナに押され、ケープは快斗の後ろに隠れた。快斗は悩みつつも、その案には乗りたい気でいた。


「助けられた恩もあるしな」


「うっそでしょ快斗ちゃん!?」


 命を救われた恩があるならば、多少のお願い事は叶えてやる人の心は持っている。石版に触れるだけでいいなら喜んでやってやるが、問題は───


「なんか乗っ取られそうだよな」


 その石版に触れたあとの自分がどうなっているかが懸念点だ。触れてくれる者の肉体の条件を提示している時点で乗っ取るあるいは媒体にして復活なんてありがちな話だ。


 その点どうなのかと快斗は言外にバハムーナに問うたのだが、


「まぁ大丈夫なんじゃないですか?」


「他人事だなお前」


 頼み事をしておいて随分適当な返事をしたバハムーナに快斗はため息をついた。命の恩人の頼み事は引き受けるべきであるが、命がかかっているなら一考の余地はある。


 とはいえ、その博打に打って出ていいくらいには、快斗に失うものは命くらいしかない。


「もし俺の意識が残って五体満足なら、お前の剣を教えてくれないか?」


「僕に教えを乞うと?へぇへぇ珍しいですね!僕に剣を教えてって言ってきたの、あなたとリアンくらいです!」


 どうやら人気のない講義のようだが、あの凄まじい剣技を見せつけられれば、戦闘が頻繁に起こる世界ならば受講者続出だろうと快斗は思ったが、


「前提条件として、夜寝ませんし食事もほとんど取らないですけどいいですか?」


「受講資格重すぎだろ」


 人気のない理由は一瞬で明らかになった。


 しかし悪魔である快斗ならばついていくことができる。何故ならば人間とは違い、食事も睡眠も必要ないからだ。

 これで快斗の能力が高まってくれるかは努力次第だが、目処はたった。その修行にありつくためには、『魔王』とやらとよくお話し合いをする必要がある。


「頼むから、肉体を奪う系以外であってほしいな」


 死ねない理由は略すが、快斗はバハムーナのお願いを引き受けることにした。一番の理由は恩を返すこと。それ以外は受講料だ。


「暴走し始めたら僕の剣術をその身に教えてあげますね!」


「笑えないってそのネタは」


 いつまでも不謹慎でノンデリなバハムーナは、目的達成の可能性が大きいことを喜んでいた。

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