第11話 八年という歳月


 泣き声が聞こえる。喚き散らすのではなく、声を押し殺して泣く感じ。

 泣き虫で、甘えるのが苦手な幼馴染──。

 記憶の底に沈んだ思い出が、ふわりと蘇る。


 白銀の鋭い茨がある《迷いの森》で蹲る男の子が一人。大人でも足を踏み入れるのに勇気がいる森で、縮こまっている彼に声をかける。


「ぐすん……ぐずっ」

「あー、やっぱりここにいた」

「セレナぁ」

「ほら、帰ろう」


 バッと顔を上げた瞬間、空色の瞳が煌めいた。泣いていたのに、あっという間に泣き止んでとびきりの笑顔を見せる。

 私が来ることを計算していたのかも。だって来る途中、分かり易く矢印があって、魔物は全滅していたし……。見つけて欲しくて、構って欲しくて、あの手この手で私を振り回していた。

 そんな我が儘を言うのは私だけだったのもあって、いつも「しょうがないな」と手を差し出す。

 私じゃなくて違う女の子が同じことをしても、こんな風に手を取ったのかな?

 そう思ったら、ちょっとだけ胸がチクリと痛んだ。いつか私じゃない人の手を取ったりするのかな? 


「うん……。セレナは僕がいなくなったら嫌?」

「もちろん」

「じゃあ、僕もずっとセレナの傍にいる。約束」

「うん!」


 私たちは何度そのやりとりをしただろう。

 ちょっとでも離れるのが嫌で、子供じみた気の引き方をした。もしかしたら周囲への牽制だったのかもしれないけれど、それは子供の世界でのみ通用する話で、それから二年後、私と王太子との婚約の話が上がった。


 積み重ねてきた約束。

 か細い願いを積み上げて、ルーファは私の元に駆けつけてくれた。私は貴方が婚約したって聴いた時に、ポッキリと折れてしまったのに。

 薄情な私でもルーファは嫌わない?

 八年前と今を見て幻滅してない?


 王国と帝国、法王国を敵に回してまで、私の自由と尊厳を守ろうとしてくれた幼馴染。私はまだルーファに自分の気持ちを伝えていない。

 五年前に諦めてしまった。ルーファが私を助けたいというのは、悪魔族の契約約束に縛られているからじゃ? 

 ぐるぐる気持ちの整理が追いつかない。

 私は──。



 ***



 チュンチュンと小鳥の囀りに目を覚ます。ふかふかのベッドで温かい。寝心地も良いので寝返りを打とうとした瞬間、違和感を覚えた。


「?」

「ぐー、ぐー」

「……………」


 すぐ傍にルーファが寝転がっていた。しかも分かり易いほどの狸寝入り。シュトロン様と同じく寝たふりが下手すぎる!


「ルーファ。起きているのでしょう?」

「寝ている。……おはようのキスがないと目が開かないようになっている」

「どういう仕様ですか?」


 子供のようなことを言っている。昨日はあの後、ルーファの浴室を借りてお風呂にゆっくり浸かって、ホクホクしている間に寝てしまった。

 途中でエーベルハルト聖下のことも聴いていたけれど、たしか小瓶にどうたら……って。


「──って、ルーファ! エーベルハルト様は? あの後どうなったの!?」

「おはようのキスの下りも、僕が君のベッドに寝ていることも無視して他の男の名前って……セレナは酷いな」

「うっ……」


 何故か私が悪いみたいな感じになっている。冷静に考えて私が怒るべきところなのに、解せないわ。……とはいえ、こうやって拗ねている時のルーファは面倒くさいのよね。

 昔、喧嘩して不貞腐れた時は三日間ほど引きずっていたし……。


「ルーファ、おはよう」

「──っ」


 さすがに唇にキスをする勇気はなく、頬にチョンと触れた。ルーファがベッドに入り込んでくるのは昔も変わらないので、全力でスルーしよう。うん。


「セレナからのキス! 3,002日ぶりのキス」

「(日数的に八年前ってことよね?)……はい、これで起きたでしょう」

「……唇じゃなかった」

「今までそういうことしたことがないんだから、私にはハードルが高いわ」

「──っ、じゃあ、僕がこれからいっぱいする。そうしたら慣れるよね?」

「え、んん!?」

「セレナの唇、柔らかい。好き」


 途端に機嫌が良くなって抱きついてきた。八年前よりも甘えモードが過激になっている!

 私は抱き枕ではない。それよりもあの後のことだ。


「そ・れ・で?」

「もう、他の男のことばかりでセレナは酷いな。もっと僕のことを、僕のことだけを思ってくれればいいのに」

「ルーファとこれからの話をするためにも、情報把握は必要でしょう? それともルーファは王家と同じように私に入る情報を制限するの?」

「しない!」


 ちょっと意地悪だったけれど言い返した瞬間、ぎゅうぎゅうに抱きしめる。


「ごめん。……セレナは外のことも国際情勢も制限されていて、そんな中で話しも中途半端なままだったら落ち着かないよね? やっとセレナを取り戻したのに……取り戻したからこそ、また失うかもしれない。奪われるかもしれないって思ったら怖くて……焦ってた」

「ルーファ」

「だから……これをセレナに付けたんだけど、いいよね?」

「うん。……ん???」


 これとは?

 そう聞き返そうとした瞬間、首に違和感を覚えた。黒のチョーカーに空色の宝石がはめ込まれているのが見える。どう見ても首輪、ルーファの変態レベルがさらに増した!?


「うん、可愛い。これね、鈴にもなって動くと音がするんだよ」

「(幼馴染がさらなる変態の高みに!)……か、可愛いけど腕輪とかじゃなくてなんで首輪?」

「セレナは僕のだってちゃんとアピールしたくて……。あ、でもやっぱり婚約者なら婚約指輪のほうが嬉しかった? それともサクッと結婚して結婚指輪を付ける? いくつか用意しているけれど」

「とりあえず結婚は心の準備ができていないので……結婚を前提とした恋人……枠にして」

「うん!」


 一瞬で儚くなりかけたので、慌てて言葉を繕ったがルーファは嬉しそうに顔を綻ばせた。そんな笑顔にキュンとしないわけがなく、誤魔化すようにギュッと抱きしめる。


「……法王は見て分かったと思ったけれど、スライムロードの変異種で破滅カタストロフ黒竜神ニゲルドラコと同じくらい古くから存在している。正直、シュトロンの持つ炎と火力がなければ危なかったよ」

「スライムロード……(キングじゃないんだ)」

「小瓶に封じて、今は動けないようにしている。まさか単独で──と思ったが、あの聖騎士も含めて全てこの法王の分身が動いていたようで、昨日、君の両親と引き合わせられなかったのは、聖騎士と戦闘になったからなんだ」

「じゃあ、昨日バタバタしていたのって……」

「うん。襲撃にあっていたんだ。しかも迷宮ダンジョンをなんらく突破してきて本当にいい性格をしている。もっとも猪突猛進だったので対処は楽だったよ。ブレス一つで殆ど駆逐できたし。これで法王国の動きは鈍る。次に仕掛けてくるとしたら使者として帝国と、王国だろうね」

「帝国は大国と小競り合いをしているって耳にしたけれど、そちらの問題よりも先に私のほうを優先するかな?」

「ああ、その程度ならセレナの耳にも入っているんだね。……地図を見せて説明したほうが早いから、朝食を食べつつ話そうか」

「そうね」


 そう言ったのにどうしてルーファは私の翼の下……腰にしがみついているのだろう。侍女と思われる女性が困惑しているではないか。

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