第12話 里中杏奈はアブない

 高校1年生までは中学から続いて女子バレー部に所属していた杏奈だったが、2年からは桜と同じ演劇部に転部することにした。桜と一緒にいたい欲求に、小学生の頃から続けていたバレー愛は勝てなかったのだ。


「そんなにあっさり辞めちゃうんだ」


 これは、中学時代から苦楽を共にしてきたチームメイトの言葉である。


「その程度の情熱だったんだね。最高の仲間だと思ってたアタシが馬鹿みたい」


 杏奈の名誉のために言っておくと、決して遊びでやっていたわけではない。


 同年代の女子達が、カフェで映える写真を撮っている間、杏奈はボールを必死に追いかけていた。

 世のカップルが映画館で本編そっちのけでイチャついている間、杏奈は筋トレをしていた。

 馬鹿が自己顕示欲を歪めた結果、バイトテロに手を染めている間、杏奈はサーブ練習をしていた。


 その甲斐あって、1年の夏にはバレーの花形であるアウトサイドヒッターのポジションを選ばれた。

 直接点を入れることが多い、ポジションでコート場を暴れ回るのは楽しかった。戦友達との絆も大切に思っている。


「‥‥‥ごめんね」


 結局、杏奈はそれしか言えずに戦友の元から去っていった。


 恋なんて、いつでもできるもののために、そんな尊いものを捨ててしまう杏奈は馬鹿だ。

 どうしようもない、恋愛馬鹿だ。

\



「摩耶ちゃーん! このシーンどう思う」

「‥‥‥うーん。悪くはないけど、もうちょっと主人公を情けなく描写した方が良いかも」

「なるほど! 書き直してみるね」

「うん。頑張ってね」


 今も昔も、運動部は文化部をどこか下に見ている風潮がある。漫画やドラマで繰り返し取り上げられる運動部と違って、文化部はそういった資料が圧倒的に少ない。想像力の無い馬鹿からは「ラクそう」とか言われる扱いを受けている。


 しかし、考えてみてほしい。

 運動部といえど、全国大会を目指すガチな部と、遊びと大差ない練習に満足している部があるだろう。

 文化部でも、その仕組みは同じだ。

 そして、この演劇部は「ガチ」の方に分類される。

 役者はもちろん、大道具や照明などの裏方も真剣に取り組んでいる。


 彼女達は、試合に負けてもヘラヘラしているサッカー部とは違う。青春の大部分を部活に捧げる尊敬すべき組織だ。


「‥‥‥」


 遊佐二月は、そんな彼女らの活動をジッと見ていた。

 昨夜、演劇関連の本は読んできたが、百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。実際の人間達が全力でものづくりに励んでいる姿には胸にくるものがあった。


「お。やってますねぇ」


 とにかく、邪魔だけはしないように見学に徹していた二月に話しかけたのは、サポート役である安藤だった。

 校長とは、それなりに忙しいはずなのだが、この男は時間を捻出するのが巧い。


「言われるまでもないでしょうが、まずは部員の顔と名前を完璧に覚えて下さい」

「はい」


 涼しい顔ど即答した二月だったが、基本すぎて逆に頭から抜けていたことに焦っていた。


 教師としての、いろはのい。


 目立つから印象に残るとか、地味だから残らないとかではない。教師が最初に取り掛かるべき仕事は生徒達を個人として認識するのと。

 長く続けていると、そんな基本を忘れてしまいがちだ。


 先ほどよりも注意深く部員の様子を見てみる。


 あの監督の生徒は相原仁。2年担当の教師から成績優秀だと聞いたことがある。

 あの女優は篠崎美影。休み時間に中庭で1人で弁当を食べて寂しそうな印象があったが、演技をしている今は輝いている。


 あの大道具は里中杏奈。

(‥‥‥)


 二月は自分のことを平凡より下の能力だと思っている。もう少し自己評価しても良いと思うのだが、この男は自分に厳しいのだ。

 そんな彼にも、1つだけ自信を持てることがある。


 それは、遠くない未来、何かしらの大事をやらかす人間を感じ取ることができることである。


 電車に乗っていれば、一見無害そうな地味な男を見て、「あ。こいつヤベー奴だな」と察知して距離をとった10分後、その男が若い女性に肘でみぞおちを攻撃する事件が起きたことがある。


 その時のような予感が、里中杏奈に感じる。


(さて。どうしたもんかねぇ)


 遊佐二月は早速、面倒ごとを効率良く解決する算段を立てていた。

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