第六天世界

 冥界はいくつかの世界で構成されており、冥府の最高責任者である玉帝のみが入れる精神世界を第一天という。


 次に第二天は物質の世界である。稀少な鉱石や不思議な効力のある素材が掘り出されていて、それらは天部らの生活を支えている。


 そして第三天は天上世界が広がっていて、多くの天部が暮らす場所である。冥府もここに設置されて冥界の運営を取り仕切っている。


 第四天こそが地上世界で、人間が住まう場所である。冥界は地上における人間の動向に多くのことが影響を受ける。天と地は一蓮托生であり、相互に依存する関係であるが故、この二つの世界がみだりに干渉することがないよう、冥界の掟で厳しく定められていた。


 続く第五天は別名幽霊界、死者の魂が辿り着く世界となっており、あるいは地獄とも揶揄される場所である。人に限らず生きとし生けるものの命が尽きたとき、その霊魂は第五天の森羅殿に至る。ここには魂を浄化する部署があり、基本的に魂は善悪のない純粋なエネルギーであるが、冥界に戻ったばかりの魂は生前の記憶が色濃く刻まれている。すべてに満足して死んだ魂ならば問題はないが、多かれ少なかれ、魂は生きる苦しみを経験しているものだ。それが人間であればなおのことで、激しい後悔や怨嗟、恨み、絶望、深い悲しみを抱えた魂は負の感情で黒く染まっている。

 だから冥府の天部が丹念に魂の洗浄を行って無垢な状態に戻し、再び地上世界へ送り返すのだ。

 こうして魂は再び目に見えないエネルギーとなって第四天に還元され、生命体に宿る機会をうかがう。


 さて問題になるのは魂にくっついていた様々な「負の感情」であり、洗浄すればこれらはどす黒い塊となってぼろぼろと落ちるのだが、これをノイズという。少量であれば勝手に消滅するので問題ないが、地上世界で大きな戦争や疫病などによって大量に人が死ぬような事態になると、第五天で落ちるノイズの量も多くなり、それらはあっという間に冥土にあふれ返ってしまった。


 これらは簡単に消滅することがなく、それどころか悪意に目覚めて妖魔に変化し、散々に悪さをしてまわった。どれだけ排除しても絶え間なく噴出するノイズは第五天を食い破って天上世界までをも蝕み、汚染していく。


 この深刻な環境問題をいよいよ放置しておけなくなった冥府の行政部は最高責任者である玉帝に稟議を奏上して新しい「天」を作り上げることを閣議決定した。以降は悪意に染まったノイズをそこへ放り込むことで、一応の解決としたのである。

 この時に急きょ創造された天は冥府において六番目のものであったことから、第六天、と呼称された。


 ある時、第六天の中に一つの存在が生まれた。激しく渦巻く負の感情をんで培養されたは妖魔を率いる巨大な悪魔へと成長する。これが第六天魔王ハジュンであった。そしてハジュンは冥界の最高位である玉帝となるべく、侵攻を開始した。


 天上世界におけるハジュンの攻撃は天部たちの奮闘もあって何とか退けられたが、その際ハジュンによって冥界の第二天で採掘される機罡石が奪取された。

 第二天の特殊な力場で一億年以上の時間をかけて錬成されることでようやく完成するという超稀少鉱物である機罡石は、冥界の掟を凌駕するパワーを秘めていた。その力を使ってハジュンは天界から直接地上へ逃亡することに成功し、地上世界の征服を試みた。


 冥府はこの非常事態の打開策として冥界十王のひとり平等王、観自在天カノンを地上に送り、これを対処させることを決議。しかし冥界の掟はそう簡単には変えられず、通例通りカノンは地上の人間に転生させる形で送り届けることとなった。しかしそれでは天部としての力は一切失われたままなので、これを補助すべく冥府産業省の技術部は第二天に残されたわずかな機罡石をかき集め、冥界の霊獣を象って創造された五体の機罡獣を地上へ送った。

 ところが微量の機罡石しか使えなかった機罡獣は単体では十分に力が発揮できないことに気が付き、そこでカノンは信頼に値する人間にそれぞれ機罡獣を預けて共に戦う決意をした。こうして機罡戦隊が誕生することになる。



「カノン?」


 うっかり思い出に浸ってしまい、カノンははっとしてレイに向き合った。


「魔王軍と戦えというのなら、頼まれるまでもないわ。わたしはランス軍の一員として、もう戦っているもの」


 そう話すレイだが、直前まで戦っていた魔王軍の戦士を相手にすることを考えて、その後の言葉に詰まった。銀面軍師はこう言っていた。――ハジュンによって認められた者には神に等しい肉体を得られる、と。

 実際に顔面を吹き飛ばしてやったはずの大男がのっそりと起き上がる姿を目の当たりにした。加えて自由に沸いて出てくるヴァイクロン兵。巨大な戦闘兵器群。兵数だけを見れば連合軍が優勢だが、それをひっくり返しうる力が魔王軍に備わっていることをレイは実感している。


「あなたも知っての通り、魔王軍は強力です。戦うには彼らと渡り合う力が必要になるでしょう」


「あたしにもゲダツしろっていうの?」


 裏切り者のヴェロニックがそんな言葉を口にしていたのを思い出した。それを聞いたカノンは静かにほほ笑んだ。


「解脱というのは本来、迷いや悩みといった煩悩の束縛から己が心を解き放ち、輪廻転生の因果律を抜けて自由の精神的境地に到達することをいいます」


「ふ、ふーん。それで?」


「彼らの言う解脱など、まやかしです。魔星に魅せられた者は確かに大きな力を手にしますが、いずれ魂をハジュンの黒い波動に飲まれて消えゆく哀れな力の虜囚でしかないのです」


「じゃあ、どうしろっていうの」


「あなたに戦う意思があるのならば不思議な鳥、カーバンクルが力を貸すことでしょう」


「カーバンクル……」


 レイはルシファリアに言われたことを思い出して胸に手をやった。肌身離さず身に付けていた柘榴石の首飾りが、今はない。「……首飾りを奪われてしまったの。あれがなければ、カーバンクルは動かせないんじゃ」


「いいえ、ご心配なく。首飾りのある、なしに関わらず、機罡獣は自らの意志で使役者を選ぶのです。あの子は少しおしゃべりで、お調子者ではありますが、きっとあなたの力になるでしょう」


「……待って。私、小さい時にジャンヌからあの首飾りをもらったの。ジャンヌは、カーバンクルの主だったの?」


「一つだけ言えるのは、ジャンヌはあなたをカーバンクルの主にふさわしいと考えたから首飾りを託したのです。それをカーバンクルも理解しています」


 カノンの姿が急に不鮮明になっていくのに伴い、周辺の背景までもが霞の中に埋まっていった。ちょっと待って、と必死に声を出すレイの耳にカノンの声だけははっきりと届いた。「レイ。私がこの時代で機罡獣を託したのは、あなたで四人目です。仲間を見つけなさい。この世を闇に堕とさぬために……」


 レイは自分の意識がはるか遠くへ向かって飛んでいくのを感じた。

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