第31話 キャッチボール

 由佳は翌日の昼休みも、図書室に行くことにした。

 弁当は変わらずトイレで食べるしかなかったが、その後は、自分を優しく包み込んでくれる図書室が待っていると思うと、少しだけ前向きになれた。


 目立たないために、そっとドアを開ける。


 そこには、昨日と変わらない様子が広がっていた。

 受付カウンターで、黙々と本を読んでいる清美がいる。

 本がビッシリと収められている本棚に近づく。

 由佳の好きな娯楽小説のコーナーは、すぐに向かった。

 学校で本を読む習慣のない由佳にとって、悪いことでもしている感覚すらあった。図書室なのだから本を読むのは何の後ろめたさを感じる必要は皆無なのに。


(私みたいな派手な見た目の女が、読書してたら目障りかな)


 昨日、由佳が入った途端に図書室から出ていった2人の生徒は、似たようなことを考えていたが、そんなの気にする必要はない。

 文字さえ読めれば、見た目など大した問題ではない。

 どんな人間でも、ここではないどこにでも連れていってくれる。それが小説の良いところだ。


 キョロキョロしながら、由佳はゆっくりと本棚から文庫本を引き抜いた。

 道尾秀介の『月と蟹』

 それは、弱い者達が、自分達の作った神様に祈る話だった。

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 物語の世界にどっぷりと浸っていると、背後に誰かがいることに気づいた。

 先に言っておくと、そいつの正体は清美だ。


 そりゃそうだ。この図書室には由佳の他には彼女しかいないのだから。

 しかし、物語脳になっている由佳は、後ろにいるのが幽霊なのではないのではないかと、勝手にビビっていた。


(私のような見た目のギャルに恨みを持った幽霊かも‥‥‥。違うの。この見た目は周りに合わせていて、気がついたら、この見た目になっていただけで‥‥‥)


「‥‥‥何読んでんの?」


 しかし、そこにいたのは、話しかけたくても勇気が出ずにコミュニケーションをとることができずにいた同級生だった。


「えっと‥‥‥『月と蟹』」

「へぇ‥‥‥渋いね」


 お互い、声が小さいが2人だけの空間では聞き取るのに充分だった。


「この作者さんが、好きで」


 せっかく、清美側から話しかけてきてくれたのだ。この機会を逃すまいと不器用ながらも話を広げる。


「そうなんだ‥‥‥あの、主人公達が神様に祈るシーンとか‥‥‥良いよね」

「うん。良い。‥‥‥鮫島さんは、どんなの読むの?」

「私はね、何でも読むよ。純文学から、ちょっとエッチなライトノベルまで」


 同級生の女の子の口から「エッチ」という単語が飛び出して、ドギマギするという中2男子みたいな思考回路をした自分に戸惑いながらも、会話を楽しんだ。

 人の話を笑顔で聞いているだけではない。言葉のキャッチボールができたことを、心の底から喜んだ。


 それから、読書という共通の趣味を手に入れた2人の距離は縮まり、今では堂々と友達と呼べる関係になっていた。


 その影響からか、1年が過ぎて新しいクラスで委員会を決める際、由佳は真っ先に図書委員に立候補した。

 別のクラスになってしまった清美も、去年から続いて図書委員になると踏んでの決断だった。

 その賭けに、由佳は勝利して、今こうして親友との時間を過ごすことができているのである。


 そして、日に日に清美ともっと仲良くなりたい欲が増していく。


(そういえば、学校では話せているが、外で遊んだことはない)


 考えた結果、お互いが面白いと認識している小説を原作とした映画を観に行こうと誘うことにした。


(絶対楽しいはずだ)


 軽く深呼吸して、これから言うセリフを頭の中で反芻する。


(鮫島さん。この間の小説、映画化するんだって。大丈夫。安心して。ネットで評判を調べたら原作を変にアレンジしてない良作らしいの。良かったら、次の土曜日に一緒にどうかな?)


 何度も何度も、脳内でリピートする。


(よし! 完璧!)


「鮫島さ‥‥‥」


 ガラッ。


 しかし、その成果を披露しようとした瞬間、来客があった。


「へー。図書館って初めてきたよ」

「当たり前なことですが、静かにしていて下さいね」


 タイミングの悪い来客は、クラスメイトの里中杏奈と、我が川井高校の校長、安藤昌哉だった。


(‥‥‥どういう組み合わせ?)


 繋がりの分からない2人組を、由佳はジッと見てしまった。


 

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