ミシュー
ルシファリアとカーバンクルはボトムの個室まで大急ぎでやってきた。鍵はかけられていなかったので中へ入ると、ルシファリアは室内の大層豪華な装飾品が置かれた華美な様式に呆れた。
「やつは一体どこじゃ。その辺の絵やら模様の合間に埋まっているのかと思ったが、姿が見えんぞ」
「大変だ、エリクサーがなくなっている!」
先程まで設置されていた医療術式装置は壁に埋め込まれた補助用の機器と台座、端末部が残るのみで、本体であるカプセルはすっぽりと抜き取られていた。ボトムがレイをどこかへ連れ去ったということだろうか。
カーバンクルは必死で彼女の行方を探そうと自らの宝石を明滅させる。
「待て」
ルシファリア達のいる場所から隣の部屋に何者かの気配を感じた。そういえばブリックが物音を拾っていたことをカーバンクルは思い出す。
扉を開いて中に入ると、そこは書斎を兼ねた寝室のようであった。振動で机の上にあった筆記用具や棚の本がばらばらと転落しており、そのうちの一冊をルシファリアは拾い上げた。
「日記のようじゃが……」
「ねえルシファリア。今は人の日記を勝手に読んでいる場合じゃないと思うんだけど」
ぱらぱらと中身を通読して、ルシファリアは大笑いした。「はっはっは! あの司令官とやら、なかなか面白い男のようじゃのぉわっ」
いきなりカーバンクルに顔面に飛びつかれ、ルシファリアは何事かと身構えた。「……き、貴様。気でもふれよったか」
払い落そうとするのだが、カーバンクルはまるで怯えているようにバタバタとうごめき、ルシファリアの手をかいくぐって胸から背中、そして彼女の長い黒髪の中へ隠れて震えた。
「ええい、うっとうしい! 離れぬか痴れ者」
「あ、あそこ……」
と、ルシファリアの髪の中から翼を伸ばすのでそちらの方向を見ると、果たして壁の一角に先ほど感じた気配の正体を知った。そこには一匹の青灰色をした猫が頭部と前足だけを出して埋まっていたのだ。
猫はオレンジ色の目で珍妙な客人たちを興味深そうに眺めている。
「おう、おう。この者が日記に書かれていたネコじゃな。なるほどシャルトリューらしく微笑ましい顔つきじゃ」
しゃきん、とルシファリアは宝筐(ガマ口の財布)から自らの二つ名を示す
そして、みゃあ、と一声発すると、青灰色の猫はぴょこんとルシファリアの胸に飛びあがった。
「ひええ、なんてことを」
これに仰天したカーバンクルはルシファリアの背中を離脱し、天井にぶら下がっていた照明器具の上に隠れた。
「なんじゃあ、おぬし。機罡獣のくせにネコが苦手とは情けないのう」
ルシファリアはそう言いつつも笑いが止まらない。これは思わぬ形で敵失を手に入れた。今後に利用しない手はない。「おぬし、あの司令官が何故自室にエリクサーなどという高価な機械を入れたか、分かるか。理由はこのネコじゃ。この者、なんでも遺伝性の病を患っているようでのう。その治療のためにわざわざエリクサーに頼ったと日記に綴ってあったわ」
「それはいいけど、いつまでそのネコを抱えているのさ。離してあげればいいのに」
「名はミシューじゃ。あやつの旧家はシャルトリューの飼育を主な生業としておったようでな。王室や貴族連中に献上し、その褒美に貴族の地位を手にしたそうじゃ」
時折じゃれてくるミシューに顔をすりすりとされながら、ルシファリアは「ヒヒヒ……」と意地の悪い顔をしてカーバンクルを見上げた。すっかり場の支配権を奪われてしまった不思議な鳥は、小さくなって訊ねるのが精いっぱいだった。
「そ、それで。ボトム司令は、自分が今どこにいるのかは日記に書いていなかったの?」
「生憎じゃが昨日までの記述しかない。しかし面白いことが書かれてあった。あやつは極端な王党派思想の持主での、
「革命……?」
ビーッ! ビーッ!
むむっ、とルシファリアが部屋に響いた警報に反応した。「何事じゃ、カーバンクル」
「侵入者に対する警備システムが発動したみたい」
鳥と幼女の視線は寝室の壁に飾られていた騎士の絵画に注視されていた。中世期に流行した鉄の鎧に身を包み、手に槍を持った騎士がキャンパスの中でゆるりと動いて侵入者に向き合い、警告を発してきたのだ。
「高貴なる主の部屋を荒らす不埒者どもめ、即刻立ち去れ。さもなければ……」
「だまれ」 ルシファリアがくわっと目を開いて睨みつけると、瞬時に騎士の絵は爆発して額縁が落下した。
その音に驚いたミシューがルシファリアから離れてベッドの下に潜り込むと、入れ替わるようにカーバンクルが降りてきて彼女の肩に止まった。
「なんて乱暴なことを!」
「この私に命令できるのは魔王ハジュンただ御一人。たかが警備用術式の分際が身の程知らずにも」
「警告は成された。排除する」
なぬ? 破壊された絵画を見ると、騎士の絵が額を抜けて実体化した姿で現れた。「愚かな侵入者よ。我が主の前にその首を晒してくれよう」
「ほほう、少しは手ごたえのある術式のようじゃ。よかろう、遊び相手には不足であるが戯れに付き合ってやろう」 白玉剣を眼前に引き上げて叫ぶ。「ヴァイダムチェンジ!」
鎧が手に持った槍を薙ぎ払うと、ルシファリアとカーバンクルはきれいに壁まで吹き飛ばされた。
「むむむ、これは一体どうしたことじゃ」
魔力は発動されず、ルシファリアは元の姿のままであった。彼女の下敷きにされていたカーバンクルが股の下から這い出てくると、宝石を光らせて状況を観察する。
「どうやら巨人が本格的に活性化してきたんだ。体内に固有の結界が構築されて、ボクたちの魔力が弱体化されているんだ」
「ええい、賢しい人間どもめ。なんと小癪な兵器を作りよる」
「これを作ったのはジャハンナム(旧世界における魔王軍の名称)だけどね」
やかましい、とルシファリアがカーバンクルを蹴り飛ばし、その反動で自身もその場から飛びずさった。同時に魔法の鎧の強烈な攻撃が二人のうずくまっていた場所を襲い、激しく石床を砕いて噴煙を上げた。
「カーバンクル、あやつの気を引けい。一瞬でよい」
言われて不思議な鳥は自身の額に填められた宝石を輝かせる。すわ、と鎧はこの奇妙な鳥を一番に倒すべき敵であると認識し、手当たり次第に壁に飾られていた彫刻や絵画に攻撃を仕掛け、美術的な価値が高いであろう品々を次々と粉塵に変えていった。
むろんカーバンクルは得意の囮術式を使って見当違いの場所を怪物に攻撃させているのだが、魔法の精度が落ちているので長くは続けられない。
そこへ少女の持った剣が白い軌跡を描いて鎧の脳天に叩き込まれた。
「むむむっ?」
ところが剣は鎧怪物の頭に少し切り込みを入れるにとどまり、この一撃でカーバンクルを追っていた怪物の意識はルシファリアに移った。鎧の手が鋭い螺旋の刻まれたドリルに変化し、それを甲高い音と共に高速回転させると、自身の頭部に剣を打ち込んだままぶら下がっている小さな敵の体を刺突した。
鎧のドリルパンチはあっという間にルシファリアの体を貫き、先端部が背中から突き出たところで回転が止まった。鎧の怪物が敵の排除を確認したとき、ふと声がしたことに気が付いた。
「ボクの魔法も、これでもう限界だよ」
「十分じゃ」
――ッ! 鎧の怪物が改めて腕に絡め捕った敵を見ると、それは少女に似せた人形であった。
はっと背後に敵を察知して振り向くと、再び自分の脳天に黒い少女の剣が振り下ろされていた。
「貴様ごときにはもったいないほどの力を溜めた一撃じゃ。とくと味わうがよいわ」
ルシファリアの放った白玉剣渾身の一太刀は鎧の化け物の命脈たる魔力ごと真っ二つに切り裂き、制御を失った鎧の怪物はがらんがらんと床の上に散らばって消えた。
「おのれ、たかが警備用術式が手を焼かせおって」
「いや、まだ終わりじゃないみたい」
部屋の出口の方から騒々しい音が響いた。警備システムが異常を指し示し、警戒レベルを引き上げ、先ほど倒した怪物の同型が順次実体化して侵入者を捕らえんとしているのだった。カーバンクルが感知しただけでその数は十体を超えた。
急いでカーバンクルが部屋の扉を閉め、そこへルシファリアがベッドやら棚などを放り投げて戸を封鎖した。しかし凄まじい力で打撃された扉はミシミシと悲鳴を上げて障害物を揺らし、突破されるのは時間の問題だった。
変身できれば瞬時に
「おお、そなたも無事であったか」
ミシューは本棚の上にいて、ここを見ろ、と思わせぶりな仕草をしてみせた。
ルシファリアとカーバンクルは一度顔を見合わせ、そしてすぐに気が付いた。棚にあった本は巨人の振動でほとんど崩れ落ちているのに、一冊だけ微動だにせず屹立していたのだ。
ルシファリアがその本に手を伸ばし、少し引き出すと、カチッという音と共に壁の一部が開き、隠された通路が現れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます