第16話 恋に落ちた瞬間、失恋する・前編

『お会いしたかったですわ、ルシュファ様』

『ベアトリス嬢。僕もこの日をずっと待っていたよ』

「──っ」


 それは庭園階層の中でも、立ち入り禁止区域だった。立ち入り禁止というのは、貴重な薬草を育てているので勝手に採取しないためのものだ。ちなみにこの薬草は私が育てているので、いつもの通り薬草の様子を見に来たら、とんでもない場面に直面してしまった。


 思わず観葉植物の影に隠れてしまう。これが修羅場!?

 護衛の二人は階層扉の外で待って貰っているので、実質貸し切り状態。商談や取引に使う会議室や客間のある階層ではなく、あえてこの庭園階層を使うってことは……秘密の逢瀬ってこと?

 そう思うと胸がツキンと痛んだ。

 ルーファとベアトリス嬢は思い合う仲だったということ?


『わたくし、この日のためにそれなりに骨を折ったのですから、キッチリと埋め合わせをして頂きたいですわ』

『それは、それは。では僕も全力でお相手をしなければなりませんね』

『ふふふ』

『はははっ』


 仲よさそう? 

 いや滅茶苦茶息ぴったりじゃない? 

 しかもとても生き生きしているし、楽しそう。


 胸が痛い。

 ルーファの傍に別の誰かがいるのが嫌。ようやく実感出来たのに──。


「私を好きって言ってくれたのって、嘘だったのかな」

「自分に告白したのは、やはり嘘、戯れだったのか」

「「ん?」」


 ふと同じような愚痴を吐く声が聞こえたので視線を移す。すぐ傍に体格のよい護衛騎士が頑張って縮こまっているではないか。気配とか全く感じなかったのだけれど!?

 護衛服が窮屈なくらい筋肉質な体だわ。窮屈じゃないのかしら?


「これは失礼しました……。自分は怪し──くは見えますが、お嬢様の護衛騎士のクレマン・シリルです」

「ああ、パーティー会場でベアトリス嬢を支えていた方ですね。私は──ただのセレナーデですわ」


 コソコソと自己紹介をしつつ、お互いに偶々居合わせてしまったという。そもそもクレマン様は別室で待機していたが、気付けばここに転移していたらしい。その上、話を聞くとクレマン様はベアトリス嬢と恋仲だと言う。ただ自身の身分が男爵ということで、婚約するにも躊躇ってしまっている。身分差の恋とかキュンってしてしまう。

 特に令嬢側の身分が高いと、ハードルがぐんと上がってしまうものね。でもベアトリス嬢と身長差もあるし、強面のガッチリとした体格であるクレマン様と並んだら姫と騎士で絵になるわ。推せる。


「自分との恋人関係はもしかしたら、カムフラージュだったのかもしれません」

「え?」

「本当は元婚約者であるルシュファ殿と結婚したかったのに、二ヵ月前のパーティー会場で一方的に婚約破棄となったお嬢様は憔悴しきってしまって、引き籠もりがちに」

「それは……」

「王国の情勢も傾く中で、領地経営や事業に邁進していたのに毎日自分に看病をしてほしいといわれ」

「ん?」

「日に日に弱っていくお嬢様を誠心誠意支えたいと、様々な場所にお連れして、贈物も……できる範囲で頑張って……」

「ふむ、ふむ」

「そんなある日、傷物になったと嘆くお嬢様を見ていられないと告白したら、二つ返事で喜んで貰えたのです。舞い上がって……昔から努力家で素晴らしい方でした。自分などが恋人など年も八つ離れているので諦めていたのですが……」

「(年の差カップル!? ……良い。推せる)……で、喜んでいたら浮気(?)現場に遭遇したと?」

「ええ……。年甲斐もなく舞い上がっていたのは恥ずかしい限りです。ですがこれで踏ん切りが付きました」

「……というと(ごくり。このまま飛び出して、さらなる修羅場? その場合、私も巻き込まれる……のよね)」

「お嬢様の元を離れて、国に戻ろうと思います」


 修羅場、回避!

 しかし、なんだかそれで良いのかと思ってしまった。万が一、カムフラージュではない可能性だって、1%ぐらいは残っている……はず。


「(というか国? 王国が故郷ではない?)……身を引かれるのですか」

「ええ、好いた相手には幸せになって欲しい。けれどそれを傍で見続けられるほど、自分は大人ではなかったようですので」


 クレマン様の気持ちが、痛いほど分かる。

 好きだから奪われたくない気持ちと、相手の幸福を願う気持ちがぶつかり合う。「この人は私の好きな人だ」と、高らかに言ってやりたい気持ちはある。でも私もクレマン様もお互いに関係性は「恋人」というだけで、婚約者でも伴侶でもない。


 この世界において「恋人」という関係性は、とても弱いのだ。特に相手の身分が高ければ高いほど、一方的に切られてしまう可能性だってままある。お遊びだった、が通ってしまうのだ。切ないけれど。


「わかります。私も……つい最近、というか今自分の環境が落ち着いて、やっと心の整理ができて……好きだって実感できるようになったのです。でも以前からベアトリス令嬢とルーファは面会をしていたようですし、私を隠れ蓑にして、この先もずっとお二人の姿が視界に入るぐらいなら……潔く身を引くべきなのでしょうね」

「セレナーデ嬢」


 まさかこんな形で失恋するなんて思っていなかったわ。行く場所のないけれど、希有な力を持っている私を利用するつもりだった……のよね?

 ルーファに気持ちを伝える前に気付けた良かった。騙されるのも、利用されるのも嫌だもの。一応、確認してみる? 

 でもそれで態度が急変したら?

 王家のように外部との接触を絶たれる? 


「──っ」


 怖い。

 エドガルド様と婚約破棄するよりもずっと苦しいし、悲しい。

 そんなの嫌……だわ。あの笑みも愛の言葉も全部嘘だった?


『……君はね、三国にとって、とっても美味しくて都合が良い存在なんだ。君がどの国にいるかで盤上は大きく変わる。差し詰め戦況を大きく変えるクイーンの駒とでもいうべきかな。王家と帝国は、その力を手中に収めないと思っている』


 三国にとっても都合の良い存在。それはこの迷宮ダンジョンだってそうよね。私が欲しいのなら、大規模魔法による攻撃はできないもの。

 ルーファに聞いても、聞かなくても地獄。

 ああ、本当に逃げ道なんてないのね。この気持ちに気付かなければよかった。胸が痛くて、呼吸が上手くできない。

 私──こんなにもルーファが好きだったのね。もっと早く、ううん、ルーファと一緒に過ごせなかった八年間はもう戻らないもの。

 その溝をこの先埋められればって思っていたのは、私だけ……だったってことよね?


 ルーファから主語の話は出ていないし、話題にもならなかった。私にさせようとする仕事もない……って言っていた。迷宮ダンジョン内でなら自由に生活できるようにして楽しかったのに。


 涙が床に流れ落ちた。こんなに辛い思いをするのなら忘れてしまいたい。好きな人の気持ちも、思いも失ってしまえば二人が視界に入っても辛くなくなる。


「あ」

「どうかしましたか?」


 不意に目に入ったのは、青々とした小さな花だ。私が育てている薬草の一つで主に根っこと茎が薬になる。花びらは──忘却の薬になったはず。

 

「……私はクレマン様のような逃げ場所はなさそうなので、記憶を消してしまおうと思います」

「記憶を? そんなことができるのですか?」

「はい。特定の人物だけの記憶を消す……少し特別なものですが。副作用もないですし、軍事利用もできない《恋忘れ専用の薬》なのですよ」


 本当は五年前、ルーファに婚約者が出来た時に飲もうと調べたのだ。あの時思いとどまったのは、過去の思い出以外に縋るものがなかったから。婚約破棄する意思を強く持つためにも、記憶を消すのは得策ではないと考えた。

 結果的にさらに自分の傷を抉ることになったのだけれど。


「自分にも頂けますか。正直、大切な人を忘れることなど……きっとできないでしょうから」

「クレマン様……。分かりました。一週間後にお渡しをしますわ」

「感謝します」


 その日を境にベアトリス嬢とルーファとの面談は増え、私は一人で居る時間が増えた。薬を調合する時間に充てられるのでちょうど良いが、やはり気になってしまう。

 ローや、リズに相談しようとも考えたが、彼らはルーファの部下だ。いくら友人だったとしても職務を優先されたらルーファに伝わってしまう。私が忘却の薬を飲むまでは勘づかれないようにしないと。





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