宝筐(ミラクロ)

 目の前の武装した小天使から発せられる黒くて硬質なプレッシャーは、先ほど戦った魔王軍の戦士達の比ではなかった。身の危険を察したレイは緊急でエースライザーに剣と盾の状態に戻るように脳波で指示したが、反応がない。何度やっても駄目なので、レイは苛立ちを交えながら大砲をガンガン叩いて見せたが、この強力な武具は元の姿に戻るどころか、すっとその身を消し去ってしまった。


「ちょっとカーバンクル、説明しなさい! これってどういうことよ」


「ああ、ゴメンよレイ。一先ず逃げよう。三十六計逃げるが勝ち。逃げるは恥だが役に立つ。後ろに向かって前進レツゴ」


 レイの背中に隠れてエンジェルの威圧感を逸らしているカーバンクルは口を開くやそんなことを宣った。「そんなこと、できるわけないでしょ! それより、エースライザーはどうしたのよ」


「それは、その、エネルギー切れ」


 は? と呆れるレイは外まで続く砲撃の跡を見やる。突然武器を失ったレイとカーバンクルにルシファリアのプレッシャーが物理的な破壊力を伴って襲い掛かり、激しく打ち据えられて立ってはいられなくなった。


「ははは、後先を考えずその場の勢いだけで行動するのは昔と変わらぬな。それを散々カノンに諭されたというのに、まるで成長がない」


 ぐ、ぐ、と歯を食いしばって圧に耐えるレイだったが、少女の言葉は全く理解できないでいた。「あ、あなたは一体、何者なの……?」


 ぴたりと力を止めてルシファリアは床に降りた。「ふむ、レイ・アルジュリオ。隠すことでもないから教えてやろう。私、ルシファリアは魔王ハジュンによって創造された最初の機罡獣じゃ」


「機罡獣、ですって?」


「その通り。千年前、私はカノンの機罡戦隊と散々に戦いを繰り広げたのじゃ。ところが最終決戦において私の本体は破壊され、ハジュンが力を失うのを目の当たりにした。いつの日か魔王の力が戻るのを信じて、この少女の姿で眠りについたのじゃ」


「な、何を言っているのか……」


「ボクたちカノンの機罡獣は戦いの後、長い眠りについたんだ。レアンシャントゥールが始まった頃から、だんだん覚醒していったんだ」


「私と貴様達カノンの機罡獣との決定的な差は、能力を引き出すのに人間の補助を必要としないことじゃ。貴様らが完全に復活する前に、私は各国の支配者や利権者に力を訴え、ヴァイダムの礎を築いたのじゃ」


「まさか」


「そうだアルジュリオ、ヴァイダムは私が組織したのじゃ。もっとも、魔星の力を宿せるほどに魔力が高まったのはここ最近の話じゃがな。ようやくランボルグやグレンザムといった優秀な戦士が集まり、魔王軍としての体裁が整ったのじゃ」


「それなら残念ね。せっかく集めたのに、私に倒されちゃって!」


「そう思うか」


 ルシファリアは体に紐で斜め懸けにしていたガマ口の財布を取ってレイに見せつけた。少なくともレイには財布に見えた。最近はタブレット一つであらゆる決済が可能であるほど魔法の技術が発達しており、現金エスペスを持ち歩くことが無くなったので見かけることも少なくなったが、小さい頃はレイも同じようなものを持っていた。


 堕天使の名を冠する少女がパチンと留め具を外し、財布の口を下にして振ると、その中から次々と人間が吐き出されて床の上に降り立った。


 それを見て、レイは愕然とした。


「なっ……、ヴェロニック?」


「サリュ、レイ! ああ、やっと外に出られたわ」


「いやあ、便利ですが、狭いのが問題ですね」


「大男もいることだしな」


「何の説明もなしに、いきなりあんな場所に人を閉じ込めておいて、ああもう、うるせえなあ」


 魔王軍の戦士ディアゲリエが勢ぞろいだ。確実に消し飛ばしたと思っていたのに、彼らは全くの無傷で目の前に出現し、口々に文句を垂らしているのだ。


宝筐ミラクルエンクロージャー、通称ミラクロという機罡獣に備わった能力じゃ」 ルシファリアが財布を持ったままレイに説明した。「簡単に言えば、異次元に設置された魔法の筐体に物や道具を収納し、それを適宜出し入れできるというものじゃ。このガマ口はその筐体につながっておってな。先ほど貴様の攻撃が来る前に、私を含む全員でこの中に緊急避難したのじゃ」


「あら、ら……! 悪の軍団のクセに意外と面倒見がいいのね」


「ディアゲリエを育てるには相応の時間がかかるでな。簡単に失うわけにはいかんのじゃ」


「どお、レイ。うちの社長は厳しいところもあるけど、部下思いで機転の利く気配りだってできるのよ。そこの機罡獣と一緒にヴァイダムへいらっしゃいな! 軍隊で出世したところで、どうせ安月給でしょ」


 ヴェロニックは遠慮のない物言いである。しかし気が弱くなった相手の心に付け入るには十分な誘因力があった。レイでなければ、魔王軍に傾倒してしまうかもしれない。


「まだ戦いは終わってないわ……」


 気丈にも腰に差しておいた拳銃を引き抜いて構えた。グレンザムが自分に銃口が向けられるのも気にせず、すっとレイの前に出て腕を組んだ。


「すでに勝敗は決した。おまえにはもう引き金を引く力も残されておるまい。これ以上やれば本当に死ぬぞ」


「そう思うのなら、試してあげるわ」


 何度もレイは引き金にかかる指に力を込めた。だが、指は震えるばかりで一向に引くことはできなかった。「くっ……こんなことって……」


「エースライザーでしたか。確かにあの武器の性能は『ぶっ壊れ』です。しかも、戦う相手のレベルに合わせて使用者の能力を引き上げる仕様が見られる」


 ランボルグが自己分析を述べた。「だが、そこに問題がある。その実力の差分はどこから調達するのか。おそらく使用者の体力を強制的に吸い上げているのではないですか」


「レイッ」


 抑えていた体の痙攣がついに限界を超えて、足はガクガクと震えた。カーバンクルが必死に支えるのも空しく、レイは膝から崩れ落ち、カーバンクルを巻き込みながら石床に突っ伏した。レイの下敷きとなったカーバンクルは羽をばたばたとさせて必死に藻掻いたが、どうにもならなかった。


「ふん、気を失ったか。どうやらあんたの言う通りだったようだな」


 シェランドンが体をはたきながら、レイを見下して言った。「で、こいつはやっちまっていいのか?」


「構わん。その者の魂を吸って強くなれ、シェランドン」


 ルシファリアが笑みを浮かべて勝利を確信したところに、ランボルグの懐からタブレットの呼び出し音が鳴った。「失礼」と断りは入れたが、少女と他の者達も気になり、銀面軍師の反応を見守った。


「ランボ、何事じゃ」


「ヴァイクロン兵からの報告です。先程の砲撃ですが……」 ランボルグは外まで続く壁の穴を眺めながら答えた。「表に停めておいたグビラード3号機を直撃していたようです」


「……それで」


「動力部の火災が収まらず、魔力炉心にまで火が達したとのことで」


 その場にいた全員が銀面軍師の説明に唖然とし、外へ視線を移した途端である。


 ドッカーン!


 耳をつんざく大轟音がマージの城砦を激しく揺らし、爆風が穴を通って彼らのいる場所にまで到達した。ただでさえ崩れた瓦礫などが爆風に煽られて四方に飛び散り、あまりの騒音と粉塵で一切の視界が閉ざされた。


「……ッ」


 ようやく静寂が訪れ、彼らが体の埃を払い落しながら改めて周囲を見回すと、レイとカーバンクルの姿が忽然と消えていた。

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