皇帝ジャンヌ・ヴァルト
あら、ら? ここはどこ?
レイは霞んだ頭の中身を整理すると、自分が誰かに手を引かれていることに気が付いた。見上げるとそれは母レオノーラの親友で、度々世話になっている軍人のシャルロットだった。彼女に連れられて、レイはランスの首都ルティにある大きな病院の中にいた。
あれ……この風景、どこかで見たような……。そうだ、わたしはここで、あの人に……。
やがてレイは警備の人間が立つ扉の前まで案内された。警備の兵士達にシャルロット、そしてレイの順番で身体検査をされたことを覚えている。二人とも異常なしという判断が下り、不用意に大声を上げることのないように注意喚起されてから扉が開けられた。
中に入ると、そこは広い個室となっており、大陸軍の軍服を着た数人の軍人と、複数の医療従事者らの姿があった。
レイはその中に見知った黒人の顔を見つけた。
「あ、エルリック! ボンジュー!」
大陸軍の大尉は大慌てでレイに近づくや彼女の口をふさぎ、静かにするように指を口にあてがった。
ばか、とシャルロットがレイの頭に軽く拳骨を落とした。
「……よい、よい。エルリックは小さな客人を連れて来てくれ。シャルロ、少し起きるのを手伝ってくれないか……」
天蓋付きの豪華なベッドの中から、小さいながらも強い意志を感じる声が聞こえた。シャルロットがレイの側を離れてベッドに垂れるカーテンを開く。そこには白い病衣を着た女性が横たわっており、彼女はシャルロットの手を借りながらゆっくりと上半身を起こした。
そして金の装飾に縁取られた紺色の軍服を羽織り、頭に同じく金の縁取りをあしらえた三角帽子をかぶると笑みを浮かべ、改めてレイに向き直った。
「ようこそ参られたな、小さき勇者よ。余がそなたを呼びつけたランス皇帝、ジャンヌ・ヴァルトである。本来であればもっと早くそなたに会いたかったのだが、生憎と皇帝という仕事は忙しくて敵わん。ようやく職務から解放されたと思ったらこの有様で、まことに上手くいかないものだ……」
新世紀一〇一五年、レイは七歳。彼女は当時ランスの首都ルティの守備隊長を務めていたシャルロットに連れられて、皇帝ジャンヌへの見舞いに臨んでいた。本来ならば宮殿において謁見の予定だったのだが、この年のとある大事件が二人の出会いをこのような形に変えてしまった。
シャルロットが静かな口調で小さな客人を紹介した。「陛下、こちらがレイです。本名はレイ=ジャンヌ・スペンサー・アルジュリオ。この者の母は元スペンサー伯ルイの娘レオノーラ。昨年のルティ解放作戦は、この者の機転によって成功しました」
前年、ランスを除く
それがレイであり、この幼女は敵兵の徘徊する町の中、虜囚の身となっていたシャルロットを助けようと彼女の元に忍び込んだのだ。
シャルロットが捕らえられていた場所は、レイが母親に連れられて(あるいは一人で)何度も訪れていたランス軍の駐屯地であった。その際彼女はエルリックらと何度もかくれんぼをして遊んでいたため建物の配置や通路などに精通しており、おかげで敵の目を盗んでシャルロットに会うことができたのだ。
無謀とも取れる少女の行動力に目を丸くした守備隊長であるが、この機を逃すまいと、グランディア軍の配置を記したメモをレイに託し、それを町の外でルティ解放の機会を伺っていたエルリックの部隊へ届けさせたのだ。
かくして敵兵力の正確な数と配置を知った大陸軍は明朝一番でエルリックを筆頭にルティへ侵攻し、グランディア軍を降伏に追いやって見事に首都を解放したのであった。
「うむ」 ジャンヌは満足そうにうなづいた。「スペンサー伯には何度も資金繰りに骨を折ってもらい、そして今度は彼の孫に余の娘が助けられた。まことに、僥倖なことであるな……」
シャルロットはジャンヌの長女である。しかし皇帝としての立場上、家族として接する機会は少なく、多くの人間は二人を主従の関係である以上に見ていない。本来ならばジャンヌの後を継いで二世皇帝となるべき人物なのだが、この時のランスは複雑な情勢を抱えており、シャルロット自身もそのことを弁えて自身の仕事に忙殺されていた。
何よりも皇帝の体調回復こそが最優先事項であった。
「ジャンヌ……元気になるよね」
「努力はしている。君の笑顔は最高の薬だよ」
微笑むレイだったが、もう次はないことを心のどこかで感じてしまった。家族そろって大陸軍の戦勝パレードを見に行った時の、彼らの先頭を騎乗して進む威風堂々としたジャンヌの姿はもうなかった。
「レイ、そんな顔をするものではない。人として生まれたからには、いつか天に帰る時が来るのだ。それは皇帝であろうと、王であろうと、避けられぬものなのだ」
「わたし、ジャンヌと一緒に働きたかった」
少女のいたいけな言葉に、ランス史上最大の女傑は穏やかな笑みを浮かべた。
「レイ。余は、誰もが争わなくてよい世界を作りたかった。だが、この世を地獄に変えようとする不届き者が絶えることはない。そなたが余の代わりとなり、人々のために力を尽くすというのなら良いものを授けるが、どうかな」
「うん、いいよ。あたし、やる」
「いい子だ。こちらにおいで」
エルリックに促され、レイはおずおずとベッドへ近づいた。ジャンヌは隣りに座るように仕草をすると、レイはベッドの端にちょこんと腰かけた。ジャンヌは首にかけていた首飾りを外すと、それをレイの首へ手ずからつけてみせた。
「あら、ら……」 鎖の先で輝く赤い石を見てレイは目を潤ませた。
「これは
「メルシィ……」
微笑むレイをジャンヌは両手で抱きしめた。ひどく懐かしく思える不思議な気持ちが沸き上がり、レイも力いっぱいジャンヌにしがみついた。レイはずぅっとそうしていたかったが、ジャンヌが小さく咳き込み始めたのを見たシャルロットが優しくレイの肩に手を触れた。
「陛下、これ以上はお体に障りますので、今日のところはここまでに。レイは私が責任をもってレオノーラの許へ連れて帰りますから、ご安心を。さあレイ、皇帝にお別れを。家に帰ろう」
「じゃあね」
レイはジャンヌの頬に口づけをして、ゆっくりと離れようとした。だが、なお慈母のごとく優しいジャンヌの眼差しに、レイは何故だか熱い気持ちが沸き上がっきて、別れたくない思いに捕らわれた。
「レイ、ジャンヌが困っているぞ。ほら手を出せ、俺も一緒に付いて行ってやる」
「うん……」
エルリックの手を握ってようやく出口へ向かうレイだが、何度も後ろを振り返った。その度にジャンヌは微笑んだ。
「レイ……」
「もう少し……」
「レイ」
「やっぱりやだ」
「この馬鹿もん、いつまで寝ておる。さっさと起きんか!」
うわわっ、とレイはエルリックの怒号ではね起きた。
ここはどこ?
薄暗くて、冷たい石造りの中にいるのは分かった。床の上は瓦礫が散乱していて、未だに起き上がれていない兵士の姿を見ると、急速にレイの頭が晴れ渡った。
そうだ、自分は
「あいたたた……。全員、無事なんですか?」
レイは立ち上がって、瓦礫にうずもれている隊員たちの救助を手伝った。エルリックも同じく仲間を助けて回っているが、彼らのダメージは隠し切れず、戦闘は不可能であろう。しかし、あの爆発でよく助かったものだとレイは思い返す。おそらく二度目の大技を放つ際に、エネルギーが足りていなかったのではないかと考えた。魔王軍の仕様をレイは知らないが、とにもかくにも、幸運だった。
だが、すぐにレイの脳裏に別の問題が浮上した。
「そういえば、戦況はいったい?」
どれだけの時間、気を失っていたのだろう。外からはまだ激しい戦闘の音が響き、時折マージの室内を揺らしているのだが。
「隊長」
そこへ偵察に出ていた隊員が戻ってきて報告する。
あら、ブリック! とその隊員を見てレイは心の中で喜んだ。
ブリックとは士官学校時代の同期であり、レイは落ちこぼれた身だが、彼はきちんと卒業した。だから歳はほとんど一緒なのに、階級は兵卒であるレイに対して彼は将校である!
「まずいです。敵の起動兵器の一つが外壁に取りつきました。その中から重装歩兵の大群が城砦内に侵入してきています」
ブリックの報告を聞いたエルリックは隊員を集めて指示を出すが、最後にレイに向き直って言った。「レイ。おまえ、首飾りはちゃんと持っているか。ジャンヌにもらったやつだ」
「なんで今、そんなことを……」
「答えろ」
「有りますよ。ほら」
上着の下から首飾りを取り出すと、柘榴石が薄明かりで鈍く反射した。それを見たエルリックは「よし」と小さくうなずくと、再びレイに達した。
「おまえは今から司令本部に行き、何としてもボトム司令官に会うんだ。あいつはお前に新たな命令を下すだろう」
急に言われてレイは困惑したが、見張りをしていた隊員から敵が迫ってきていることが知らされた。
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