第42話 芸人の底力

「おぉ。マジでみたことねぇや」


 ターゲットのボロアパートに侵入して、相手の手足を縛り身動きを取れなくした安藤を労う前に唐沢がは、何故か嬉しそうにそう言った。


「あれ? 地下ライブとかに出てる系?」

「え。えっと‥‥‥」


 人の皮を被った化物に、いきなり質問されてパニック寸前になるターゲットである若手芸人。少しはまともそうな安藤を縋るように見てくる。


「喋って良いぞ」


 そのために、口だけは拘束しなかったのだ。少しは唐沢を楽しませてくれないと、後で機嫌が悪くなり面倒くさい。


(頼む。少しで良い。この男を笑わせてくれ)


 我ながら、無理な頼みだとは分かっている。こんな生死をかけた状況で人を笑わせる? そんな難しいことができたら、とっくに結果を残しているだろう。

 しかし、この小太りの男はテレビにも出ていないし、ネタで賞を取ったこともない。つまりは面白くはないのだ。


「‥‥‥今井義和です。29歳。芸人やってます。1発ギャグやります」


(こいつ、マジか!)


 安藤はその心臓の強さに驚愕した。


(ウケるわけがないだろう! しかも、1発ギャグで。イロモネアでスタッフから「絶対に笑わないで下さい)とお願いされてるエキストラよりも厄介な客相手に!)


 しかし、その勇気は買う。手足の拘束に使っていたロープを外し、自由の身にしてやった。

 キョロキョロしながら立ち上がって、一世一代の賭けに出る。


「2年前、深夜の歌舞伎町で女がオカリナ演奏をしていたのですが、それを完全再現します」


 ここで、1発ギャグとは何かを整理しておきたい。

 簡単に言えば、短期間で動きやフレーズにより相手を笑わせることだ。


 ‥‥‥オカリナ演奏?


 今井義和は、口笛の要領でオカリナの音を再現した。


 美しい。


 素直にそう思うほどのクオリティ。しかし、面白いかと聞かれたらNOと答えるしかない。


(こいつ、終わったな)


 そう結論づけた。このネタが終わったら殺しのGOサインが出るだろう。


 ‥‥‥。


 どうしよう。終わらない。


 実際の時間は5分かそころだろうが、安藤には2時間にも感じられた。

 1発ギャグの概念を超えたオカリナ演奏に、先ほどは美しいと感じていたが、今は恐怖を覚える。

 何故、やめない? 少しでも寿命を伸ばしたいのか?

 そう思って本人を見てみたら、完全に自分の世界に浸りきっていた。目を閉じて、足をタップしてリズムもとっていやがる。


(あぁ。分かった。こいつ、天才過ぎて売れないタイプだ)


 笑いのハードルが高過ぎて、常人には理解できない芸をしているために、日の目を見ない芸術家タイプ。

 刺さる人にはブッ刺さるだろうが、嫌いな人にはとことん嫌われる芸風。

 しかし、今回はその芸が刺さる変なおっさんが1人いた。


「ハッ、ハッ、ハッハッッッッ、ッッハッ」


 独特の笑い方の主は、もちろん唐沢である。

 笑い始めてからは止まらなく、ネタが終わるまでの2分間は笑いっぱなしであった。


(笑って、こんなに持続するもんなんだなぁ)


 と、妙な感想を抱く安藤。

 ようやく、ネタをやり遂げた今井義和に、唐沢は言う。


「嫌いじゃねー。逃げて良いぜ。後はこっちで隠蔽してやる」

「‥‥‥ありがとうございます!」


 猛ダッシュで部屋から出る。

 その結果、2人の感性が違う男が取り残される。


「‥‥‥そんな面白かったですか?」

「おうよ。お前も歳とったらアレの良さに気づくよ」


 そんなわけねーだろと思った安藤だったが、20年後に唐沢の読みは正しかったと思い知る。

 ピン芸人のNo.1を決めるR-1グランプリにて、今井和義が出場し、ぶっち切りで優勝したのだ。

 当時50歳になっていた安藤は、あの頃から変わらない芸風のネタに腹の底から笑った。

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