第2話 始まりの別れ

「なんで快斗はそんなに頭がいいの?」


「さぁ?俺の母さんが頭良かったんじゃないか?」


 片方の耳にイヤホンを差し込んだままの天野快斗が、隣の榊からの問に投げやりに答えた。


 今は夕焼けを眺めながらゆっくりと家へ帰っている途中だ。本日からテスト期間に突入したため、部活は一旦停止状態である。


 なので二人は授業終わりにそのまま帰路に着いたわけだが、榊はこの間に快斗の頭の良さの秘訣を聞き出したかった。


 しかし快斗はその理由を自分でも理解していない。それ故、榊の今後の成績アップの礎になる見込みはなさそうだ。


「勉強は努力の仕方さえ間違えなければ、ある程度までは極められるさ」


「それが出来たら苦労しないよ。僕は君みたいな天才じゃないんだ」


「──俺は天才なんかじゃねぇよ」


 ふとした会話の中、快斗が沈んだ表情を見せた。それが何故なのか榊には分からなかった。


 その理由を考える暇を与えないように、快斗は直ぐにいつもの調子に戻って、


「みんなが頑張ればできることを、頑張らなくてもできるってだけだ」


「それを天才って言うんじゃ?」


「馬鹿言えよ。天才ってのはみんなができないことをできるやつのことをいうんだよ」


「ふふ、なるほどね」


 あくまで快斗は自分を秀才と評価している。その頭脳には絶対的な自身があるが、その頭脳というのも、数学や化学など、答えのある問にしか効力を発揮しない。


 頭がいいのではなく、覚えが早いだけ。結局脳の作りは変わらないのだ。


「それはそうと、黒峰さんが快斗のこと探してたよ」


「え゛、なんで?」


「嫌そうな顔しないの。分からない問題を訊きたかったんだって」


「あいつが?明日は雪でも降るみたいだな」


 今日は7月7日。もう真夏はすぐそこまで迫っているというのにその言いようとは、快斗はよほど黒峰の性格がひん曲がっていると思っているらしい。


 毎日竹刀でバシバシしばかれているのだから、そう思ってしまうのも分かる、と榊は心の中で思った。


「そう言わずにさ、明日教えてあげてよ。じゃないと僕がしばかれちゃうよ」


「お前があいつに剣道で負けることないだろ」


「それはそうだけど」


「お前も案外自信家だよな。いいことだと思う」


 夕日が沈み込み、橙色に照らされた大地が暗く染っていく頃、二人は人通りの少ない夜道を歩いていく。


 家の場所が住宅街の端っこにあるせいで、中々明るい道を通っては辿り着けないのだ。


 だからこれは、致し方のないことなのだ。


 ふと、曲がり角を曲がった時、二人と同時にその角に辿り着いた人物がいた。


 深くまでフードを被り、快晴のこの日に青色のレインコートを被っている不思議な服装の人物は、不思議そうに見つめる快斗を無視してすれ違った。


「俺が見えてないだけで、今もしかして雨降ってる?」


「相手に寄り添って考えるのはいいけど、おかしなこと言わないでよね」


 他人の意見や考えを否定せず、寄り添って考えることが快斗のいい所。しかし今の結論はさすがにぶっ飛んでいたので、榊が躊躇なく訂正した。


 今おかしいのはあっち側だ。


「そんなことよりも、黒峰さんのこと、お願いしてもいい?」


「いいわけあるかっての。あいつの相手なんて、命いくらあってもやりたくない」


「なんで?」


「だってあいつ間違えてるくせに俺がやり方教えると自分が正しいってガチ口論しかけてくるんだもん……」


 その上納得させるまで説明してやっても、「ふーん、あっそ」と不満げに頬をふくらませてくるのだから腹が立つ。


 黒峰の顔がいいのは確かだが、その膨れ顔は快斗をイライラさせるだけだ。本人もあざとさで乗り越えようとしていないはずだが。


「あ、あの……!」


 悶々と頭にあざとさに振った世界線の黒峰を想像して吐きそうになった快斗の背後から、弱々しく震えた声が掛けられた。


 それは今しがた、何故そのような服装をと逡巡させた、レインコートの人物だった。


 暗くなったことも相まって、その顔は見えないが、声質的に男性だということはわかった。それも若い。快斗と榊と同年代、もしくは年下かもしれない。


 そんな可愛げのある男の子の声に、榊が反応した。


「なんですか?」


「あの……その……」


「──榊」


 快斗がもじもじたじたじするその男の子を見て、不意に湧き上がった不安感に榊の肩を引き寄せた。


「何?どうしたの快斗」


「いや、なんか……危ないか?あいつ」


「そう?道に迷ってるだけとかじゃないの?」


 小声で会話する二人に、レインコートの男の子はようやく口を開いた。


「き、君達は……黒峰って、人を、知ってる……?」


「しっ……てるけど……」


 突然飛び出した黒峰の名前に、榊もやっと違和感を覚えて快斗に振り返った。


 言語化は難しいが、この男の子は底知れない嫌な雰囲気を纏っている。


 弱々しい声、小さな体、その片手で封じ込めてしまいそうなほどの小さそうな存在だと言うのに、何故か蛇に睨まれた蛙のような感覚を覚える。


 ここは適当に流して帰るべきだ。快斗がそういう前に、榊が口を開いていた。


「その人が、どうかしたの……?」


「えぇっと、その人とは、どんな関係で?」


「……ただのクラスメイトだよ、ねっ、快斗」


「そうだな。知り合いってやつだ。というかそろそろ俺ら行かないとだから、じゃあな」


 快斗が榊の手を引き、その場を離れようとした。


 その時、仄暗いフードの影で微かに、しかし確かに煌めいた瞳と快斗の目が合った。


───まずい。そう思った時、向けられた感情が何であるか勘づいた時、既に事態は進んでいた。


「嘘つきだ」


「………はぇ?」


 ドンと胸を突き抜ける衝撃。感じたこともない強いそれを感じたのは一瞬で、直ぐに胸元は暖かくなった。


 嫌な予感がして下を見た快斗。そこには背中にまで貫通した、青い剣があった。


「あ、ぁぁお──」


「かい、と……?」


 鼓動していた心の臓が死んでいた。その果てしたい喪失感と、遅れてやってきた壮絶な痛みが快斗の脳内を支配し、視界が血に染まるように赤く見えた。


 地面に倒れ込み、流れ出る血が快斗を中心に血の池を作り出す。


「快斗!?快斗!」


 パニックに陥って名前を呼ぶことしか出来ない榊が見える。そんなことをするなら救急車を呼んで欲しいのだが、こんな閑静な住宅街では、快斗が死ぬ前に救急車は間に合わないだろう。


 それに溢れ出す血が喉を塞いで声も出ない。出そうにも血が吐き出されるだけで、更に苦しくなる。


 息が苦しい。胸が熱い痛い。出ていく命の源が、残された物が少ないものを反比例で示している。


───は、待って、俺マジでここで死ぬの?


 そんな疑問が頭に浮かんだ時、快斗は初めて自分が全てを失いかけていることを実感した。


「あ、あ……あれ?」


 一方、レインコートの男の子はというと、もう一本の青い剣を持ったまま、また初めのように震え声で立ち尽くしていた。


 その顔も、地面に倒れた今なら少し見える。その目尻に、涙が浮かんでいた。


 それは、何かを成し得て溢れる感動の涙でも、何かを失って零れる悲しみの涙でもなく、自分の仕出かしたことへの後悔の涙だった。


「君は、黒峰の仲間で……人殺しで……嘘、つきで……あれ……?」


 頭を抑えへたり込む男の子。広がりゆく血の池に沈みながら、快斗は今のうちにどうにか榊を逃がしたいと思うが、その意志を伝えるには胸に刺さった剣が邪魔すぎる。


 立ち上がれないし、だんだん瞼も落ちてきた。


───まだ、死ぬには早くないか?


 母親を良くないタイミングで亡くし、墓参りにも慣れてきて、高校受験も本腰入れて、あとは、あとはあとはあとはあとはあとは───


「……ごめん、なさい……」


 ふと見上げた時、レインコートの少年が青い剣を振り上げているのが見えた。フードの隙間から溢れ出ている涙もあった。


 零れた謝罪が誰に対してかは分からないが、今死にゆく快斗に絶望している榊の上から、果てしない不純な殺気を振らせていることは分かった。


「にげ……」


 声は出せなかった。殺気からは逃れられない。


 素早く鋭く振り下ろされる刃と、それと一緒にぶちまけられた鮮血が、快斗の視界を埋めつくした。


 それが、今世の快斗の見た最後の景色だった。


~~~~~~~~~~~~~~~~


 流れゆく魂の数々。それらの向かう場所はほとんど一緒だ。


 だが、その流れから外れて別の場所に引っかかってしまうものも存在する。小さな魂が流れから外れて違う世界に落ちてしまうことは珍しいほうだ。


 そんな中、道外れた魂の中でも、最も稀な経験をした魂があった。


 なんの変哲もないその魂は、人間を超越した、認知されない存在に拾い上げられた。


 そして新たな体へ宿らされ、魂は新たな生を受ける。


「さぁ、起きなさい。そして、私の望みを叶えたまえよ」


 亜麻色の髪の魔女が、口元を歪めて笑っていた。

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