第3話 こころ先輩の至近距離 息継ぎ指導

(ちゃぷん、ちゃぷん)


「では本日も水泳部の活動を始めます」


「よろしくお願いします」


「今日はどのような泳ぎを練習しましょうか」


「クロール、平泳ぎ、バタフライ。一通りやりましょうか」


「わたしが」


「教えてさしあげます」


「……なぜ、そんなに教えたがるのか、ですか?」


「そうですね……」


「わたしはいつも、お父様にお母様にお姉様、それに家のものに教えてもらってばかりだったので」


「今度は逆に、誰かに教えたいのです」


「そこへあなたが、現れてくださったので」


「教えたい、と心から思いました」


「……自信満々? ……いいえ、その逆です」


「むしろ、不安です。誰かに教えたこともないですし」


「だから、あなたに……他の方とわたしとで比べられたら、と思うと」


「不安なので……だから……」


「なにごとも……あなたが初めてだと、嬉しいです」


「ほっとします」


「初めてといえば、こうして男性の方と二人きりでおしゃべりをするのもわたしは初めてです」


「教室でも男子生徒とお話しすることはありませんから」


「女子生徒とも、あまり話しませんけれども」


「距離を置かれている、ような気がします」


「いいえ、それは気にしていないのですが」


「……わたしよりも、あなたの話をしましょう」


「あなたはどうですか?」


「教室や、あるいは他の場所で」


「女性と二人でお話しすることはありますか?」


「……ありませんか。わたしが初めて、ですか」


「そうですか」


「……よかった」(小声、嬉しそうに)


「いいえ、なんでもありません」(ダウナーに戻る)


「では、異性と二人きりでお話しする経験」


「わたしが、教えてさしあげます」


「えっ。……先輩も異性と二人きりのおしゃべりは初めてじゃないんですか、ですか?」


「……だから、それも……経験です」


「つまり」


「『異性と二人きりになって話したことのない女性と、二人きりになって話す経験』を、あなたに」


「教えてさしあげたいと思うのです」


「……早口言葉みたいになってしまいましたね」


「こうして話しているだけでも」


「お互いに」


「初体験、というわけですね」


「……貴重な経験、ですね」


「わたしは嬉しいです」


「……おしゃべりばかりではいけませんね」


「あなたと一緒だと、楽しいので」


「つい、お話ばかりしてしまいます」


「水泳部の活動をいたしましょう」


「今日は……そうですね」


「息継ぎの練習をしましょうか」


「クロールの息継ぎの話をいたします」


「息継ぎは、どうしても苦しくなって、顔が前に出てしまうのですが」


「それではいけません。顔は左か右に、ちょっと横に向けるだけでいいのです」


「泳いでいるときに、そっと顔を横に向けて、息をする……」


「わたしが実際にやってみましょう」


「お手本ですので、見ていてください」


(じゃばじゃば、という音。こころがプールの隅に移動する」


「いいですか。行きますよ」(気持ち大きめの声。遠くから)


(ばしゃっ、とこころがクロールで泳ぎ始めた音)


(ばっしゃ、ばっしゃ、ばっしゃ)(音はだんだん近づいてくる)


(ばしゃっ)


「ん、はっ」(少し遠く)


(ばしゃっ)


「ん、はぁっ!」(近くなる)


(ばしゃっ)


「ん、あぁっ」(至近距離)


(ばしゃっ)


「は、あぁ」(少し遠く)


(ばしゃっ)


「ふ、はぁ……」(遠く)


(ちゃぷん)


「……ふぅ……」(遠く)


(ばしゃばしゃ、とこころがこちらに歩いてくる音)


「どうですか。わたしが息継ぎをしているところが分かりましたか?」


「そうですか、それならばよかったです」


「息継ぎのコツは、水の中から出てきた瞬間に」


「すーっと、無理なく、空気を吸い込むことです」


「今度はここで」


「つまり、あなたの目の前でやりますから。見ていてくださいね」


「教えてさしあげます」


「いきますよ」


(ざぶんっ、とこころが潜る音)


(ざばっ、とこころが出てくる音)


「ぷ、はっ!」(超至近距離)


(ざぶんっ、とこころが潜る音)


(ざばっ、とこころが出てくる音)


「ぷ、ふぁっ」(超至近距離)


(ざぶんっ、とこころが潜る音)


(ざばっ、とこころが出てくる音)


「ん、はぁ!」(超至近距離)


「……はぁ、はぁ……」(超至近距離)


「はぁ……はぁ……」(超至近距離)


「ふぅ……」(超至近距離)


「このように、息継ぎは行います」(少し離れて)


「ご理解いただけましたか?」


「そうですか。よかった」


「ところで、つかぬことをお伺いしますが」


「このように、女性が目の前で息継ぎをしているのを眺めることは」


「あなたにとって、初めてですか?」


「……そうですか。……ならばよかった」


「これが……女性の息継ぎ音です」


「覚えていてください」


「忘れないで……くださいね……」


「それでは」


「もっと……もっと……」


「あなたに、息継ぎのやり方を」


「教えてさしあげます」(至近距離)


(ちゃぷん)


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