第28話 読書をするタイミング

「ウチの親がですね、<スマホばっかり観てないで、少しは本を読みなさい>って言うわけですよ」

「ふむ」

「私だって、本を読むことが良い経験になることくらいは知ってます。でも、でもですよ! そう言う親が、全く本を読んでないんですよ!」

「うん」

「自分がやってないことを娘に教養するのっておかしくな?って言い返したら<大人は忙しいから、そんな暇ないんだ>ですって!」

「んー」

「大人って、子供が暇だって決めつけてる感じしません? あ、安藤さんは違いますけど」

「ありがとう」


 校長室で、安藤は新福部長となった里中杏奈と今後の部の方針を決めていたが、途中から桜の家族への不満独演会になってしまった。


 ちなみに、全国大会さ5位に終わった。


 安藤からしたら、大健闘だと思うのだが、部員達は引くほど悔しがっていた。

 安藤は、悔し涙を涙を流す彼女らを見て引いてしまった自分を恥ずかしくなった。


 2024年のパリオリンピックの柔道を思い出す。

 前評判が良かった女子選手が、まさかの2回戦負けしてしまったのだ。

 人生をかけてスポーツに打ち込んだ者にしか、本当の意味では理解できない激情から、彼女は咆哮に近い悔し涙を見せた。


 あのシーンを観て、安藤は軽く引いてしまったのだ。

 しかし、すぐに「オリンピックという大舞台では、これでは足りないくらいの感情に押しつぶされそうなのだろう」と考え直した。

 しかし、最初に引いた事実は動かない。


(私は、一生懸命にやっている人達についていけなくなっているのだな)


 その日から、自分は冷めた人間なのだと自覚している。

 だから、一生懸命に怒っている杏奈への対応も、軽いものになってしまう。

 安藤は、もう怒りさえも強く表現できない。


「安藤さんは、本結構読んでますよね? これどう思います!?」

「んー」


 気持ちは分かるが、教員という立場上、保護者を悪く言うのは気が引ける。

 しかし、生徒の相談を無視するわけにはいかない。何かしらは答えなくては。


「別に無理して読まなくても良いと思いますよ」


 結果、何とも消極的な答えになった。


「えー。でも、賢くなりたいし」

「教科書などを読むのなら、知識が増えるので推奨するのですが小説を読まなくても、人生困ることはありませんよ」

「そうかな? 国語力がついていいと思いますけど」

「‥‥‥そうですね。例えば、里中さんが1晩中小説に熱して楽しかったという経験と、友達と遊んで楽しかった経験は、ほぼ一緒です」

「そうなの!?」

「えぇ。元々、小説ってのは、大昔に大説という国家のあるべき姿を描く堅苦しいものがありました。しかし、もっとポップな話を読みたいという国民の要望によって誕生したと言われています。要するに、娯楽なんですよ」

「‥‥‥へぇ」

「そうですよ。だから、小説なんて気が向いた時に読めば良いんです」


 普通の教師なら、読書の推進をするところだが、安藤はあの教育法が好きではない。

 無理に読ませて好きになるわけがない。読む奴は放っておいても勝手に読むんだ。そのタイミングを待つべきなのだ。


「なるほど。そんなに構えることないんだ」

「はい」

「‥‥‥」


 何やら考え込む杏奈。


「じゃあ、これから図書室行ってみようかな。」

「良いんじゃないですか」


 話が終わりそうだったので、通常業務に戻ろうとした安藤に言う。


「何言ってんですか。安藤さんもくるんですよ」

「何故に?」


 本気で意味が分からなかったので、丁寧語が抜けてしまう。


「私1人じゃ、何を借りたらいいか分からないじゃないですか」

「はぁ‥‥‥分かりました。一緒に行きましましょう」


 ため息をつきながら立ち上がる安藤。

 なんだかんだで、面倒見の良い男である。


 

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