第4話 形すらも無い犯人

「全く、王室は何を考えているのか。犯行予告が届いているというのに、王女様の護衛がこれだけとは。騎士団からはあなた達と……他に2名ですか?」


 エリナ達がアイリスと挨拶を交わしていると、隣に立っていた神父が頭を振りながらふと嘆いた。その顔には深い憂慮の色が浮かんでいる。


「えぇ、我々としても遺憾ではありますが……連日行われる祭典のうちどれが狙われるか分からない以上、上位の王女様に人員を裂かれるのは例年の事でして……」


 ラカンはエリナと、入り口付近に立っていた仲間の騎士二人を交互に見やり、申し訳なさそうに神父に頭を下げる。

 それの様子を見てアイリスも困ったような笑顔を浮かべている。


 気まずい空気を少しでも和らげようとしたのか、ラカンは話題を変えるように言葉を続けた。


「それはさておき、神父様にはご協力感謝します。教会の中にトラップまで仕掛けさせて頂いて」


 神父は柔和な微笑みを浮かべ、十字を切りながら応えた。


「なんのこれくらい。信心深いアイリス様のためならば、神もこの程度お許しくださるでしょう」


 ラカンはその言葉に軽く頷き、もう一つ確認事項を尋ねる。


「それで、昨日、うちの団員ものがトラップを仕掛け終わった後、教会には誰も?」


「えぇ、言われたとおり鍵を閉めてありましたし、今朝私が来るまで誰も立ち入ってはおりません。」


 神父の言葉を聞き、ラカンは深く一度頷くと、もういちど確認するように教会の中をぐるりと大きく見渡した。

 小さな教会は、随分と年季が入っているようで所々石壁にヒビが入っていたりする。穴でも空いてしまったのだろうか、場所によっては木の板を打ち付けて修理してあるが、それもガタガタだ。


「すいません、古い教会で」


 ラカンの視線に気づいたのか、神父が申し訳なさそうに頭を掻いた。


「いえ、そんな事は……」


「予算の都合で、殆ど私の手作業なもので。これでも昔はお妃様もお忍びでお祈りにおいでた、由緒正しい教会なのですが。最近は王室から殆ど支援もなく……」


 神父が暗い顔でポツリと呟いたのを見て、アイリスが慌てて口を開いた。


「ご、ごめんなさい。私からも掛け合ってみますので」


「あ、いえいえ。これはとんだ失言を。どうぞお許しください」


 神父が跪いてアイリスに許しを請うが、アイリスは慌てて神父の手を取り、どうか気にしないでくださいと少し困ったように笑ってみせた。


 丁度そのとき――正午を告げる鐘の音が遠く街の中央教会から響いてきた。深く響くその音は、教会内の静寂を引き締めるかのように重くこだまする。


「おっと、時間ですね。それでは祭典を始めましょうか。アイリス様、よろしいですか?」


 神父が優しく尋ねると、アイリスは少し緊張した面持ちで、「は、はい!」と小さく頷いた。


 その様子を確認しラカンが軽く目配せをすると、待機していた団員の二人が入り口のドアの前に立つ。教会の出入り口はこのドア一つだけ。犯人が屋内に出入りするにはこのドアを通るしかない。

 その意味では、巨大な中央教会で式典を行う上位の王女様たちよりも、この小さな教会のほうが楽なのは確かだ。

 けれど、犯人は犯行予告をよこしたものの、どの祭典を狙うかまでは予告していない。今日この場に現れるかどうかも分からない。

 その不確定な状況に不安を感じながらも、全員が緊張しながら各自の持ち場で構えた。


 ―――


 式典が始まってから数十分が経過しただろうか。式は滞りなく進行していた。


 祭壇に立つ神父は厳かな声で祈りの言葉を述べ、その背後ではアイリスがじっと祈りを捧げる。

 二人の間には台が置かれており、その上に乗せられたブローチが窓からの光に静かに輝いていた。お妃が生前身につけていたもので、犯行予告にあった王家の宝の一つだ。


 教会の外からは、時折り鳥達の囀りが聞こえてくる以外物音もしない。

 窓から差し込む柔らかな光が、祈りを捧げるアイリスを優しく照らす。美しく、神秘的なその光景にエリナはしばし見惚れてしまっていた。


 だが、次の瞬間――事態は急転した。


 静寂を破るかのように、突如として祭壇に最も近い窓ガラスが激しく割れたのだ。


「えっ! な、なに!?」


 エリナが驚いてキョロキョロと辺りを見回す中、いち早く反応したラカンがアイリスの元へと駆け寄り警護の体制を取る。

 その姿を見て、近くで控えていた近衛兵も慌ててアイリスの周囲に駆け寄ってきた。おそらく新人なのだろう。


「バカ! 一箇所に固まるな! ――エリナ! 瓶だ!!」ラカンが怒鳴り声を上げる。


 呆気に取られていたエリナは、ラカンの声でようやく我に返った。


「あ、はっ、はい!」


 慌てて手に持っていた“姿追いの薬瓶”を大きく振りかぶる。


「おい! 蓋押したかっ!?」


 ラカンが大声で確認する。


「え、あっ!」


 エリナは危うく瓶の蓋を押さずに投げようとしていたことに気づき、慌てて蓋を押した。パキリと小さな音がして、瓶の中で薬液が混ざったのが分かる。破裂はきっかり3秒後だ。


 タイミングを見計らい、山なりに瓶を高く投げる。


「投げました!」


 エリナが叫ぶと同時に、瓶は空中で炸裂し、キラキラと輝く粉が周囲に撒き散らされた。


「ゴホッ! ゴホッ!」

「ケホッ!」


 祭壇にいた神父とアイリスが同時に咳き込む。鼻をつく刺激臭が辺りに広がり、やがて煙が徐々に収まっていった。


「事前にお聞きしていましたが、す、凄い臭いですね。皆さん、ご無事ですか?」


 アイリスが涙目になりながら、心配そうに周囲を見渡す。


「申し訳ありません、アイリス様。今暫くご辛抱ください。――全員、辺りに注目! 人影を探せ!」


 ラカンが号令を発すると、兵士たちは教会内を手分けして見回り始めた。


「――こっちは居ません!」


「こっちも何もないです!」


 次々と報告が上がる。出入り口を固めていた騎士団の兵も首を横に振るばかりだ。


「……どう、なっている?」


 報告を受け、ラカンが疑問の声を漏らす。

 この小さな教会に隠れられるような場所はないはずだ。

 だが、犯人の姿はどこにも見当たらない。


「まさか、フェイント……!?」


 エリナが小さな声で呟く。

 確かに、起こった事は窓ガラスが割れただけ。それなら外から石でも投げ込まれたのかもしれない。

 不安になったエリナが窓に近づこうと一歩を踏み出した、その時……。



 ――チリン



 祭壇の近くに仕掛けてあったトラップの鈴が、静かに音を立てた。

 全員が反射的にそちらを向く――が、その場には何も見えない。


 そんな彼らの反応を嘲笑うかのように、また一つ鈴の音が鳴り響く。


 ――チリン


「――そこかっ!」


 ラカンが声を上げ、勢いよく“姿の見えない”犯人に向かって飛び込んだ。だが、何もない空間に向かって突っ込んだ彼は、そのまま壁に激しくぶつかってしまった。


 ――チリン


 その後も、鈴は次々と音を立てながら、ゆっくりと、しかし確実に入り口に向かって進んでいく。


「く、来るなら来い!!」


 入り口を守っていた騎士団兵が身構える。

 二人がかりでがっしりと入り口のドアを閉鎖し犯人を待つが、しかし――


 ガシャン!!


 と大きな音を立て、出入り口に近い窓ガラスが割れた。


「――しまった! 窓から逃げたか! お前ら、追え!」


 ラカンが叫び、入り口の兵たちは慌てて外へと向かう。


「アイリス様、お怪我は!?」


 ラカンが急いでアイリスに駆け寄る。


「わ、私は平気です。皆さんは!? お怪我をなされた方はおいでませんか!?」


 アイリスは心配そうに周囲を見渡し、兵士たちの無事を気遣った。こんな時に兵の心配をする王女がどれほどいるだろうか。


 ラカンは全員の無事を確認し終わると、急いで台座に目を向けた。


「ブローチは!?」


「残念ながら、瓶の霧が晴れたときにはもう」


 側にいた神父が静かに首を振る。

 全員の目線が向けられたその先、台座の上からは、輝くブローチの姿が忽然と消えていた。


「ど、どうなってるんですか!? “姿追の薬瓶”が、効かなかった? もしかして私、瓶を投げるタイミング……」


 エリナは困惑しつつ床に落散らばった瓶の破片に目をやる。辺りには粉末が飛散し薄らと積もっているようだ。


「いや、お前のタイミングに問題はなかった。実際教会中に粉末は充電していたから、逃げ隠れる場所も無かったはずだ。それに……」


 ラカンは鈴のトラップの方へ目をやる。

 鈴は間違いなく鳴っていた。つまり、犯人は祭壇の方から、この通路を通って入り口の方へ向かったはずだ。


「ラカンさん、犯人に体当たりしてましたよね? 何か感触とかありませんでしたか!?」


 エリナが尋ねるが、ラカンは暗い顔をしたまま首を横に振る。


「鈴の音の間隔からして、体当たりのタイミングは間違い無かったはずだ。この通路もそんなに広くはない。仮に直撃を外したとしても、何かしら手応えはあると思ったんだが……まるで感触が無かった」


「え、それってつまり……」


 黙り込む二人の間を割るように、それまでじっと二人の会話を聞いていたアイリスがボソリと呟いた。


「……姿はおろか、形すら持たない亡霊だったということですか?」

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