ソーヴガルド
(
若返ったボトムと対峙して圧倒されつつあった時、ルシファリアとカーバンクルが機罡獣に備わった通話能力でひそかに交わし合った脳内会話である。
(そう。レイを起こして、ボクの保存している情報を彼女に落とし込めば、エースライザーの所有権を放棄する前の状態に戻せるんだ)
(おい、貴様。さてはレイ・アルジュリオと別れると言っておきながら、最初からそんなつもりは微塵もなかったのじゃな。ソーヴガルドとは、私もうっかりしておったがのう!)
(い、いざという時の保険だよ。でも、実行するためにはレイ自身でエースライザーに触れさせなければならないんだ)
(要するに、私にどうして欲しいのじゃ)
(ベルニエールの注意をうまい具合に引き付けてくれたら、その間にボクがレイを起こす。そうすれば巨人へのエネルギー供給も止まるから、動きやすくなると思う。ベルニエールからエースライザーを奪い取ってボクの方へよこして)
(随分と都合の良い話じゃのう!)
そうしないとベルニエールに所有権が移ったままだから、とお調子者は言うのだが、ルシファリアにしてみればエースライザーの所有者が変わるだけで旨味のない提案だった。
しかし現状は巨人の構築する結界のせいで力を全く発揮できない。近い将来に敵対する相手よりも目の前の脅威を優先するしかなかった。
(いいだろうカーバンクル、今回はおまえの策に乗っかってやろう。この私に泥をすすらせるのじゃ、失敗は許さんぞ……)
「……」
エースライザーに触れた途端、レイの脳裏に直前まで記録されていたカーバンクルの記憶が流入してきた。それは決して少なくない情報量であったが、まるでその時間を共有したかのようにそれらの記憶は自然とレイの経験として蓄積された。だからレイはカーバンクルとルシファリアが一緒にいることも、ボトムが若い姿をしていることも、なぜ自分が病衣を着てエリクサーの中にいたのかも理解していた。
そして神秘の武具はレイを所有者としていた情報を取り戻し、ベルニエールを棄却したのである。
「調子はどう、レイ」
「問題ないわ! 記憶をそのまま移植できるなんて、とても便利な魔法ねカーバンクル。これがあれば勉強なんてしなくていいのに」
「ダメだよ、レイ。便利すぎる魔法は人をかえって堕落させてしまうんだ。旧世界の人々は魔法の力に溺れて幽鬼のような存在になってしまったのだから!」
「ア、アルジュリオ士長……」 ボトムはエリクサーから抜け出し、ん~つと伸びをしている部下の名を呻いた。
「はい、司令。ちょっとの間、こちらを向かないで頂けると助かります」
「なんだと……」
ボトムの見ている目の前で、レイは羽織っていた病衣をばさっと脱ぎ捨てて裸になった。さすがにこれには面食らったが、エースライザーが瞬時にレイの体をボトムの視線から遮ったため、彼女のプライバシーは保たれた。
カーバンクルは大いに困った。
「は? 服がないってどういうことよ!」
「でも、これなら拾っておいたよ」
鳥の額からレイのタブレット、アイホーク
「そうそう、友達からのメールが来てないか朝チェックする時間がなかったのよねって、バカ! こんな格好で何をしろっていうのよ」
「脱ぐ前に言えばいいのに、なんでそんなにそそっかしいのさ」
喧々諤々のやり取りが繰り返される中、地面に落ちていた病衣がひとりでに宙に浮かび上がった。あら、ら? と二人が見ている前でそれは帯状に変化してレイの体に巻きつくと、そのまま彼女の衣服になった。
カーバンクルが宙に鏡を出現させてレイがその身を写すと、首の上から手首、膝下までをぴたりと包む黒いユニタードの上に琥珀色をした袈裟状の上衣が左肩から膝の上までかぶされ、さらにその上にはカノンが付けていたような東洋風のショールがふわりと巻かれた。腰には土色の革帯がきゅっと止められている。
手には指切り手袋がはめられ、足には半長靴が装着されていた。
「なによ、こんなことが出来るのなら先に言いなさいよ。
「エ、エヘヘ……喜んでくれてよかった」
病衣の時と同じくカノンの手巾が一人でにやったことなのだが、カーバンクルは功績を手籠めにしてほくそえんだ。
「!」
ボトムは唐突にレイから敬礼を受けた。それがあまりにも美しい所作であったので、ボトムは軍人として反射的に返礼せざるを得なかった。
「レイ=ジャンヌ・スペンサー・アルジュリオ士長、復調いたしました。ついては司令官のご厚意にて特別な待遇を受けさせて頂き、感謝申し上げます。それから司令のお若い頃の姿も大変素敵でしたが、やはり私の好みとしましては、今のお姿の方が貫禄もあってよろしいかと思います」
「……それは何よりだ」
エースライザーの加護から離れたボトムの体は元の老体に戻っていた。してやられたことと、失った力の大きさから憎悪が渦巻くボトムの心中であったが、レイの屈託のない意見に充てられて揺らいでいた。
この純粋な存在感に、かつて仕えた皇帝ジャンヌ・ヴァルトに通じるものを見出したのだ。憎きスペンサー伯ルイ・アルジュリオの孫であるというのに、思えばこの小さな兵卒の超人的な能力はひ弱な文官という印象だったルイとは全く異質なものである。
いや、それどころか若い頃のジャンヌそのものではないか! ジャンヌもよく人目もはばからずに着替えを始め、周りにいた人間を困惑させたものだ。
「……それにしても少しは慎みを持たんか。まったくエルリックは隊員をゴリラにすることしか考えておらん。これだから平民は粗野でいかんのだ」
「ランスには平民しかおりませんよ、司令」
「貴官の祖父がそうしたのだ!」
「司令がルイ・アルジュリオのことをどう思っていようと勝手ですが、それで自分に当たるのは勘弁してください。そもそも自分は……」
「?」
「あ、いえ。その件はいいとして、もう一つ司令に具申します」
「なんだ」
「あなたの思い描く世界に自分は全く賛同できません。多少面倒なことがあっても、誰とでも友達になれるこの世界のあり方が自分は好きです。あなたの暴挙を人間世界の勝手とカノンが許容するのであれば、自分は軍を辞めてでもあなたの相手になります」
「な、なんだと……」 若い隊員の真っすぐな眼からは直視できないほど強い力を感じた。敗北にも似た感情を強く否定したかったが、今はここで意地を通すよりも優先すべきことがあることをボトムは悟った。「……分かったアルジュリオ士長。この件は一旦私の心に止める。代わりに軍人としての矜持を果たせ」
「何なりと」
「そこに魔王軍の首魁がいる。貴官の手で止めを刺せ」
「……ッ」
自分へ殺意を向けられたルシファリアはまだ片膝をついた状態だったが、即座に弾き飛ばされていた白玉剣を手元に引き寄せて構えた。巨人へのエネルギー供給が断たれた影響で多少の魔力の利用が見込めたが、ダメージで崩壊しつつある体を維持するのに大半を注力せねばならず、変身して戦うことはできなかった。
今襲って来られたら間違いなく消滅は免れない。
だがレイは身構えこそすれ、動かなかった。
「どうした、アルジュリオ士長! まさか敵に情が移ったわけではあるまいな」
「いいえ司令官、私は軍人です。命令を実行するのに私情を挟むことはしませんが、人質を取られています」
「人質……?」
がたがたっとカーバンクルが慌ててレイの背中に隠れた。「正確には人ではありませんが、一緒に斬り捨ててしまってよろしいでしょうか」
ルシファリアを見て、ボトムは大いに驚いた。なんと、この憎き魔王軍首魁の懐には自身が愛してやまないシャルトリューが抱かれていたのである。
「ミ、ミシュー……」
ボトムはうろたえた。
「ふふふ、ソーヴガルドではないが、私も保険は用意させてもらったのじゃよ。貴様の
カーバンクルの恐怖症はともかく、ボトムとミシューの間柄をも知り得たレイであるからこそ、攻撃を踏み止まった。そして下知を促す。
「司令、再度ご命令を。迷えば
みゃー。状況を分かっていない灰青色のネコはルシファリアの腕の中で愛嬌たっぷりに鳴いてみせた。
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