ベルニエールの野心

 通路はまるで赤土でできた洞窟のようだった。旧世界の魔王軍によって建造された巨大人型兵器の血管にも見え、時の重みが狭い空間を支配していた。やがて通路は広間につながった。

 そこはカーバンクルが祭られていたマージの心臓部であり、先程まで激戦が繰り広げられていた場所に間違いなかった。


「なんじゃ、これは。先刻とはまるで異質な、水の中にいるような鈍重さを感じるぞ」


「だろうね。ここは覚醒した巨人の特殊な固有結界の発生源で、普通の人間なら歩いてもいられないほどの霊力に満たされているんだ」


「ほう」 視線の先に立つ人影を見てルシファリアは笑った。「あの老いぼれは普通の人間ではないということかの」


 窓のない広間には旧世界によって組み上げられた光の術式によって照らされており、壁や天井は経年で赤みを帯びた文様が広がっていた。先の戦いで破壊されていた床や壁は復旧して巨大な祭壇も新たに設置されており、その上にはレイの入ったエリクサーのカプセルが置かれてある。


 周囲にはカプセルを取り巻くように術式が幾重にも描かれ、脈々と起動していた。その不思議な霊力を放つ祭壇の隣にベルニエール・ボトムの姿があった。


「神聖なる儀式の最中であるぞ。今、まさに旧世界の神の使いが復活する。誰にも邪魔はさせん」


 ボトムは冷笑しながら二人の珍客を迎えた。その眼には狂気が宿っているのをカーバンクルもルシファリアも感じ取った。


「ベルニエール! レイをどうするつもりなんだ。早く解放してよ」


「アルジュリオ士長にはこのまま巨人の核になってもらう」


 複数の術式が交錯しながらエリクサーのカプセルを包んでいた。祭壇を通してエネルギーが流れ、それが城砦そのものに吸収されていく。その度にマージは息づくように体を鼓動させた。「さすがは女神カノンに見出された人間だ。これより訪れる世界への贄にふさわしい」


「ばかっ、なんでそんなことを」


「お前たちには感謝しているよ。おかげで私は巨人に選ばれたのだ」


 魔王軍に責められた後、医務室に運ばれたボトムはエリクサーに入れられ、治療を受けていた。レイの砲撃がグビラードを直撃して大爆発を引き起こしたのがまさにこの時で、その影響でマージの城砦の奥深くで眠りについていた巨人の意識が覚醒したのである。


 通常兵器がいくら爆発したところで、巨人の深い眠りを妨げることはなかったはずだ。しかし膨大な魔力が凝縮された魔力モビルの炉心爆発はエネルギーの桁が違った。

 眠っていた巨人の意識を覚醒させるには十分だったのである。


「巨人は私に直接話しかけてきた。完全に復活するためには神に匹敵する強靭な霊魂が必要であると。そんな折、君がアルジュリオ士長を運んでいる場面に遭遇したのだ。私は、カノンに選ばれた人間の魂ならば巨人の要求に足りるのではないかと考えた。まさに正しい判断であったと心の底から喝采しておるよ」


 グオオ……オン。まるでボトムに答えるように、不気味な音が広間に響き、壁や床を揺らした。巨人の意識が強くなり、カーバンクルもルシファリアも次第に立っているのが辛い状況に追い込まれていった。


「ダメだよ、ベルニエール! この巨人はカノンと機罡戦隊の総がかりでも機能を停止させるのがやっとの強敵だったんだ。こんなものが甦ったら、世界は跡形もなく滅ぼされてしまう。現に今だって強力過ぎる術式がルティを狙っているんだから」


「この世は良くない方向に進んでしまった。貴族による絶対王政の世が人々の享受すべき正しい在り方なのだ。世界をやり直すには大掛かりな外科的な処置が必要なのだ」


「何が外科的じゃ。こやつが全力で魔力を射ち放てばその反動でこの城砦も滅却することは、とうに知れておるわ。貴様の狂気で部下を失うわけにはいかん。とっとと引導を受け取るがいい」


 白玉剣を握り、ボトムに近づくが、足取りは泥のぬかるみにはまったよう。マージの巨人が復活するにつけ強固になる結界はルシファリアの力をも束縛した。それはカーバンクルも同じことで、自身の能力に大きな制限が課せられていた。それが分かっているボトムの顔から冷笑が消えることはなかった。


「魂を持たぬ哀れな魔法人形ども。だが貴様らがその体内に抱える稀少な魔法の鉱石は巨人の力を補うに余りあろう」


「人間無勢が、旧魔王軍の遺産を手にして増長したか。老いぼれの貴様一人を斬って捨てる程度のことができぬと思うたか」


 結界に足を取られながらであったが、ルシファリアは床を蹴って一気にボトムとの間合いを詰めた。本当に斬ってしまわぬよう、止めるつもりでいたカーバンクルは、しかしボトムの行動を見て驚愕した。少女の白玉剣アラバスターメーザーを止めたのはエースライザーだったからだ。


 自律した万能武具はボトムを庇い、ヴァイダム首領の攻撃を弾いて見せたのだ。


 驚いたのはルシファリアも一緒で、旧世界での戦いにおいて最も自分を苦しめた武器が今再び眼前に立ち塞がったのだ。


「カーバンクル、これは一体どういうことじゃ!」


「ボクも分からないよ! 確かにエースライザーの機能は停止させたんだ……」


「運も私に味方したということだ」


 ボトムはゆっくりと首に手をやり、下げていた首飾りを見せた。それはレイの持っていた柘榴石で違いなかった。


◆◆◆


 エルリックらが部屋を出て行った後、ボトムは巨人の声に従ってレイの入った筐体を壁から抜き出し、専用の台車を用いて巨人の部屋へ向かおうとした。その際、台車の車輪が床に畳んで置いてあったレイの衣服を踏んづけてしまい、もっと邪魔にならないところに置いておけと毒づくボトムだったが、ポケットに何か入っていることに気が付いた。


「こ、これは……」


 拾い上げてみると、それはまさにジャンヌがレイに託した柘榴石の首飾りではないか。ご丁寧にも黒人武官はわざわざ彼女の首飾りを外してポケットに入れたらしい。ボトムはジャンヌから自分こそがこの石を譲り受けるものだと信じて疑っていなかったので、迷うことなくそれを自身の首にかけた。


 寝室へ移動すると、すでに巨人が開通させたという通路が壁の一部に開いていた。本棚の上でこちらの様子を伺っているミシューの頭を撫でてつつ、しばらく部屋で大人しくしているように言いつけて筐体を運んだ。エースライザーが後を着いてくるのだが、ボトムは気にせず通路を通り、やがて巨人の控える中央広間へ到着した。


 そこは爆撃でもあったかのようなひどい有様であったが、巨人マージの声が響いた。


「勇将にして偉大なる司令官、ベルニエール・ボトムよ。よくぞ我の求める魂の持ち主を連れて来てくれた。我が力はいずれすべて其方そなたのものとなり、其方の思い描く世界の実現に役立つことであろう」


 ボトムの見ている目の前で散らかった室内は時間が巻き戻っていくようにして元の姿へ復元されていき、やがて祭壇が部屋の中央部に出現した。ボトムが迷うことなくレイの入った筐体をそこまで運ぶと、あとは巨人がそれを祭壇の上に乗せた。


 巨人マージがエネルギーを充填させ、いよいよ稼働しようという瞬間である。空中に浮遊していた神秘の武具が突然力を失い、がらんと音を立てて床の上に転がったのだ。これはカーバンクルがレイとエースライザーの関係をリセットしたためなのだが、ボトムにそれが分かるはずがない。しかし、何事かと思って盾に触れて調べているうち、ふと「今なら剣が抜けるのではないか」と閃いた。はたしてボトムが盾の内側に備えられた剣の柄を握り、力を入れると刃は何の抵抗もなく鞘から抜け、同時に首飾りが眩く輝いたのだった。

 エースライザーがボトムを新たな所有者として認めたのである。


◆◆◆


「おのれは、どこまで間抜けなやつなのじゃ」


「君がやれって言ったんじゃないか」


「神に感謝するぞ。これこそが私の求めた力だ」


 ボトムはエースライザーから剣を抜き放った。「おお……、なんと素晴らしい。魂から肉体が若返るようだ」


「……!」


 実際にボトムの姿は大幅に若返っていた。後退していた髪の生え際は豊富な盛り返しを見せて活力に漲り、目はぎらぎらと輝いて野心に満ちていた。

 カーバンクルは叫んだ。


「ベルニエール、エースライザーの能力は起動できても、細かな調整はできてないでしょ! そのまま使えば間違いなく体力を浪費して倒れてしまうよ!」


「巨人の結界で力を抑え込まれた貴様らが相手ならば、そこまで疲労することもなかろう」 ボトムは剣と盾を合わせ、エースライザーを斧槍アルバルド状の武器へ変化させると、それを軽々と振るって見せた。「ふふふ、かつて大陸軍では騎馬隊の長として一番槍を振るったものだ。久しぶりに血が滾るぞ」

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