カラテ

 レイが幼少の頃、ランス皇帝ジャンヌを見舞った時のことだ。そこで皇帝は勇敢な少女にカーバンクルの首飾りを託したのと一緒に、もう一つ彼女へ贈り物をしていた。


「レイ。皇帝として最後にもう一つ、そなたの願いを叶えてしんぜよう。愛するランスの娘よ、何か望むことはあるか?」


「わたし、強くなりたいの。だからカラテを習いたい」


 カラテはジャンヌが皇帝に即位した折、東方世界オリエントの中でも極東に位置する大和日ノ本国やまとひのもとのくにから表敬に訪れた使節団によってもたらされた。遠路はるばるやって来た彼らを労う懇談会で、使節団の一人だった蒲田城南守広重かまたじょうなんのかみひろしげが皇帝の前で披露した演武が発祥とされる。初めて目の当たりにした東洋の武芸に心を奪われたジャンヌは使節団に懇願し、蒲田に師事を仰いだのだ。蒲田広重はこれを快諾し、武術指南役としてランスに残留した。


 カラテはランス軍の強さを底上げするだけでなく、広く民間にも普及し、やがて多くの強者がより高みを求めて武芸を競うエーテリアカップが開催されるまでに至る。


「それには大層きつくて苦しい道が続くぞ。それでもやるか」


「うん」


「そうか。本心を言えば余がそなたに稽古をつけてやりたいところだが……医者が怖い顔をするでな。代わりに良い師範シハンを紹介してやろう。彼の指導の下、真なる強さを求めるがいい……」



 一つ、吾々は! 心身を鋼と成すまで鍛え上げ、何者をも畏れぬ必殺の一撃を極めること!


「ああ?」  まさにシェランドンが3つ数え終えようとしたところで、レイが突然大声を上げた。この大音声に場を見守っていた魔王軍の戦士とカーバンクルも呆気にとられた。


「一つ、吾々は! 真なる強さと正義を追い求め……」


「おい、黙れ!」


 バリバリ、と魔星が宿す雷の力をレイに浴びせかけた。ふつうの人間であれば耐えられない電圧であり、いつショック死してもおかしくない。

 だが、それでもレイは言葉をつづけた。「……邪悪なる者どもがつけ入る心の隙を作らぬこと!」


「こ、こいつ⁉」


「一つ、我々は」


 ぐったりとぶら下がっているだけだったレイが息を吹き返し、一瞬でシェランドンの手を取って体を回すと、大男の体はものの見事に宙を舞った。ぐはっと背中を強打しつつも、シェランドンが素早く体勢を整えると、正面に立つレイが言葉を続けた。


「如何なる困難にも打ち克つ心を磨き、己が行く道に迷わぬこと」


「さっきから何を言うておるのじゃ、あやつは」


 ルシファリアが素朴な疑問を呈した。これにグレンザムが答える。「カラテの道場ドージョー訓だ。稽古ケーコ終わりに全員でアレを叫ぶ。全部で七つあるぞ」


「カラテを伝えたカマタヒロシゲの真意とは異なる形に意訳されて広まったらしいですが、概ね強い力に対する戒めと向上心が説かれています」


 外野の声に惑わされることもなく、レイはシェランドンに向き合った。苦しくなった時は道場訓を叫べ。ジャンヌの紹介でレイの師範となったラセンという男に言われたことだった。


 ラセン、そういえば元気かな。


 ジャンヌの見舞いを終えた次の日に、その男はふらっとレイの実家に姿を現した。家族は大騒ぎだ。父ラウールと兄のカストライアはそろって腰を抜かすし、妹のアンはわんわん泣いた。なにしろ男の姿は物乞いか浮浪者かという有り様で、戦後の軍縮に伴って失職した兵士が狼藉を企てることも少なくなかった時期である。彼らが怯えるのも無理はなかったが、母親のレオノーラだけは事前にシャルロットから話を聞いていたので、泰然と家族を落ち着かせるとレイを呼びつけた。

 レイの第一印象は、まずは汚らしい、だった。長い髪はぼさぼさで手入れがなされておらず、着の身着のままの衣服はずたぼろ。細い目だと思ったらずっとつむったままで、額には鈍い銀色をしたアクセサリを付けている。


 そんなラセンだが、実力は飛び抜けていた。いや、怪物に等しい。小さな時から抜群の運動神経を自慢していたレイではあったが、文字通り赤子のように手をひねられた。


「そんなざまでジャンヌの意志を引き継ぐわけではあるまい。さあ、立て。おれから一本でも取れば稽古は終わりだ。簡単だろう」


 以来数年にわたりレイはラセンの元でカラテの稽古に明け暮れたが、一度として一本を取れた試しがなかった。信じられないことだが、ラセンは視力を失っていた。それなのにレイは手も足も出ないのだ。

 ずっと強くなった実感がないのが嫌で、エーテリアカップに勝手に出場したら破門にされてしまった。優勝したら破門を取り消すと約束させたが、その後の騒動でうやむやになってしまい、流されるままにランス軍へ入隊してからは一度も会えないまま今日に至る。


 危機の最中ではあったが、ラセンから一本取るまで死んでたまるか、という思いが再びレイの心に闘志を灯したのだ。


「ねえヴィガン二尉。あなたもカラテをやっていたのなら、残りの道場訓を一緒に言わない? 気分が晴れるわよ」


「生憎だったな。カラテは俺の敵なんだよ」


 うわっと鋭い蹴りがレイを襲う。鋭利な突起が付いた兜足具での攻撃は槍に等しく、レイはステップでこれをかわさねばならなかった。

 ぴんとつま先まで伸ばした蹴りはカラテではあまり見られない蹴り方である。これにレイはようやく思い当たった。


「最初の立ち合いから何か違和感があったけど、やっと分かった。これは、サバット!」


サバットとな?」


 ルシファリアが教えてほしそうだったので、ランボルグが答えた。「ランスで生まれた格闘技で、文字通り靴を使った蹴り技が特徴です。元は町のやくざ者が喧嘩に用いたものですが、後に貴族の護身術として広まりました」


「ほう、貴族がのう」


「私も母に教わったわ。紳士淑女のたしなみだと言われてね」


「靴だけでなく、ステッキや他の武器も使う。接近すれば投げや関節技も用いる総合格闘技だ。さらにグランディアにも派生してバリアツという格闘技になった」


「それですよ、グレンザム! 私が敬愛する大作家ドナン・コイルの傑作『名探偵ハウズィズ』の主人公が使っていることでも知られていますね」


「たわけ、そんなことはどうでもよいわっ!」


「ランボルグに厳しい」


 それにしても術式に捕らわれて身動きができず、いつ火を吹くか分からない巨砲を向けられた状態であるのに、好き勝手に喋り始める魔王軍の戦士達である。カーバンクルでさえ呆れる彼らの無軌道な言動を、それまでのシェランドンであれば苛立ち交じりの大声で怒鳴り付けるところだが、今の彼はそれで心を乱すことはなかった。


「……俺の実家はサバットのジムだった。だが、すっかりカラテ人気に飲み込まれてジムは閉鎖に追いやられた。お袋は男を作って出ていき、親父はすっかり酒におぼれて体を壊して死んだ。カラテは俺の人生をぶち壊しやがった」


「それでサバットが最強の格闘技であると証明したいわけ?」


「正直、何が強えとかはどうでもいい。だが、カラテが最強だとかぬかす連中だけはぶちのめしたくなってしょうがねえ」


 魔星に与えられた電気の力を込め、シェランドンが再び鋭い爪先蹴りを狙った。蹴り足で一度接地面を蹴り上げて膝を抱え込み、ここから仕込みナイフのように筋肉の瞬発力を使って膝下部位を蹴り出すのだ。

 ガツ、とした鈍い衝撃がシェランドンの膝に当たり、うっと呻き声が口をついた。小癪なランス軍の女兵士は蹴り出す前の膝に自分の足を突き出してこれを止めていたのだ。


「何が強いのかってところには同意するわ。だって、わたしが最強になる手段の一つにカラテがあるのだから!」


 シェランドンが一度足を引いて次の攻撃へ移ろうとした時には、既にレイの姿は目の前になかった。本能的に身を守ろうと魔星の力に頼ってバリバリと電気の結界を張り巡らせたが、これはカーバンクルによって瞬時に打ち消されてしまった。

 完全に隙をさらけ出してしまった魔王軍の戦士にカノンの戦士の強力な一撃が見舞われた。床石を割るほどの踏み込みで繰り出された中段への掌底突きはシェランドンの大きな体をごろんごろんと吹き飛ばし、拘束されている魔戦士達の元まで転がせた。そこはエースライザーが照準を付けている場所であった。


撃てティール!」


 レイの号令一下、大砲は轟音を叫んで弾を発射した。

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