第15話 信じたい気持ちとトラウマの狭間で

 迷宮ダンジョンの中での生活は快適のひと言だった。行きたい時に好きな階層に転移ができる。まるで前世の◯◯でもドアみたい。

 人によって階層利用許可範囲が異なるけれど、私の移動範囲は自室、ルーファの部屋、サロン階層、商店街階層、貴族居住階層、牧場階層、広めの庭園階層だったと思う。

 王宮から殆ど出られなかった毎日を考えると、かなり自由だ。もちろん毎日どこかに行く際は、ルーファか護衛騎士数名はついてきている。


 今日は編みかけのセーターが出来上がった記念に、商店街階層でお茶と甘いものを食べようとやってきた。ルーファは商店街階層で待ち合わせとなっている。

 魔王、迷宮ダンジョン階層の領主としてやることが多々あるのだろう。私も何か貢献できれば良いのに……。

 ふと商店街階層の中央広場に、グランドピアノが設置されているのが見えた。


「リズ、あんなところにピアノなんてあった?」


 桃色の長い髪をポニーテールにした彼女リズは騎士にしては小柄だけれど、凜としていて騎士服がよく似合う。よく甘い物が食べたいと愚痴るけれど。


「ああ、冬祭りに合わせて用意したのですよ。迷宮ダンジョン専用のピアノだとか」

「もう調律は終わったりしているのかしら?」

「おそらくは? ……甘いもの食べたくなってきました」


 ピアノは前世から習って好きだった。王宮では加護が強化されないのなら王妃教育に必要ないとかで、制限させられていた。


「じゃあ、久しぶりに弾いてみようかしら」


 不安や色々考えることが多かった分、少し無心になって何かしたい。それが弾きがかりだった。前世で好きだったアニメのオープニング曲を繋いだアレンジメドレー。最初指の動きは固かったけれど、少しずつ指先を動かしてメロディーを紡いでいく。


 緩やかに、少しずつテンポを上げて、うん楽しい。

 気づけば夢中になって鍵盤を叩いていた。もっと弾いていたい。もっと、もっと!

 ああ、そうだ。この曲はメインテーマだった。懐かしいな。たしか歌詞は──。


「──LA♪」


 最初は鼻歌だったけれど、気づけば普通に歌っていた。歌うのは楽しい。ずっと縮こまっていた心が解きほぐされる。

 ああ、そうだわ。もっと自由に、皆を楽しませたい。それが根底にあったのを思い出す。

 お祭りとかイベントが大好きだったのをどうして忘れていたのかしら!

 ああ、もっと。もっと!

 髪を乱して全身を使って歌を、声を出す。

 ああ、このまま次の曲に繋げて──。


「セレナ──それ以上はダメだ」

「え?」


 聞いたことのない鋭い声に、熱が一瞬で冷める。周りを見渡すとたくさんの人に囲まれていて、拍手喝采が耳に届く。こんなに人がいたことに全く気づかなかった。


「凄かった!」

「最高だわ! なんて曲なの!?」

「もう一回聞きたい!」

「え?」


 皆嬉しそうな顔をして、続きアンコールを望んでくれた。でもルーファは私を抱き抱えたまま転移してしまう。

 転移先は庭園階層だった。


「ルーファ?」

「あんなに楽しそうにして、幸せそうで狡い。僕ばっかりセレナを目で追って、僕が来たのにセレナ全然気づいてくれなくて……みんなセレナの良さに気づくのが嫌だ……」


 ぎゅうぎゅうに私を抱きしめるルーファは魔王や領主の顔などしておらず、五歳児のようだ。なんて無茶苦茶な言い分なのだろう。


「だからって、あの場からいきなり去るのはどうなの?」

「だってあのままだったら、僕のセレナに求婚しようとする輩がでそうだった。実際に花屋で花束を買って戻ってくる連中を見たし……。僕が最初に聞きたかった」

「(うん、拗らせと執着がヤバい。……まだ監禁を言い出さないだけ、堪えている気がしなくもなくもない……)ルーファ」

「……セレナの初めては全部僕がいい」

「怖っ」


 仄暗い瞳とボソッと呟いた言葉が全てを物語っており、若干離れようとするが無理だった。全く私のことになると途端にどす黒い執着を見せる。

 狂愛に近いけど、それでも私のことを第一に考えて譲歩はする。今日みたいに暴走する時もあるけど。


「だって……セレナは魅力的なんだよ。ずるい。きっとこれから定期的に君のピアノ演奏をしてほしいと要望が殺到するんだよ。君は歌声もピアノも素敵だから、一気に有名な歌姫となってファンクラブが倍増。結果、僕との時間が減るんだ……」

「すごい発想力……うん、まあ、息抜き程度にならピアノ演奏したいかな。ほら、階層なの雰囲気をよくするにも効果的でしょう」

「僕はセレナを独占したい……。でも、うん……セレナが僕に好きって言ってくれたら」

「好き」

「……へへ」


 チョロい、ちょっと心配になるわ。


「ねえ、セレナ。愛の歌ってある?」

「ん? んーまあ」

「聞きたい」


 昔のように強請るのは上手らしい。仕方ないので、たった一人の観客のために私に好きな歌を歌うのだった。

 私が歌うことで加護とは異なる祝福が加算されていることの気づくのは、もっとずっと後になってからだったりする。それこそ魔王のルーファが死にかけた大事件だったが、それはまた別の話。



 ***



 それから二ヵ月があっという間に過ぎて行った。

 外見は天然の要塞だが、実際ここは破滅カタストロフ黒竜神ニゲルドラコのシュトロン様の縄張りであり、迷宮ダンジョン領域となる。

 思っていた以上に階層ごとに季節や昼夜の設定が組めるようになり、食料など自給自足が可能で、それらを商店街階層に流通させればレストランやカフェで美味しく頂けるようになっているのだ。


 白い壁と空色の石畳が特徴な商店街階層は、私のお気に入りの一つだ。畑仕事は収穫時が近づくと駆り出されるので手伝ったりもしている。改めてマリー領に住んでいた人たちが移住しており、雰囲気も近い。あとほぼ、顔見知り。

 八年間という時間が経っていても面影はなんとなく覚えており、久し振り感も安心する。特に同世代の友人であり、ルーファの部下ローとリズとは一緒に買い出しをすることも増えた。

 ルーファが私の傍にいない時は大抵二人が傍にいる。


「ルーファってやっぱりモテていたのよね?」

「んー、確かに遠巻きから憧れていることはあったけれど、基本的に人を寄せ付けなかったかな」

「団長って爽やかイケメンだろう? 下手に優しくしたら勘違いする令嬢が増えるって分かっていたんだろうな。元婚約者であっても一定の距離を取っていたッスよ」

「元婚約者……」


 ふと思い出すのは、婚約破棄をされて卒倒したベアトリス公爵令嬢の姿だ。唐突に婚約解消を言い渡されたご令嬢は、倒れるほどルーファを慕っていたのでは?

 それにここ二ヵ月で要塞に面会を求める者が多くなった。政治的駆け引きや交渉、商人、移民……あとは迷宮ダンジョンに忍び込む侵入者たち。

 そういえば面会リストにバレテレミー公爵家の名前があったような?

 もしかして令嬢はまだルーファのことを? それに対してルーファも何か思うところがあるから面会を望んでいる? 


「あー、でもあの二人って」

「ちょ、そんなことセレナーデに話したら──」


 ふとエドガルド王太子とユリアの姿が脳裏にちらつく。二人が運命の番となってからは政務の量や、王宮内での雰囲気もガラリと変わってしまった。

 私を腫れ物扱いしつつ、利用できることは利用しようと画策する。

 婚約破棄の件もそうだ。自分たちの都合の良いように事実をねじ曲げて、踏みにじられる側のことなど考えていない。


 ルーファも私の力を得るために近づいた?

 一瞬考えたけれど、頭を振った。ルーファに限ってそんなことはないわ。それだったらこれだけのアクセサリーを私に──。


 そこでハッと気付く。

 贈られた物は、どれも私を何処にも逃さないための道具ばかりだ。結婚を急ぐのも私自身を縛るため──。

 ううん、ルーファはそんなこと、違う。

 私の加護を一度だって利用したいと口にしなかった。ルーファは王家と違う。

 そう否定したけれど、事実はそう甘くなかった。

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