オルヴォワール!


 壁が崩れた。床が捲れた。シェランドンの馬鹿げた力量は当たるまでもなく、掠っただけでもレイの小さな肉体は消し飛ばされるだろう。だがレイはその体の小ささを活かし、スピードで相手の攻撃をすべて見切っていた。


「相変わらずすばしっこいやつだ。だが、まさかヴァイダムの戦士となったこの俺が馬鹿力しか取り柄がないとは思っておるまいな」


 ぐっと前に出したシェランドンの拳から稲光が照射されてレイを襲った。


「……ッ!」


 何とか身を反転させて直撃こそは避けたが、光線の当たった壁が爆発を起こし、レイはおもむろに爆風に煽られてしまった。石床の上を二転したところでレイはうずくまってしまう。

 シェランドンは勝ちを確信して悠々とレイに近づくと、左手で彼女の髪を掴んで吊るし上げた。

 血のにじんだ口元をゆがめ、苦悶の表情を浮かべてはいたが、レイの目は鋭くシェランドンをにらみつけていた。


「悔しいか? んん、いい気分だ。もっとゆっくりと痛ぶってやりたいところだが、今の俺にはヴァイダムの戦士としての任務があるのでな。司令部の制圧を急がねばならん」


 シェランドンはレイを放り上げ、空中にある彼女の体に振りかぶった拳を打ち込んだ。


 ところがレイは空中で身をひねってシェランドンの拳を避け、そのまま腕に組みついてみせる。相手の力と勢いを利用して巧みに体を回転させると大男の腕は自然と逆十字の形に極まり、そこから全身の力を使って一気に締め上げた。


 シェランドンは大声を上げながらごろんと床を転げ、再び起き上がった時には右腕に力が入らないでいた。魔王軍の鎧がなければ腕一本を完全に破壊されていたに違いない。


「悪いわね。ネズミは駆除しろって、司令官に命令されているのよ」


「……おのれ」


 シェランドンの目は怒りに満ち、吐き出す呼吸までもが激情の色に染まっていた。「おのれぇぇぇ! やってくれおったな小娘ぇ‼ 本気を出すまでもないと思って手加減をしてやったが、もう許さん。消し炭にしてくれるわ!」


 背中に装着されていた巨大な剣を痛めた方の腕を使って意地で抜刀すると、シェランドンはめらめらと目に見えるほどの殺気を立ててレイを睨みつけた。だが、この小柄な兵士は魔王軍の戦士が考えるよりも豪胆であった。


「その腕で無理しない方がいいわ、ヴィガン二尉。おとなしく帰ってくれれば司令官には黙っておいてあげるわよ」


 レイもまたダメージを堪えながらではあったが、予備の弾倉を拳銃に挿入すると、ことさらに大きな動作でスライドを引いて弾を込めて見せた。さらに少しだけスライド部を引いて中を点検する。ちゃんと弾が装填されているかを確かめる動作なのだが、これはシェランドンを苛立たせるには十分であった。


「け、拳銃など通じぬと言ったはずだが……。まったく人の神経を逆撫でするのが上手いやつだ」 どす黒い殺意が空間を歪ませ、魔力がシェランドンの大剣に凝縮されていくのが分かった。「さあ刮目するがいい。これがヴァイダムの、魔王ハジュンの力よ」


 魔力を臨界まで溜め込み、膨れ上がって真っ赤に変色した刀身をシェランドンはマージの石床に突き立てた。破壊のエネルギーが瞬時に四方へ噴出していき、音速を超える爆風がマージの通路、区画にほとばしった。隔壁は次々と破砕されていき、エネルギーの奔流はマージの外装の頑丈さに反射して区画内でうねり、さらなる破壊をもたらした。

 しばらく続いた破砕の連鎖がようやく収まった時には、マージの第八区画を構成していた通路や部屋は見るも無残な瓦礫の山と化していた。


 大技を放ったシェランドンはしばらく突き立てた大剣の柄を握ったままでいたが、やがてすっきりした表情でゆっくりと呼吸した。ジリリリリ、と警報が鳴り響き、喧騒が近づいてくることが分かった。


「いかん、いかん、たかが小娘一人を相手に少々派手にやり過ぎたか。これでは秘密の通路を使った意味がないな……」


 背後の近いところでカラン、と物音がするのに反応し、シェランドンは素早く振り向いて身構えた。だが、そこにいたのはネズミだった。

 チュウ、と鳴いてそれは逃げていく。

 その姿を見ながら魔王軍の戦士たる大男は愕然とした思いにかられた。最大限の威力を込めて発した大技だというのに、生きているものがいるとは!


「……まあ、よいわ。ネズミ程度であれば瓦礫の隙間に逃れることもあるだろう。図体のでかい人間ならば間違いなく消し炭に……アガァァツ」


 シェランドンは自分を襲った激痛にまず驚き、そして血を吐いて片膝を付いた。やがて誰かが背後から組み付いており、装甲のない肩口に短剣を突き刺していることに気が付いた。猛り狂ったように大声を上げながら全身を震わせると、その人物は振り落とされて瓦礫の上に転がった。その後で、シェランドンは自分の頸部に刺さった短剣を引き抜き、信じられない思いで言葉を震わせた。


「バ、バカな。なぜ、貴様、生きておるのかッ」


「あなたの馬鹿力に一つだけ感謝しているわ。爆発の一瞬、あなたが自分の拳で床に開けた穴に退避したのよ。ネズミと一緒にね」


 レイは得意そうに言って見せたが、それで爆風をすべてかわせるはずもなく、全身に傷を負っていた。激痛に耐えながらの一撃であったが、彼女はこれを狙っていた。相手の油断と大きな隙を誘い、特定の個所へ精密に攻撃を入れるにはこれしかなかった。


「お、俺がどんな攻撃をするかも分からなかったはずなのに、なぜ反応できた」


「わたし、動体視力は世界一の自信があるから」


 レイは改めて拳銃を握ると、両膝を付いてうずくまるシェランドンに近づいた。大男はうろたえ、手にしていた短剣を床に放り投げて両手を上げた。


「おおい、分かった、この通りだ。このまま真っすぐ帰る。だから、命だけは助けてくれ。二度とおまえの前には現れない。魔王軍もやめる!」


 そういう大男のアゴの下から銃口を突き付けて、レイはシェランドンの口を強引にふさいだ。「この距離なら銃弾でも十分貫通するわよね」


「よ、よせ! やめろぉぉ」


さようならオルヴォワール


 バン、バン、バン……。再び弾倉の弾が無くなるまで接射を続けると、シェランドンの体はゆっくりと仰向けに倒れ、やがて動かなくなった。はあ、はあ、とレイも疲労困憊であり、その場に倒れこみたい思いであったが、まずはこの状況を報告しなければならない。訓練された軍人の責務が何とか彼女を立たせていた。


「本当に驚いた。まさか生身の人間が我らヴァイダムの戦士をここまで弄するとは」


 レイがはっとして目を凝らすと、なんと目の前に銀色の顔をした奇妙な格好の男が立っているではないか。反射的にその場を飛びずさって銀面男から距離を取ろうとしたが、ちょうど下がったところに真っ赤な全身鎧を身に着けた男が待ち構えており、その男の格闘術によってレイはあっけなく押さえ込まれてしまった。


「くっ……」


 腕を極められて身動きが取れず、レイにできることは新たな侵入者を睨みつけるだけだった。


「手荒に扱うなよ、グレンザム。滅多に見ない戦士の素質を持つお嬢さんだ。是非ヴァイダムに招待したい」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る