エリクサー

 マージの医務室は最新の治療術式を搭載した万能医療機器、通称エリクサーが世界で初めて導入されたことでも注目を集めた。エリクサーとは元々錬金術において金属の加工や病気治療に絶大な効果を持つとうそぶかれた霊薬のことである。レアンシャントゥールで大きくシェアを伸ばした医療機器開発の大手メーカーであり、その名もエリクサー社がランス軍と提携して試験品を供したのだ。



 これは人間一人がすっぽりと入るカプセル型の医療装置で、この中に入っていれば四方から全身に治療術式が施されて傷をふさぎ、体力を回復させるのである。

 世界中の医者が職を失うことを恐れて訴訟を起こすとまで言わせしめた世紀の医療機器が、このマージには七基稼働している。


 しかし如何なエリクサーであっても人を一人全快させるには時間がかかり、ある程度傷が塞がればベッドに移して自然治癒に移行させることで、何とか少ない台数でやりくりをしていた。

 だから殴打されただけのブリックがエリクサーなど使わせてもらえるはずがなく、常駐する医師から適当に湿布薬を貼られるに止まった。


 だが、事の本質はそこではなかった。


「ルシファリア。お探しのもののを確保しました。……はい、そうです、片割れです。もちろん、医務室内は確認しました。エリクサーもすべて……。え? なぜ鳥は一人でいたのか、ですって? さあ、それについてはよく分かりませんが、私がいることに相当驚いた様子でしたので、よもや見つかることを想定していなかったのではないかと推測します。……ええ、そうなさるのがよろしいでしょ う。では、お待ちしております。……ゴー・ヴァイダム」


 銀面軍師からの報告を受けるいなや、ブリックらの目の前におぼろな影が出現し、それが次第に輪郭を整えて人の姿に変わると、さらに彼らを驚かせた。


「うむ。転移術式は問題なく発動したようじゃな」


「ええ。まだ施設内限定だけどね」 術式の効果に満足げな白薔薇の魔導士が髪をかき上げながら答える。


 続いてシェランドンも医務室前に整列していたヴァイクロン兵を押し退けて駆け込んできた。


「おい、そんな便利なものがあるなら俺にも教えろよ! 散々駆け回らせやがって」


 うるさい、とルシファリアはシェランドンに舌を出しつつ、突貫式に組み上げられた鳥籠の中にいるカーバンクルを見て、満面に笑顔を咲かせた。


「ふふふ、さすがランボルグだ。文句しか言わぬどこかの独活うどの大木とは出来が違うのう」


「なんだと、その言い方はないだろ」


 さすがにシェランドンは不平を漏らさずにはいられない。誰の命令であちこちを探し回っていたと思っているのか。振り回され続け、ついにトイレの汚物入れの中にまで手を突っ込んで探せと言われたところで、ランボルグからの報告だった。

 そういう意味で銀面軍師には助けられた思いもある一方、あっさりと手柄を奪われてしまったことに対する憤りも渦巻いていた。文句の一つも言いたくなるのが人情だ。


「それにしてもランボルグ、まあ都合よく医務室にいたものだな。最初から狙っていたのならば大したものだ!」


「いえいえ、私は個人的な理由でこちらにいただけで、そうしたら彼らの方から来てくれたのですよ」


「そういうところだ、俺が言いたいのは!」


 どかん、と苛立ちまぎれに壁へ拳を叩き込んで穴をあけて見せた。この様子を遠巻きにして伺っていた看護師や患者達は大いにおびえ、身を竦ませた。


「シェランドン、ここは医務室なのですよ。暴れて埃を立てないでください。負傷した方々に余計な心配をさせぬように」


 大男はぐぬぬぅ、と髪を両手で搔きむしり、トイレだと言って自ら壁に開けた穴から医務室を出ていった。

 ぽかんとするランボルグが苦笑いをしているヴェロニックに訊ねた。「はて、私は彼に何かしましたかね」


「だから、そういうところじゃない?」


 そんなヴェロニックの姿を見て未だに信じられない思いでいるのがブリックである。「べ、ベルナルド技師……。本当にあなたが魔王軍だったなんて」


「あらフューリー三尉。ちょっと見ない間に男前になったわね!」


 ブリックの顔に貼られた湿布を眺めながら薄ら笑いを浮かべるヴェロニックである。「愛しのレイを助けるために頑張ったのかしら」


「な、何を……」


 うろたえる若いランス軍の士官を見て「むむむ」と興味を引かれたのはルシファリアだ。「なんじゃヴェロニック。その若いのはあの女のことを好いておるのか?」


「ええ、よく恋愛相談を持ち掛けられたわ。でも正直に言うと、この子とレイは合わないと思うの。だって、彼女の好きなタイプって若い美男子よりも、そこの隊長さんのような年上の益荒男ますらおなのよね」


 ヴェロニックはすっと細い指をブリックの腫れていない方の頬に伸ばして、彼の耳元に口を近づけた。「むしろ、私があなたの相手をしてあげたいくらいよ♡」


「しっかりせんか」 デレデレと鼻を伸ばすブリックの頭に拳骨を落としながら、エルリックが一喝した。


「まあまあ、隊長。ここはひとつ、冥貴星・白薔薇の魔導士のお手並みを拝見しようじゃありませんか」


 ランボルグに腕を掴まれ、強引にブリックから引き離れてしまった。「無理やり口を割らせることもできますが、我々も手荒なマネはしたくない。その点、彼女の魔力はうってつけです」


「何だと……」


「ふふ、怖い隊長さんね、ブリック……」


 唇が触れ合うほどの近さで言われて、思わず若者はごくりとのどを鳴らしてしまった。ヴェロニックは妖しく微笑み、なおもブリックに体を寄せて囁いた。「ところで、レイはどこにいるのかしら。教えてくれないかな……」


 カーバンクルは捕らえたものの、宝筐ほうきょうの中は空であった。カノンの機罡獣は彼女が認めた人間と一緒に戦うことで能力を最大限に発揮する。その力の一旦を目の当たりにした彼らにとって機罡獣と対をなす人間の排除は絶対であった。

 つくづく手を焼かせてくれるとルシファリアは憤ったが、それならば一緒にいる人間から情報を引き出せばいいと、ヴェロニックは自信をのぞかせた。


 吐息が耳にかかり、胸を指でなぞられるたびにブリックの心臓は爆発しそうに鼓動し、甘美な気持ちに心が打ち負かされそうになった。ヴェロニックの魅惑的な瞳に見つめられると、自分の魂が口から飛び出して吸い込まれていくような感覚に陥るのだ。紫色ヴィオレの口紅が引かれた唇の上を舌が艶めかしく動いて、それがブリックの脳裏をぴりぴりと刺激して理性を削いでいった。


「ブリック、そんな誘惑に負けちゃダメだって! 自分を強く保って! レイに嫌われちゃうぞ」


「うるさい」


 檻の格子を掴んで必死で訴えるカーバンクルだったが、ルシファリアに握々にぎにぎとやられ、ギエエと悲鳴を上げた。


「カーバンクル……! この、負けるもんか」


「お・ね・が・い♡」


「実はここに来る途中で……」


 若いブリックは容易くヴェロニックの術中に堕ちて口を割った。


「……うふふ、お利口さん。これはご褒美よ」


 チュッと口づけをされた若き将校は完全に止めを刺されて、へなへなとその場に倒れ込んだ。


 ブリック! とエルリックが体を支えるが、彼は呆けた顔をしたまま、意識をなくしていた。


「貴様、ブリックに何をした」


「心配しないで隊長さん。今頃、夢の中でレイとねんごろになっているんじゃないかしら!」


 高笑いをして踵を返すヴェロニックの背中と、他の魔戦士に強烈なにらみを利かせるエルリックだったが、彼らはそれを意に介していなかった。ルシファリアはタブレットを使って何やら指示を出している。ランボルグは稼働しているエリクサーの数をひい、ふう、みい……と数えていた。


 そしてようやくエルリックに目を合わせると、ランボルグは苦笑して言った。


「私としたことが、言われるまで気が付きませんでしたよ。データにあった、マージに導入されているエリクサーの数は七基。ここにあるのは六基。一基が別の場所に設置されていたとは」

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