第2話 見えない相手への秘策
拠点を出て少し歩くと、拠点の裏にある空き地に到着した。
この空き地は普段、武器や装備の手入れをする場所として使われているが、今は誰もいない。風に揺れる草がささやく中、ラカンはエリナをそこに待たせると、物置に何かを取りに行った。
ラカンが戻るまでの間、手持ち無沙汰なエリナは意味もなく周囲を見回しつつ、さっきのラカンの言葉を思い返す。
“透明薬”……聞いた事のない名前だ。名前からして物体を透明にする魔法の薬だろうか? 確かにダンジョンの中には目に見えない床など“透明”なことを利用したトラップはあると聞くが、それを人工的に作り出せるとは聞いた事がない。
しばらくして、ラカンが戻ってきた。彼の左手には、何か小さな瓶が握られている。
「俺が手に持っている物がなにか分かるか?」
ラカンが問いかけると、エリナは少し戸惑いながらも答えた。
「瓶、ですか?」
ラカンの左手には確かに拳大ほどのガラス瓶が握られている。中には何やらキラキラと輝く粉末が入っているようだが、まさかこれが透明薬なのだろうか?
「そうだな。じゃあ右手は?」
ラカンは、右手の掌を上に向けて差し出している。まるで何かを持っているようなポーズだが、エリナの目にはその掌の上に何も見えなかった。……いや、よく見ると薄い木片のような物を持っている。
「……何ですか? 木の板?」
エリナは首をかしげた。
「違うな。確かに今見えてるのは木の板だけだが、本質はそこじゃない。触ってみろ」
そう言って、ラカンは手を差し出した。
どう見てもただの薄い板にしか見えないが、エリナは少し戸惑いながらも、指示に従って手を伸ばし、彼の右手の掌の上にある板に触れようとした。
が、彼女の手が板までもう少しというところまで近づいた瞬間、驚愕の表情を浮かべて声を上げる。
「え!? 何かある!」
エリナの手が触れたのは、確かに何か硬いものだった。まるで無色透明なガラスでも触ったかのような感覚だが、見た目には何も見えない。エリナは驚きのあまり、その感触を確かめるために何度も触れてみたが、何度試しても同じだった。
ラカンはそんなエリナの様子を楽しむように見つめ、少し得意げにその物体を掲げる。
「別にそんなに驚く事はない。ダンジョンによくある“透明床”のトラップを、少し砕いて持ち帰ってきたものだ。これだけだとどこに行ったか分からなくなるから、透明の板をくっつけてある」
「話には聞いた事ありましたけど、初めて見ました。私ダンジョンは入り口までしか行った事がないので。それにしても、ガラスと違って、本当に見えないんですね」
「あぁ。詳しくは分からんが、光の屈折率が周りの物質と自動で同期されるから見えないんだと。今の人間の技術じゃ作り出せない魔法物質だそうだ」
「へぇー。よく分からないですけど、やっぱりダンジョンて凄いんですね」
難しい話は苦手なのか、エリナは深く考えずにとにかくうんうんと頭を振る。いつ作られたかすら分からないような古いダンジョンには、今の技術では解明できない魔法的な仕掛けが沢山あるが、これもその一つだ。
目をパチクリさせるエリナを見て、ラカンは話を続ける。
「ここまで説明すりゃなんとなく分かったと思うが、今回盗まれた“透明薬”は、なんと――この仕組みを人体に適用できる飲み薬だ」
「えっ!? つまり、完全な透明人間を作れるんですか!?」
驚いて身を乗り出すエリナにラカンは軽く頷く。
「その通り」
俄かに信じられない話だが、エリナの頭の中には、すぐにいくつもの懸念が浮かんだ。
透明になる薬……そんなものが犯罪に利用されたらどうなるのだろう?
「と、透明人間なんて、どうやって捕まえるんですか!?」
そんな彼女を見てラカンはフッと笑うと、冷静な表情で手の中にある透明な破片を見つめ、静かに口を開いた。
「まぁ、落ち着け。見えなくなるからといって、姿形まで消え去るわけじゃない」
そう言うと、ラカンは左手に持っていた瓶をエリナに手渡す。エリナは慎重にその瓶を受け取り、中を覗き込んだ。
一見普通の瓶のように見えるが、よく見ると中が特殊な構造をしているのが分かる。
「何ですか、この瓶?」
瓶は二層構造になっており、外側の層にはキラキラと輝く細かい粒子が充填されている。まるで星の粉のようなその光の粒に、エリナは一瞬見とれてしまう。
そして、内側の層は淡く色づいた液体で満たされている。こちらはやや粘度のある薬液のようだが、それが何なのかエリナには全く見当がつかなかった。
「“
ラカンは淡々と説明を続けた。
「俺が合図したら、瓶の蓋を強く押したあと、なるべく高めに瓶を投げろ」
ラカンはそう言うと、持っていた透明な破片を地面に置き、エリナの側まで離れてきた。
「よし、いいぞ」
「え、えと? 蓋を押せばいいんですか?」
エリナは言われるがまま、瓶をしっかりと握り、慎重に蓋に手をかけた。力を入れて蓋を押すと、突然「パキっ」という音がして、何かが割れたような感触が手に伝わってきた。
「? 何かパキっていいましたけど、これで良いんですか?」
エリナは不安げに首を傾げる。
だが、その瞬間ラカンが声を荒げた!
「バカっ! いいから早く投げろ!」
「え、えっ!?」
その声に驚き、エリナは慌てて瓶を山なりに投げ上げた。――が、瓶はエリナの手を離れてまもなく「パンッ」と小さな音を立てて炸裂する。
キラキラとした粉末が辺りに広がり、二人のの視界を覆った。
「ゴホッ、ゴホッ! 何ですかこれ、煙幕? ……ってか、臭っさい!」
思いっきり粉を吸い込んでしまったエリナが、むせながら手で口元を覆う。
「ゴホッ、心配するな。体に害は無い、らしい。にしても、確かに酷い臭いだな」
鼻をつく薬品臭に悶えながら、そこは『害は無い』と言い切って欲しかったなと思いつつ、エリナは息を整える。
広場に風が吹き、立ち込めていた粉末が散っていくと視界が明確になってくる。
頃合いを見計らって、ラカンは黙ったまま地面の上を指をさした。
「――え? どうなってるんですか!?」
ラカンが指差す先に何かを見つけたエリナが慌てて駆け寄る。
そこには、さっきまで透明で見えなかったはずの破片が、キラキラとした粉末に覆われ、はっきりと姿を現し鎮座していた。
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