《第一章》初めての異世界

第1話 殺害者の予感

「そこまで!」


 強く鋭い声が響き、二人の学生が手を止めた。


 と言っても、万全な状態なのは片方だけで、もう片方の生徒は床で寝そべっていた。


 それは、身につけている防具を突き抜けるような痛みが、今も頭に響いているからだ。


「クソ……一度も勝てなかった……!」


 防具を脱ぎ捨て、茶髪を揺らした少年が悪態をつく。対面に立つ勝利者は防具を外しながら笑っていた。


「あはは、しょうがないよ。君は中学から始めたんだから」


 爽やかな彼の名前は道方榊みちかたさかき。この剣道部の部長を務めている。

 対して、今床にへたり込んでいるのは天野快斗あまのかいとという名の少年である。剣道を始めたのは中学にあがってからで、未だ一度も榊には勝てていない。


「情けないわね。性根がカスだと技術もカスになるわよ」


「カスカス言うな」


「カスだもん。弱弱だし。てんカス」


てんカス言うな!」


 天野快斗の天とカスを合わせて天カス。そんなあだ名を考えずっと愛用しているのは、黒峰白亜くろみねはくあという名の女子生徒である。


 彼女は榊の次に強い実力者であり、快斗は一度も勝ったことがない。


「カス言ってもな、黒峰だって榊には勝てないだろ」


「私は十回中五回勝てるもの。あなたとは違うわ」


「二回に一回って言えばいいのに。知能の差が出たないてぇ!?」


「黙れ、いずれあんたには絶対に勝つ」


 黒峰白亜、彼女は先述のように運動ができるだけでなく頭もいい。


 この学校に入学して以来、彼女は二位しか取ったことがない。因みに三位は、榊が入ったり入らなかったりする。


 そして、黒峰の追従を許さない、絶対的学力王こそが、天野快斗だ。


「暴力に訴えるな!訴えるぞ!」


「その語順だと、どっちに訴えるか分からないね」


 竹刀を振り回す白亜と、情けなく逃げ回る快斗という二人の光景を見て、榊は苦笑する。本来ならば止めなければならないが、この関係性が、榊は好きだった。


「逃げるぞ榊!!竹刀で殺しに来てる!」


「僕を巻き込まないでよ!」


「次の実力テストは覚悟しておきなさいよ!」


「無理だよ黒峰頭悪いし」


「なんで火に油を注ぐようなこと言うの!?」


 快斗が榊の手を引いて逃げていく。快斗の残した言葉に激昂する黒峰の声を無視して、二人は学校の外へ走り去る。


「危なかったな……竹刀ぶん回すあいつが一番ヤバイ」


「あの状態だと、僕が勝つのも難しいかも」


「嘘つけ。榊より強い剣道部員なんているかよ」


 綺麗な心の持ち主で有名な榊は、呼吸と同時に謙遜するため、快斗が口にしてやらないと正当な評価が難しくなる。


 白亜は十回中五回、つまりは二回に一回に勝てると豪語していたが、実際は四回に一回で妥当といえる。


 県大会常連の榊には、並の人では勝てない。


「そういえば、最近お墓参りしてる?」


「あぁ……部活に集中してあんまり行ってなかったな」


「じゃあ、今から行かない?お母さん寂しいかもよ」


「そうだな。でも、榊は関係ないのに、いいのか?」


「一人だと暗いし危ないよきっと。ついて行ってあげる」


 二人はいつもの帰路から外れ、街頭の少ない夜道を進んでいく。


 その先には、誰か知らない人のお墓達が佇んでいる。そして、その中には快斗の母親の墓もあった。

 死んでから一年ほど経ったが、墓参りに行っているのは快斗だけだ。その頻度も一ヶ月に一回ほど。


 中学三年生になって、部活と勉強の忙しさに時間を奪われ、中々ここには来れなかったが、今日は榊に言われたので向かうことにした。


 既に太陽は沈み、空のオレンジ色が黒に変わっていく。森の近くの墓場は、より一層暗かった。


「あそこ、だよね」


「そうだな」


 暗がりの中にポツンとある墓場に近づく二人。外灯はただ一つ、墓場の入口を照らしているだけだった。


 だから、他に墓参りに来ている人がいることに少し遅れて気がついた。


「お」


 快斗の母親の墓の少し奥側に、人間が一人手を合わせてお祈りしている。目の前には大きく立派な墓が一つ。


 そこへ俯きながらもしっかりと手のひらを合わせた人間がいる。性別も分からないほど顔に影がかかっていたため、あまり快斗は意識せずに母親の墓へ目を向けた。


「早く終わらせよう。夜も遅いし、暗いと幽霊が出るし」


「本当に信じてるの?」


「信じている限り幽霊はいるっての」


 手を合わせ、少しだけ墓を拭いてやり、そこらから引っこ抜いてきたたんぽぽを添えた。本当ならちゃんと花を渡してやるべきなのだろうが、


「そんな金はねぇということだ」


「お父さんが工面してくれてるんじゃ?」


「生活費だけだよ。使えねぇクソ親父……なんて、母さんの前でいうもんじゃねぇか」


 快斗の父と母は、快斗の記憶が曖昧なくらい小さい時に離婚している。


 母親には快斗が、父親には姉と双子の弟が連れていかれたらしいが、快斗は母親以外の家族には、父親を含め会ったことがない。


 昔から不便はしたことはないし、そもそもその離婚は互いの同意があったもので、決して不和が原因ではないと母親から聞いていた。


 それでも、女手一つで男児を育て上げ、その上働き続けてきた母親に会いもせず、碌に金も払ってやってくれなかった父親を快斗は好いていない。


 だが母親が愛した男であるならば仕方がない。最低限の敬意というものは払うべきだ。


 母親が死んでからようやく送られてくるようになった仕送りは少ないが、どうにかやりくりして生きている。特に、榊には助けて貰っている。


「ありがとな、お前がいなかったら、俺は首吊って死んでたよ」


「お墓の前でそんな話しないでよ。まぁ、気持ちもわかるけど」


「そうだな、この前黒峰にも言われたな。たまに母親のことでナイーブになるのやめろって」


「それはそれで、黒峰さんにも問題あるけど」


 墓の前で談笑する二人。こんな会話も、快斗にとってはありがたい。一人でこの場所に立つ時、言葉に表せない焦燥感が湧き上がる。


 それを話してからというもの、榊がついてきてくれるようになって、今は落ち着いている。多分、今も一人になったらちゃんと自殺する。


 快斗は榊に、言葉以上に感謝している。


「じゃ、そろそろ帰ろうか」


「そうだな」


 榊と快斗はそのまま他愛のない話を続けながら墓場を離れていく。


 暗い夜道で、小さな電灯の光に照らされた二人の背中が見えなくなった時、ただ一人で墓に祈っていた人物が顔を上げた。


「君達も……」


 その小さな呟きは、誰にも聞かれることは無かった。

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