第13話 教師の本懐

「まさか、あの人がねぇ。良い人だったのに」


 凶悪事件を起こした犯人を以前から知る人がインタビューされた際のこの常套句は、誰もが耳なタコができるレベルで聞いたことだろう。

 安藤はインタビュアーにいくらか金銭をもらっての発言なのではないかと疑っているくらいだ。そもそも、良い人ほど犯罪に手を染めやすい精神構造なのだから意外でも何でもないのだ。


 例えば、小学生の頃にいじめをした者とされた者がいたとする。


 前者は、いじめをすることでストレス発散できている。日本の法律では未だにいじめを罪と定められていないので、キチンとした罰を受けることもなく成長して、他者を痛めつけていた過去を忘れて健やかな人生を送る。


 後者は、いじめのトラウマから自己評価が低い人間に成長する。結局、社会で得するのは声がデカく世あたりの巧い、かつて自分をいじめていたような連中だ。大人になっても、そいつらに良いように扱われて、心はどんどん病んでいく。


 この2人のうち、どちらが犯罪に手を染めやすいか。

 後者だ。圧倒的に後者だ。


 控えめな彼らは、人からの頼みを断りきれずに貧乏くじを引かされることが多い。「良い人」というのは、そういった印象でつけられるレッテルだ。

 本当は、善意なんかないのに。

 そうしたことの積み重ねにより、ある日突然、引いてはいけない引き金に手をかけることになる。


 もちろん、この2種類以外にも様々な人間がいるだろう。

 だから、これは単なる1例に過ぎないけれど。


(さて。里中さんはどういうタイプなのかな?)


「‥‥‥ぁ、ぁあ、あ、アンドうさん‥‥‥」


 小型のナイフを平子摩耶に突き刺そうとした動作を、安藤は見逃さなかった。瞬時に移動してナイフの刃の部分を掴んだ。

 右手の手のひらから、ポタポタと血液が落ちる。


(ふむ。やはり鈍ってきているな。昔だったら盗ることもできたのに)


「あ、ァァァァ、ぁあ!」


 涙と鼻水で顔全体が歪んでいる杏奈は、意味のない悲鳴を上げることしかできていない。


(おっと。この反省は後だ。今は生徒の安全が最優先)


「里中さん。ゆっくり、ゆっくりで良いのでナイフを離して下さい。‥‥‥そうです。そのまま‥‥‥はい。良いですよ」


 完全にナイフ奪取に成功した安藤。


「二月先生。ちょっと手を洗ってくるので、里中さんと平子さんを安全な場所へお願いします」

「あ。はい!」


 急な流血沙汰に行動が遅れていた二月だったが、安藤の指示をきっかに行動を起こすことができた。


「平子。とりあえず保健室に行こう」

「は、はい」


 安藤の機転により、ほとんど外傷は見られなかったが、万が一ということがある。

 騒ぎを聞きつけた教師達もわらわらと集まってきて、生徒達に第3多目的室からの退室をするように声をかける。


(安藤さんのおかげで、直接的な被害は避けられたけど、これからが大変なんだよなぁ)


 二月は、これからの激務を予想してため息をつきたかったか、必死に抑える。


 何故か?

 教師だからだ。

 

 

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