亡命貴族(エミグレ)
ボトム司令長官に言われた通り、マージの最深部に到着したレイとヴェロニックは一枚の両開きの扉の前までやってきた。おそらく旧世界の魔王軍が使っていたであろう重厚な扉には比較的最近のものと思われる鳥を模した飾り彫りが施されており、訪問者を見下ろしていた。
ところがこの扉、鍵穴もなく、一見するとどうやって開くのか見当がつかない。レイもヴェロニックも途方に暮れた。
「さて、長官に言われて来たはいいけど……ここは何?」
「ここは彼でも単独では入ることができない、巨人マージの心臓部だと聞いたことがあるわ」
ヴェロニックは興奮気味だった。技官としてマージの秘密に迫れる機会は相当な体験なのだろうか。
「心臓部、か……」
「レアンシャントゥールで世界中の遺跡に魔力が灯った時、巨人の心臓もかすかに鼓動を打ったの。旧世界の技術をこの目で見られる機会が訪れるなんて技官としてこの上ない幸運だわ」
「なんでまた、鳥が彫られているんだろう」
「これを彫ったのはジャンヌの命令だっていうわよ。彼女がここに重要な聖遺物を部下に隠させた、という噂」
「ジャンヌが?」
訝しむレイであったが、皇帝であったジャンヌの鳥好きは有名だ。ランスの国旗のモチーフにもなっているし、軍の徽章にも鳥の翼がデザインされている。
「ところでヴェロニック、そんな話を誰から聞いたの?」
「ボトム司令官よ。彼の個室で一緒にワインを飲んでいる時とか……」
「あ、はい」
彼女と司令官が懇ろである、などという噂があった。ヴェロニックという民間人をマージ防御システム管理という要職に据えたのはボトム司令の鶴の一言だという。司令官がヴェロニックの務める会社の株主であり、会社側から大金が動いて彼女が派遣された。実は彼女は司令官の隠し子であり、昔、愛人に産ませた子だから面倒を見ている……。そんな根も葉もない噂話はいくらでもあった。
「レイ、どうかした?」
「なんでもない」
ふう、とヴェロニックは一呼吸ついてみせた。「噂、気になる?」
「……気にならなくもないけど、別に、いいじゃない。好きでやっているのなら」
「あなたって優しいのね。でも子供よ。もっといっぱい恋をするといいわ」
「なによ、突然。いいでしょ、べつに」
「あーあ、こんな感じじゃ、フューリー三尉も浮かばれないわね。私が彼から再三、相談を受けているのを知っているでしょ」
ブリック・ブリッツ・フューリーはレイと士官学校時代の同期であり、共に四中隊で戦う仲間であるが、レイはなんのこっちゃ、といわんばかりの顔をした。でも、なんとなくその意味を理解しているところもあり、ヴェロニックの視線を避けるように背を向けてしまう。
「今はブリックのことはどうでもいいじゃなわわわあっ」
いきなりヴェロニックに後ろから胸を鷲づかみにされてレイは素っ頓狂な声を上げた。「……相変わらず、すごい筋肉ねえ。胸板の厚さだけなら、あなたベルニエールよりもあるわよ。でも、もうちょっと膨らみもほしいわねえ」
耳元で回答に詰まるようなことを言われてレイは頭が真っ白になった。にぎ、にぎと動くヴェロニックの手の動きに合わせてぱっと体を抜いて彼女の拘束から逃れたが、全身が汗でびっしょりだった。「もう、急に何するのよ」
「な~んちゃって! 私と司令は、別にそんな仲ではないわよ~だ」
……。乱れた着衣を直しながら、レイは舌を出すヴェロニックの態度に呆れたが、しかし元の表情になった彼女の目が一瞬遠い場所を見たように思えた。
「でもね、私とボトム司令とは、少し似た境遇にいたことがあるのよ。それでお話を聞いてもらっていたの」
「そ、そうなんだ。そういえばヴェロニックって、子供の頃はあちこち引っ越していたって言っていたけど、それって親の仕事で? 司令も転勤族だったのかしらね」
ランス軍では、平時であれば
ヴェロニックの答えは違っていた。
「ううん。私の母は
貴族。実を言えばレイの家も貴族なのだが、現在は名を留めるだけになっている。レイは歴史に詳しくないが、さすがに世界の常識を根本から変えた大事変であるランス民主革命については知っていた。
レイが生まれる23年前、新世紀九八五年は世界に激震の走った年である。
ランスという国で、それまで当然のように存在していた特権階級が廃され、国民主権という全く新しい概念が誕生したのだ。絶対王政が主流であり、権力は国王や貴族によって行使されていたものを、国民に政治的意思決定の権限が移譲されたのである。
これがランス民主革命であり、人権という考え方がレアンシャントゥールの波に乗って一気に世界へ広がったのだ。
革命後、政権を樹立したランス臨時政府は特権階級の廃止を宣言し、貴族や聖職者は領地と財産をはく奪、或いは命までもが脅かされることとなった。運命を受け入れ、国内に残った貴族もいたが、王族などの多くは国外へ亡命した。
そんな彼らは
「そ、それじゃあ、あなたのお母さんは……」
「そう、母も、司令も亡命貴族よ。特に母は亡命政権の中枢にいたから、当時は民衆の風当たりも強くてね。一度もランスへ戻れないまま、グランディアで死んだわ。私は母の残した財産で大学まで進んで、今の会社に入ったの。そうしたら、たまたま術式の扱いが上手いってことになって、マージの技官として派遣されたのよ!」
「そうだったんだ……。ごめんね、なんか、どこか遠い世界の話だと思っていたんだ。実際にそんな人と会ったことないから」
「それでいいのよ。あなただって、世が世なら伯爵家のご令嬢だったでしょうに」
「……ひょっとして、司令はわたしのじいちゃんのことも?」
「スペンサー伯ルイ・アルジュリオは革命の時に市民議会に協力した貴族の一人で、最初に特権階級廃止案に判を押したことは、教科書にも載るくらい有名な話じゃない。そりゃあ、亡命貴族からしたら許せないのかもね」
「わたしの知ったことじゃないのに」
司令官から嫌味を言われることが多いと思っていたが、なんとなく納得した。しかし、レイの世代になれば亡命貴族は市民の狂気によって国を追放され、迫害を受けた人々という認識もある。
世界に影響を与え、その後人類が往くべき道筋を体現したと評価されるランス革命だが、実は勢いだけの凶行という見方もあった。事実、革命後のランス臨時政府は腐敗の温床であり、独裁者による人権とは名ばかりの恣意的刑罰が横行した。いわゆる
ランスを離れた貴族達は避難先で亡命政権を立ち上げて各国に連携を呼び掛け、これが後に合計六度にも及ぶ対ランス合従連衡の戦いとなった。
皮肉にもこの大戦争がジャンヌ・ヴァルトという英雄を輩出させ、再び時代が移り変わっていったのである。
「あなたが気にする問題ではないわ。それから、司令が亡命貴族であることも内緒よ。分かったのなら、この扉をどうするかを考えましょう」
もやもやとする気持ちを振り払うように、レイはすっと扉に手を触れさせた。すると扉に彫られていた飾りに光が宿り、それが全体に広がっていくと、やがて両開き部分に光が集約していき、扉は奥に向かってゆっくりと開かれていった。
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