必要があるなら

 所用を済ませて帰って来たシェランドンが医務室に入るや否や、ルシファリアは怒号を発した。


「遅い! たかが排便に何分かかっておるのじゃ」


「放っとけよ、うるせえなあ」


 魔王軍の戦士ディアゲリエとしてレベルが高まれば空気中に漂う冥界のエネルギーだけで生きていけるとかで、結果的に食事や排泄の必要はなくなるそうである。早くその域に達せよというルシファリアなりの激励かもしれないが、意地の悪い言い方には変わらない。それがシェランドンには不満だ。


「で? 片割れの居場所は知れたのか」


「はい」 ランボルグが穏やかに答えた。「ボトム司令官の個室のようです。恐れ入りますが、ヴァイクロン兵を従えて彼を拘束してください」


「女は」


「例の万能武器が彼女を守っているとのことです。十分に注意を」


「おい」


 素手で太刀打ちはできないと分かっていても、信頼する部下の命がかかる場面で男に迷いはなかった。

 エルリックはシェランドンに肉薄し、凄みを利かせて言い放って見せた。


「魔王軍の戦士はケガをして寝込んだ人間にも手を下すのか。少なくともお前たちは邪知暴虐に徹さず、分別をもった誇りのある戦士だと思っていたのだがな」


「ははは! こいつは笑えるぜ。悪意の塊から生まれたハジュンの軍団に清廉潔白さを見ていたとはな」


「ねえシェランドン……」 ヴェロニックが愛想をつかしたような仕草を交えて言った。「それを言うのなら、もう少し堂々としてなさいな」


 黒人将校の迫力に気圧されて腰が引けているのを自覚したシェランドンは「ぐぬぬ」と歯ぎしりした。だめだこりゃ、とルシファリアもそっぽを向き、鳥籠の中にいるカーバンクルを小突き始めた。ギエエとさえずる声を背に、ランボルグが口を開いた。


「隊長。過分な評価を頂き恐縮ですが、必要なことに全力を尽くすことがヴァイダムの理念です。機罡獣を従えるカノンの戦士は我らにとり大きな障害となるのは明白。今ここで排除せざるを得ません」


 今度はエルリックが銀面の男に黙らされた。眼力だけは退かなかったが、何も言い返せない。


「分かったよ! レイと別れるから」


「なんじゃと?」 ちくちくと手近にあった棒でカーバンクルをつついていたルシファリアはその手を止めた。「それは本当か」


「カーバンクル!」


「まあまあ、隊長。彼の話を聞きましょう」


「ボクたちカノンの機罡獣は相方に選んだ人間と一緒でなければ全力を発揮できない。だからレイを助けてほしい」


 少女は鳥籠の中に手を入れ、カーバンクルの首根っこを掴んで引き寄せた。「どうせ良からぬ企みがあるのじゃろ。その手には引っかからんぞ」


「まあまあ、ルシファリア」


 首を絞められて悲鳴を上げるカーバンクルだ。その手を緩めないままルシファリアは銀面軍師に向き直った。「ランボよ、こやつの腹の内はおぬしよりも格段に黒いのじゃぞ。優しい顔をすればすぐにつけあがるのじゃ」


「最初に、ボトム司令官の部屋に置いてあるというエースライザーの守りを解かせてみてはどうでしょう。然る後、この機罡獣とその武器を深く封印してしまえば障害ではなくなります。我らは当初の目的を達成することができ、無益な殺生も控えることができます」


 ふん、とルシファリアは鼻を鳴らした。「聞いたな、カーバンクル。今すぐにやれ」


 首根っこを握られたまま、カーバンクルは額の宝石を明滅させた。


 その瞬間である。ずずん、とマージの城砦が揺れた。


 医務室にあった棚から薬品などが落ち、医療スタッフたちは患者を守ることに奔走した。稼働中だったエリクサーが次々と緊急停止し、医師や看護師がパネルを操作して安全や動作確認の必要に迫られた。

 振動はなおも強まり、一部の石壁が悲鳴を上げて崩れ始め、天井からはさらさらと砂やほこりと一緒に石も落ちてきて医務室の器具類を破壊した。


「ええい、言わんこっちゃない。貴様、何をしでかしおった!」


 怒りのあまり、ルシファリアはカーバンクルを掴んだまま鳥籠を破壊しつつ眼前に引き寄せ、大声を上げた。哀れな鳥は両翼を上げたまま必死に訴えた。


「違うよ、ボクは言われた通りにしただけで、こんなことになるはずはないんだよ」


 これはいかん、とエルリックは医療スタッフと共に医務室のトラブルに当たった。ランボルグの持つタブレットに連絡が入った。


「グレンザムですか。え? なんですって……」


 ルシファリアは依然として続く振動に黒髪を揺らしながらランボルグからの報告を待った。「ランボ、グレンはなんと申しておったのじゃ」


「巨人の腕が突然動き出し、駐留しておいたグビラード2号機を掴んで体内に引き込んだ、とのことです。初号機に関しては彼の指示で緊急発進させたため難を逃れたようですが、自分自身も城壁に足が埋まって動けないと」


「何を言っておるのか分からんが、すべてこやつの仕業か」


「ボクは何も! これは全く想定外の出来事なんだってば」


「ねえ、大変!」


 と、今度はヴェロニックだ。空中に魔法の窓を何枚も展開し、それらに直接触れながら叫んだ。「凍結中だったマージの防衛システムがすべて書き換えられたわ。多分オリジナルと思われるシステムが復旧してマージを統制しているのよ」


「じゃあ何か、魔導士の姐さん」 シェランドンが訊ねた。「古代の巨人兵器が生き返ったとでもいうのか?」


 ヴェロニックが答えるよりも早く、城砦内に警報がけたたましく打ち鳴らされ、機械的な音声によるアナウンスが流れた。


「緊急! 緊急! これよりマージは中断されていた射撃術式を復旧させる。攻撃目標はランス首都ルティ。射撃時の反動、閃光、発射音に対する防御としてこれより城砦内の全兵員に固定防御術式を施す。各員はその場を動かず、術式の掌握下に入れ。繰り返す。これよりマージは……」


「固定術式だと……?」


 と疑問を抱く間もなく、シェランドンの足が石床に掴まれた。「な、こ、これは」


 異常を察知し、すぐに石床から足を離そうとしたが信じられないほどのパワーで拘束されてしまい、シェランドンの大きな体はそのまま壁に埋め込まれてしまった。見れば医務室の医療スタッフや患者も同様に生き物のように変化した床や壁、天井に掴まれて次々とその中へ引き込まれていく。


「ぐ、なんということだ」


 エルリックもまた壁に飲み込まれ、城砦内の人間はルシファリアとカーバンクルを覗いた全員が壁や床に捕らわれてしまった。


「ランボ、ヴェル! なんじゃ、おぬしらまで。ちと待っておれ」


 ヴェロニックから引っ張り出そうとするのをランボルグは止めた。「ルシファリア、原因は不明ですが巨人が覚醒したようです。あなた達が動けるのは神の創造物である所以でしょう。あなた達で原因を突き止め、事態に対処して下さい」


 ヴァイクロン兵も全員埋まっているのを見て、ルシファリアは心底呆れた。


「こやつと一緒に行けというのか」


「仲良いように見えるけどな……いてっ!」


 手に持っていたカーバンクルを思わずシェランドンの顔面に放り投げてしまい、不覚にも不思議な鳥に自由を与えてしまったことを悔やむルシファリアだったが、致し方がない。


「カーバンクルよ。今は必要があるから貴様と組んでやるが、妙なマネをしたらタダでは済まさんぞ。貴様の契約者のみならず、この城砦にいる人間ども全員の魂をハジュンに捧げてくれるわ」


「エヘヘ。それで十分」


「急いだ方が良さそうよ」


 ヴェロニックが巨人の固定術式に囚われた状態ではあるものの、かろうじて自由が利く右手を使って魔窓を展開させていた。「ざっと巨人が撃とうとしている魔法のエネルギーを計算してみたんだけど、現在ヴァイダムが開発している大型戦略術式ザイゴーヴの約七千倍ですって!」


 さらっと魔王軍の最重要機密情報が飛び出してルシファリアは開いた口が塞がらない。ランボルグもシェランドンも顔がひきつった。言ったヴェロニックも「あ」と苦笑いだ。


「それは興味深い話だな」


 ランス軍の黒人将校がこれに食らいつく。「その戦略兵器が如何ほどの威力があるのかは知らないが、仮にそれが射ち放たれた場合、ルティはどうなる」


「跡形もなくなるよ……」


 そう答えたのはシェランドンの頭を巣に見立ててくつろぐカーバンクルだ。「昔、カノンがこの巨人が撃ち出そうとした魔力を計測したんだ。現在の単位に置き換えたとしても、最低三垓トワカンティリオンlavsラヴォワーズ


「トワ……カンティリオンだと?」


 シェランドンは理系出身だが、あまりにも天文学的な数値に実感が湧かなかった。なお魔力を表す単位lavsはレアンシャントゥールを牽引したランス人研究者ラヴォワーズの名である。「ルティ一つじゃ済まねえ、ランスどころか西方社会オクシデントそのものが吹き飛ぶパワーだぞ。こいつ、何でまた復活して直ぐにそんな物騒なモノをぶっ放す気になりやがった」


「伝承では、巨人マージはまさに射撃寸前で機罡戦隊に凍結されたといいます。気絶した人間が意識を取り戻した瞬間、その直前までしていた行動を続けようとすることは往々にしてあることです」


 銀面軍師はこのような事態においても冷静な判断力を失っておらず、的確な分析をしてみせた。


「それでも現在の魔力量じゃ、そこまでの破壊力が出せるとはとても思えねえが」


「グレンザムは、巨人がグビラードを取り込んだと言っていました。グビラードの魔力増幅炉を使えば、或いは昔日に近い威力が見込めるかもしれません」


「いずれにせよそんな莫大なエネルギー、撃った方も無事で済むはずなくて、発射して3秒後にはマージだってきれいさっぱり蒸発するわよ。こんな防御術式、何の意味もないし、時間もない。だからあんたたち、いつまでもぼうっとしてないで、言われた通りさっさと巨人を止めてきなさい!」


 こと、魔法に関して集中すると熱くなって言動に見境が無くなるのが白薔薇の魔導士だ。不思議な鳥はともかく、魔王軍の首魁に対してもこの言いようである。ルシファリアは怒るよりも困惑した。


「ええい、だからって一体どこを探せというのじゃ」


「ボトムだ!」 エルリックが思い出したように叫んだ。「あいつは俺にこう言った。医務室のエリクサーは全基稼働していると。だが、今確認したら、一基は未使用だった。あいつは最初からレイを狙っていた。何を企んでいるのか知らないが、早く行け。手遅れになる前に!」

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