第11話 里中杏奈は流されやすい

 ラブコメの定番として、付き合うふりをしているうちに本気で好きになってしまうというパターンがある。杏奈も、その展開の漫画をドキドキしながら読んだものだ。


「じゃあ、あと3日したら自然消滅したってアレらに報告しようか」

「了解」


 しかし、この2人は疑似恋愛を初めてから1ヶ月半経つのにも関わらず、色っぽい展開になる気配すら無い。

 というより、台本に書かれていること以外のことは基本的に喋らない。


 台本というのは、倉科くんが書いてきた48日間の擬似恋人としての会話や行動を記したものだ。その量は、大学ノート3冊分にも及ぶ。

 全12話のアニメくらいの分量である。

 全てが手書きであることに気づいた時に、杏奈はこの男は本気だと悟った。

 本気で恋愛とかいう面倒な概念を冒涜しようとしている。

 だから、誰に見られても良いように、中学生故の無責任で自由なカップルを演じることを、杏奈も承諾した。


 量だけでなく、内容も隙がない。


 付き合い始めて1週間ほどは、手を繋ぐのもやっとな初々しいカップル。

 2週間経てば、隣にいることに慣れて冗談を言い合える仲になり、3週間後には一線を超える。しかし、その辺りから2人の関係はぎこちなくなる。


 性という強烈なインパクトを残した結果、今までのように気軽に喋れなくなるようになったのだ。それでも、共に乗り越えようとしたが2週間の奮闘も虚しく別れることになる。


「決して嫌いになったわけじゃないけど、今は一緒にいるのが辛いんだ‥‥‥」という自分に酔っている感が気持ち悪いセリフを言うことが決まっていることを除けば、杏奈はストレスなく過ごせていた。


 台本通りにやっていれば、うるさい有象無象は納得してくれる。そう盲信することで、自分で考える必要が無くなったのが大きい。

 この、タイプではないが頭の良い男に任せていれば、全てが上手くいく。


 3週間目にキスをされたのは嫌だったが、それもリアリティを持たせるために必要なものなのだと受け入れた。

 初キスだったが特に感じることが無い己に引いてしまったけれど。


 味のしなくなったガムを噛んでいる時のように、倉科くんとのキスに意味を見出せなかった。

 友達の恋バナやラブコメ漫画で、あんなに尊いものとされている初キスにそんな感想しか抱けない自分は人間として大事なものが欠けているのだと自覚したのがこの頃だ。


(私は恋愛を楽しめない性質なんだな)


 無事、倉科くんと別れてからも、杏奈はそう自己分析していた。

 大橋桜と出会うまでは。

\



 綺麗な子がいるな。

 第1印象はそんなものだった。


 幼い頃からショートカット一筋の杏奈は、黒髪ロングの女の子に憧れていた。

 テレビで大人数の女性アイドルがパフォーマンスしていても、黒髪ロングの子を目で追ってしまう。綺麗な髪が動きに合わせてクルクルとする姿に、自然と見惚れてしまうのだ。


 大橋桜は、そんなアイドルにも引けを取らないほどのポテンシャルを持っていた。深層の令嬢という、小説でしか聞きない存在が現実にも現れたかと本気で思ったくらいだ。


 しかし、喋り出したら騒がしいので、良い意味で気安く接することができる。2人が友達になるのに時間はかからなかった。

 そんな桜に、いつから恋慕の想いを寄せていたのかと聞かれても、杏奈は即答できない。


「なんか‥‥‥いつの間にか」


 本人は自覚できていないようだが、1年の大半を桜と過ごすうちに可愛らしい一面や格好いい場面を見てきた数によって杏奈は恋という厄介な病に罹ってしまったのだろう。


 それは、体育の時間のバレーの時間に己のサーブのせいで鼻血を出していた時。

 または、演劇用の台本を書いている真剣な表情を見た時。


 そんな、小さなイベントが重なった結果、杏奈は恋をした。

 勝算が著しく低い、辛い恋をしてしまった。

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