人命救助が第一

 時間は一旦、カーバンクルを肩に乗せたエルリックとブリックが並んで医務室へ向かおうとする途中まで巻き戻る。彼らはそこでトイレから用を済ませて出てきたマージ司令官、ベルニエール・ボトムと出合ったのだ。


「これは司令。お、お疲れ、様です」


 ブリックが姿勢を正して敬礼をするのだが、顔の腫れが挨拶するのを邪魔した。かなり滑稽な姿だったが、ボトムは彼に返礼することもなく、エルリックの肩に乗っている鳥に目を奪われていた。


「エリクソン三佐……、それが、君がジャンヌに言われてこのマージに封印したという……」


「うん。ボクがカーバンクルだよ、ベルニエール。マージの防衛任務ご苦労さん。おかげでボクはレイに出会えたよ」


「う、うむ」 ぐいぐい前に出て自分の名を呼ぶ不思議な鳥の存在を若干引いた位置で受け止めたボトムであるが、カーバンクルの額にある柘榴石からは目が離せなかった。「ジャンヌが、こともあろうにスペンサー伯の孫へその柘榴石を渡した時は気がふれたのではないかと思ったものだが……。それで、アルジュリオ士長はどうした」


「実は今、危険な状態です。早くエリクサーに放り込まないと……」


 なに、と驚くボトムにカーバンクルが宝筐の中で眠るレイの姿を見せた。そして先を急ぐ旨を告げて別れようとした時である。ボトムが立ち去る彼らの背後に「待て」と声をかけて止めさせた。


「エリクソン三佐、医務室のエリクサーは現在すべて稼働中だ。いずれも瀕死の重傷者ばかりで、回復には時間がかかる」


「それは、本当ですか司令」


 愕然とするブリックとカーバンクルだった。


「私もたった今まで医務室にいたのだ」


 言われて彼らは、司令官が敵にひどい仕打ちを受けたことを改めて思い返した。それこそ、ブリックの怪我など比べ物にならないほどの苦痛だったはずだ。ボトムの自尊心に配慮して、そのことには触れずにいたのである。

 しかし、だからといってこのままでは解決策がない。

 ここでエルリックはボトムの目が何かを訴えていることに気が付いて言った。


「ベルニエール。あなたには何か良い案があるようですが」


「ついて来なさい」


 隊員用の居住区から少し離れたところに司令官専用の個室が用意されてある。ボトムに連れられて来たエルリック達は、贅を凝らした絵画やアンティークなどが飾られた広い部屋へ通された。その絢爛さに感嘆する一方で、そこにはおよそ不釣り合いな機械が壁に埋め込まれているのを発見した。


「ボトム司令、これは一体……」


「予備のエリクサーだ。この機器が搬入された時、私の権限で一つ、ここに設置したのだ」


 豪華な飾り物に並んで設置されている最新医療機器の違和感に目を丸めるブリックとカーバンクルであったが、エルリックは疑惑の視線をボトムに向けた。


「一体何のために? 医務室に置いておけば、その分治療できる患者の数が増えるのでは」


「私の機転が今、アルジュリオ士長を救うことになるのだ。文句があるのかね、エリクソン三佐」


 エルリックの不服を気にすることなく、ボトムはブリックに指示を出すと、若い士官は慌てて言われた通りにエリクサーを起動した。カーバンクルが操作パネルに触れて、あれこれと設定を終えると、壁の一部が押し出されて半円形の透明なドームに覆われた長方形の筐体が出現した。

 術式が問題なく運用されていることを示す光の筋が筐体の表面に幾何学的な文様を描き、ドームの蓋が二枚貝のように開いた。


 カーバンクルが額の柘榴石を輝かせると、光に包まれたレイの体が見守る人間の前に現れた。


「レイッ」


 薄れゆく光の中からレイの体をブリックが支え、微細な刺繍が縫われた絨毯の上に寝かせた。エルリックが状態を診るが、なんてこった、と吐き出した。

 出血が少ないことは幸いであったが、全身にひどい火傷の跡がある。

 これだけでも命に関わるが、何よりも疲労困憊で衰弱した状態であり、一刻の猶予もなかった。


「よし、すぐに着ているものを脱がせろ。俺がこっちをやるから、おまえはそっちだ」


「えっ、ちょっと待ってください。女性を呼んできた方がよくないですか?」


 エリクサーを患者へ効果的に使うためには、余計な衣服は脱がし、専用の病衣を着用することが望まれる。しかし女性の権利やプライバシーへの配慮で、このような場面においては処置に迷う男性は多い。医務室や四中隊にも女性スタッフはいるのだが、エルリックは明確に言い切った。


「早くしないと手遅れになる。これは命令だ。さっさと服を引ん剝け!」


 いや、言い方! と躊躇するもブリックは致し方なくレイの衣服を外しにかかった。さっきからじーっとこちらを見ているカーバンクルの視線が突き刺さる。これは命令されてやっていることだ、正しいことをしている、緊急事態なのだから仕方がない、と心に言い聞かせながら作業を続けた。


「大丈夫だよ、ブリック。この場面はボクが記録しているから、もしレイが訴訟しても無実を証明できるよ」


「ああ、そう。それはよかった(いや、いいのかな?)」


「でもニヤニヤしていると痴漢行為だと受け取られかねないから、そこは注意だよ」


 緩みそうだった顔をぐっと引き締め、努めて無心で作業を続けるブリックは、極力視線を部屋の豪華な装飾品の方へ移して気を紛らわせた。そんな彼の目に一枚の扉が飛び込み、なにやらその奥から物音がするのに気が付いた。


「そちらの部屋にどなたかいらっしゃいますか? ごそごそと音がしますが……」


「集中しろフューリー三尉。常在戦場の心構えがなっとらん」


「し、失礼しました。それでは質問を変えます。病衣はお持ちでしょうか?」


「洗濯中だ」


 はあ、と呆れるブリックであったが、脱がせた戦闘服(下)のポケットに手巾が入っていることにカーバンクルが気付き、取り出すように促すのでそうすると、手巾は一瞬で白無垢の病衣へ変わった。

 これも不思議な鳥の魔法かとブリックは感心した。


「こんなこともできるなんて、すごいねカーバンクル! 隊長、病衣が手に入りましたよ」


「エヘヘ……」 一目見て、それがカノンの持ち物であることはすぐに判別できた。きっと彼女がレイのために渡したのだろうと都合よく解釈をする。なにしろ天上世界の物質には優れた魔法の力が織り込まれているのだ。細かいことは気にせず、使える物は使ってレイを助けたかった。


「よし、病衣をそこに広げろ。その上にレイを寝かせて……おいブリック、ぼけっとするな。さっさと両足を持て。合図で持ち上げるぞ」


「あ、はい」


 短い時間だったはずなのに、筐体内にレイの体を収めて蓋をした時点でブリックはとてつもない疲労感を覚えた。そんな彼を気に掛けることもなく、カーバンクルがいよいよエリクサーを起動させるとドームの表面に幾筋もの細い光が走り、筐体がゆっくり、壁の中へ収まっていった。


「これで後は待つだけだよ。だから今はレイが無事に回復することだけを考えようよ」


「ああ。そうだな」


 表情の読めないボトムの態度が気になるエルリックであったが、今はそのことに触れない方が賢い。たとえ後ろめたい事情があるにせよ、それを押し退けてまでエリクサーの使用を提案したのなら、それは彼の男気であると信じたかった。


「それにしても、あのタフなレイがここまで満身創痍とはな。カーバンクル、一体何があった。記録しているのなら、共有してくれないか」


 若干の逡巡を示した後、カーバンクルは額の宝石を光らせると、彼らの目の前に一枚の盾が出現して、宙に浮かんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る