第18話 嵐の前の静けさ

「‥‥‥なんだ、つまらないなぁ」


 オトモダチに盗撮させた里中杏奈と平子摩耶の動画を観ながら、倉科は呟いていた。


「もう少し、堕ちてもらいたかったのに」


 彼がの自室には、中学時代に隠し撮りをした杏奈の写真が山ほどあった。その写真を見ながら缶コーヒーを飲むのが、倉科の1番の楽しみである。


 しかし、そこに恋愛感情は無い。

 アイドルやVtuberを応援する感覚と言えば、伝わるだろうか。

 その存在が生きがいで、大好きだけれど自分と推しが恋愛関係になることは解釈違いだと多くのファンは思っている。付き合うことを、半ば強制的に終わらせたのも、そのためだ。

 中にはガチ恋勢と呼ばれる人種もいるが、あの人達は特例中の特例。今回は考えないものとする。


「次は、どうやって杏奈さんの可哀想な姿を見ようかな」


 しかし、倉科はガチ恋勢よりもタチが悪い。

 推しが苦しんでいるのを見て、心を満たす変態だ。


「いや。その前に、杏奈さんとその周辺に要らないアドバイスをしている奴らがいるな。まずはそいつらを潰すか」


 ペンとノートを手に取り、安藤昌哉と遊佐二月を排除する計画を立て始めた。

\



「それでは‥‥‥皆さん、今日もよろしくお願いします」


 職員室での朝礼の締めに、少し詰まった安藤に違和感を持つ者はいなかった。

 少しの間だったし、人間誰もがそういうことがある。人に伝えることが仕事のアナウンサーでさえ、言葉に詰まることくらいあるのだから。


 しかし、安藤本人は憂鬱な気分になっていた。

 それは、情けない司会進行をしてしまったからではない。自分に向けた悪意を感じ取ったからだ。


(面倒くさいタイプに目をつけられたかもしれない)


 この感覚は、数々の死線をくぐりぬけてきた安藤が身につけた能力だ。「刑事の勘」などと同じように、根拠はないのだが、経験則というのは馬鹿にできない。

 だが、現段階では何をどう対策すれば良いのかが全く分からない。


「‥‥‥はぁ」


 昔は自由に動いていた安藤だが、今日も仕事が待っている。それを放って不確かなものに執着するほどの暇は無いのだ。

 妙な不安を抱えながら、今日も職務に取りかかる。

\



 それから何のトラブルもなく、夏休みを迎えた。

 とは言っても、教師は平日とほぼ変わらず学校に来なければならない。それは校長である安藤も変わらないのだ。

 その仕事の1つに、演劇部顧問補佐がある。今日はそれがメインだ。


「毎年言っている気がしますけど、言っていいですか?」

 部室に向かうまでの廊下で、二月が聞いてくる。

「どうぞ」

「暑いですね」

「ごもっともです」


 そう。暑い。

 安藤も、この季節になったら何度も言っている。ここから先の会話も決まっている。


「昔はこんなに暑くなかったですよね」→「えぇ。30度を超える日なんて珍しかったはずです」→「もう、エアコン無しでは生きていけなくなりましたよね」→「本当に。今月の電気代もすごくて‥‥‥」


 それから、電気代だけじゃなくて税金も高いとなり、やや政治的な話になる。これが大人の夏トークである。

 そんなつまらない会話を、二月としながら部室に入ると、さらに熱気に包まれた。


「さっきのシーン、ちょっとアクセントが気になるかな。もう1度!」

「はい!」


 真剣に取り組んでいる空間だからこそ出る暑苦しさに、2人の大人は背筋を伸ばした。

 子供が、こんなに頑張っているのに、我々大人が暑いとか言って腑抜けているわけにはいかないではないか。


 そう気持ちを切り替えて、青春という険しい道を歩く生徒達の元へと足を運んだ。

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