第8話初めての討伐

「ッ───」


 快斗達から遥か遠い場所で、とある強者が振り返った。不思議なにおいがしたとか、嫌な音がしたとかでもない。普通の人ならば、ただ振り向いたように見えただろう。

 しかし当の本人にとって大きすぎる変化が世界に起こった。


「──気味が悪いな」


 井の中で毛虫が蠢くような不快感に嗤い、その青年は立ち上がった。太陽が沈んでいく方向、突然感じられた微弱なそれは、青年が最も嫌いなものによく似ていた。


「仕方ないなぁ」


 青年は白髪の生えた頭を掻き、ゆっくりと歩みを進める。そこへ行かなくてはならない。使命感に駆られて、青年は腰にこさえた白剣を撫でた。


「どこか行かれるのですか?」


 ふとすれ違った少年に青年は問われた。


「ちょっと野暮用でね」


「そうですか」


 少年は青年の言葉にうなずいて、自分の進むほうへ向きを変えた。


「頑張ってくださいね、『勇者』様」


「言われずとも、ね」


 『勇者』と呼ばれた青年は、美しい笑みを見せて去っていった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「眠くないの?」


「不思議とな」


 天の川を見上げながら手元で魔術の練習をする快斗に、ケープがそう問うてきた。早く寝ろと言いに来たのかと思えば、彼女も全く眠そうに見えなかった。


「悪魔は魔力の集合体だからね。眠らないんだよ」


「本当に、生物をやめた感覚だよ」


 睡魔も空腹もない。おそらくは性欲もないだろう。こうして三大欲求を失うと、生物でなくなったということを快斗は実感した。


「うん?」


 と、空を見上げていたケープがおもむろに暗闇へ目を向けた。快斗は目の前で焚かれている炎に気を取られて気が付かなかったが、ケープの視線の先には生き物がいた。


 ケープの手が快斗の頭の上に乗せられ、無理矢理視線をケープの向く先へ捻じ曲げた。


「ねぇ、あれ見える?」


「あれは……狼?」


 夜の闇に慣れた快斗の目には、こちらを遠くから覗いているいくつかの毛むくじゃらの生物が見えた。


 はっきりとは見えないが、おおよそ六匹ほどの狼達が、よだれを滴らせ二人を睨みつけている。


「威嚇、てよりかは──」


「獲物を見る目だね。あんなに弱そうな狼じゃ勝てないだろうに」


 ケープはそんな強者っぽい言葉を並べながら立ち上がった。快斗もつられて立ち上がると、ケープは流れるような動きで快斗の後ろに隠れて、


「よーし、快斗ちゃん魔術でやっちゃってぇ!」


「ちゃんとイメージ通りでよかった」


 ここで快斗に「見てて」とか言って狼を全部始末してくれたら、それはそれでかっこいいギャップがあってよかったのだが、ケープは快斗の魔術をあてにして逃げた。


 それは快斗の中でのケープのイメージ通りだったので、安心した反面、悪魔初心者に悪魔熟練者が頼るのはどうなのかとため息をついた。


「魔力を集めて、炎をイメージして──」


 快斗の差し出した手のひらに、先程の同じような炎の塊が出現する。


 溢れ出した魔力の気配に、狼達は毛を逆立たせて唸り声をあげる。その光る狩人の視線が、より一層鋭くなった瞬間、狼達は一斉に走り出した。


「快斗ちゃん、頑張ってぇ!」


「待って、俺めっちゃエイム悪いんだよな」


「うぇ?」


 ジグザグに走ってくる狼を見て絶望する快斗。シューティングゲームを榊から借りてやったことがあるが、弾が当たらなくて即死してばっかりだった。


「じゃあどうするの?あの狼達、多分動物じゃないと思うから、爆発の余波とかじゃ多分死なないよ?」


「だよな。異世界の狼はどうせ魔獣だ」


 快斗が好きな作品も、魔獣大国なんて場所から始まっていた。魔獣というのは、名称は違えど異世界系の必須要素だ。


 目の前から走ってくる凶暴そうな狼も、きっとそうに違いない。現に、ありえないほどの機動力に加え、背中に小さな翼が生えているのが見えた。


 もっとゲームしておけばよかったなんて、ここで後悔するなんて思ってもみなかった。


「まぁ落ち着け。できないなら次の解法だ」


 ここで秀才、イキる。


「ケープ、俺とお前を怨念で上にぶっぱなしてくれ」


「えっ、そんなことしてどうするの?」


「まぁ……人生にはスリルが必要だろ?」


 狼は四方に広がり、勢いそのままに突っ込んでくる。狼狽してても仕方がない。ケープは言われるがままに地面から巨大な腕を生やし、狼達が飛びつく寸前で快斗とケープを空へ吹き飛ばした。


「よし──!」


 大きな手のひらは平ではなく、危うくバランスを崩しかけたが、この体に備わっている強い体幹を頼りに姿勢を保った。


 そんなことができないケープは哀れに回転していたが、快斗が左手で引き寄せてどうにか止まった。


「うわぁ!?快斗ちゃんこっから、わっとどぅーいんぐ!?」


「ルックミー、舌噛むなよ……!」


 今の今まで手のひらで維持していた炎が、月に重なって煌めいた。


 轟々と燃え盛るくせに、ちっとも辺りを照らさないどころか、逆に暗くしてしまう不思議な炎。これが悪魔の炎であるならば、その影響は実にそれらしい。


 暗闇に飛び上がる二人を匂いで追う狼が視線を上げた時、快斗は球体となって膨れ上がった炎を解き放つ。


「全員集合、からの全員終了」


 ケープを掴んでいる手で中指を立てて、快斗は炎をぶん投げた。快斗達が飛び上がった地点に集まっていた狼達を全員吹き飛ばした。


 地面に直撃した炎が炸裂し、加減を知らない灼熱が、狼達の肉体を容赦なく焼き払う。


 砂埃と爆風に煽られながら、宙を回転する二人。


「着地ケアまでは考えてないって話していい?」


「そーれは私の仕事なんでしょ!」


 落下する二人、着地までは考えていなかった快斗は申し訳なさそうにケープに囁いた。

 分かっていたとばかりにケープはその答えを叫び、地面に向けて両手を伸ばした。


 地面から十本ほどの腕が生えのびて、人間の肉体と遜色ない柔らかさのそれが二人を受け止めた。


 落下の衝撃が内臓を震わす感覚に酔いつつ、快斗が一息つく頃には地面に寝そべっていた。


 腕は地面に溶けるように消えていき、快斗とケープは無事怪我なく狼の攻撃を凌いだのだった。


「ナイスカバー」


「もう、ちゃんとやること伝えてからやってよね」


「悪かったって」


 差し出した快斗の拳に、ケープは疲れ果てた様子でため息を吐きながらも拳を合わせようとしてくれた。


 光を吸い込む炎が燃え盛り、強い熱気に頬を撫でられながら、快斗と拳とケープの拳が触れあった。


 その瞬間、快斗の感じる熱波が消え去った。


「──は?」


 そのあまりに急な変化と押し寄せる不安感に、快斗が素っ頓狂な声を上げた瞬間──、


「が──」


 突然視界が真っ白になった。

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