親善試合

 警報とは別にレイの上着からジリン、ジリンと音が響いた。素早く上着の内側に手をすべらせ、その中から黒くて小さな板切れのようなものを取り出すとレイはそれを耳に当てがった。


「こちらアルジュリオ。ええ、ちゃんと起きてますよ、エリクソン隊長」


 レイが今使っているものはタブレット(石板)と呼ばれる魔法の機器である。魔法はかつて魔王ハジュンが地上にもたらしたエネルギーであるが、ハジュンが虚空に消えるのと同時に失われた。

 しかしおよそ六十年前にその力の一部が発現し、当時の知識人らによって行われた研究と解析によって魔法の技術が人類に再びもたらされた。これを機に魔法は世界へ広がり、各地において文明を開化させ、人類にとって大きな福音を今なおもたらしている。


 この一連の社会現象を人々は魔法使いの復活――レアンシャントゥールと呼び、大いに魔法の恩恵を享受したのである。


 特にタブレットはレアンシャントゥール最大の発明と賛美され、それこそ奇跡のように人々の生活に溶け込んでいった便利な道具である。これひとつで離れた相手との通信、文字のやり取りは言うに及ばず、最新機種ともなると映像や音楽などの視聴や図書館にも匹敵する大容量の書籍、情報の閲覧が可能となっており、人類の生活水準を二百年先まで進化させた技術と呼ばれるものである。


 なおタブレットは各国の企業が競合して開発しているので種類は多いが、機能や利便性などから最も人気のあるものがアイゼンホーク社のアイホークという機種である。レイは同社の最新モデルであるアイホークトロワノワールを使っている。そんな愛機でレイは通話の相手とやり取りを続けた。


「魔王軍だというんですか? 半年も音沙汰なかったのに、今日になっていきなり攻めて来るなんて」


 通話先の人物はレイが所属する第四中隊の長、エルリック・エリクソン三佐であり、彼は少なくなった人員を城砦守備へ適正に割り振るのに苦心しているようだった。「城砦の正面に機動兵器群が接近しつつあると偵察班からの報告があった。レイ、おまえはベルナルド技師を連れて一刻も早く司令部へ向かえ。これだけ人員が少なくなった今、頼りになるのはマージの防御システムだ。それを起動させろ」


「その後はどうすればいいですか。わたしも隊長の方へ合流して敵を迎え撃ちたいのですが」


「いや、司令部で長官の指示に従え。万が一の時はレイ、おまえが司令部を守るんだ」


「わたし、どうにもあの長官ヒトに好かれていないような気がするんですけど」


「司令長官殿が可愛がっていた部下を一方的に叩きのめしたろ。アレは少しやり過ぎたな。あの男、次の日にはマージを去ってしまったからな」


 勝手な話だと、レイはアイホークの先にいる上官に向かって無遠慮に愚痴った。


 マージに派遣されてしばらくした頃だ。やたらとレイを下に見てくる居丈高な男が司令官を焚きつけ、レクリエーショだといって一方的にカラテの試合を吹っかけて来たのだ(その男はマージ守備隊の中では一番の強者だったらしい)。その時はまだ魔王軍の影もなく、マージの城砦内は停滞した空気が蔓延していたこともあり、この申し入れはあっさりと受理された。


 元々マージで防衛任務に就いていた城砦守備隊は後から入ってきた第三十一連隊の、特にレイの属する第四中隊のことが気に入らず、司令官からしてありありと悪態を醸していた。特にレイの過去を知った城砦の兵士達はことさらに彼女を侮辱するようになると、これに怒った四中隊の隊員達との間にいざこざが相次ぎ、両者の間には一触即発の空気が渦巻いていたのである。

 レイと男のカラテ対決は親善試合とは名ばかりで、まさに自分たちの所属部隊を背負った代理戦争の様相を呈し、試合に向けて両陣営はいやが上にも盛り上がっていった。


 そんな雰囲気もあってさんざんレイを煽った男であったが、いざ試合が始まってみると男の攻撃は一つもレイに当たらず、逆にレイは面白いように連続技を繰り出して完全に男を圧倒した。すでに男は戦意を失っていたが、レイが最後に上段を狙って打ち放った鋭い廻し蹴りは、その時観戦していたエルリックら第四中隊の隊員達をして思わず止めに入ろうとしたほどの必殺の一撃であった。

 誰もが男の頭が木っ端微塵に粉砕される姿を予見して固唾をのんだが、レイはこれをぴたりと寸止めにしてみせ、男はへなへなと腰を抜かした。


 勝利を手にしたレイは笑顔でエルリックに担がれて仲間たちの喝采に包まれた。その時にふと司令長官と目が合ったのだが、どれだけ苦虫をすり潰せばあんな顔になるのだろう、と驚くほど顔面を歪めていたことは忘れない。


 とにもかくにも、それ以降城砦守備隊は態度を改めたのか第四中隊にちょっかいを出してくる者はいなくなった。しかし司令長官の方は何を思ったのか、敵軍の主力がマージを迂回したところのルクセイアにあり、第三十一連隊から兵員を適宜移送しろという要請に対し第四中隊だけを残して他をすべて移送したのだった。


「ねえエルリック、あの司令長官はずっと心の中でわたし達へ仕返しを考えているんじゃない? この広いマージを四中隊だけに守らせて、わざと失敗させようとしているとか。なんだか嫌な予感がするわ」


「確かに大人気のない態度も透けているが、あれでもランス軍じゃ古株だぞ。拠点防衛については定評があるし、それで過去にジャンヌから褒賞もされている。よほどマージの防衛システムに自信があるのだろう。もう一度言うぞ、レイ。おまえは――」


「分かっているわ……」


 その後二、三の言葉を交わして、レイは通話を切った。それを待っていたのはヴェロニックで、すっかり身支度を整え、荷物を持っていつでも出立できる格好をしていた。


「話は聞いていたわ。早く司令部へ向かいましょう」


 レイはうなずくと素早く上着を身に着けて軍帽をかぶり、依然として警戒音が鳴り響く廊下をヴェロニックと二人、早足で司令部へ向かった。

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