第10話 倉科くんは完璧すぎる

 里中杏奈は大橋桜が好きだ。

 L IKEではなく、LOVEの意味で好きだ。


 桜を好きになるまで、女の子に恋愛感情を持つ可能性は考えたことがなかった。何故なら、杏奈は男子と一応付き合ったことがあるからである。


 杏奈は中学時代は男子にそれなりにモテた。

 モデルのようなプロポーションに、ショートカットのよく似合うスポーツ少女に想いを寄せる男子は少なからずいた。そして、当時の彼女が気づいていなかっただけで、静かに恋を自己完結させた女子も。


 さらに、女子バレー部の主将という肩書きまで持っていた杏奈は、いわゆるカーストランク上位というやつだった。

 それ故に、本人が恋愛に興味が無くても周りが放っておかないという、何ともありがた迷惑な状況に陥ることになる。


 その望まぬパートナーに選ばれたのは、男子バレー部主将の倉科くんだ。サラサラ髪に甘いマスクの彼も、結構な人気があった。さらに、セッターをポジションとしている彼は、周りがよく見える賢い少年だ。


「2ともお似合いだって! 絶対上手くいくから付き合っちゃいなよ!」

「里中さんと付き合えるなんて羨ましい奴め! このこの〜」


 周囲の浅ましいイジりは、1つ1つは大したことはなかったが、束になるとノイローゼ寸前になるほど鬱陶しいものだった。


「放っとけ!」


 何度、そう言いかけたことか分からないくらいに疲弊していたある日、倉科くんに体育館裏に呼び出された。


 杏奈は予想していなかった展開に焦っていた。何故ならば、倉科くんも、このイジメにも近い現象に辟易しているように見えたからだ。

 さらに、杏奈ことを好きではないと自信を持って言える点も意外性に拍車をかけた。


(ある程度の好意を持たれた経験があるから分かる。倉科くんは私に興味が無い)


 嫌われているわけではなく、興味が無いのだ。

 例えるならば、消しゴムについてどう思うかと問われたとする。回答者は9割9部「興味が無い」と答えるだろう。

 もちろん、消しゴムが嫌いなわけではないが、鉛筆で書いた文字を消せる道具以上の感情を持つことは難しい。

 そう。倉科くんにとっての杏奈とは消しゴムなのだ。


 そんな消しゴムと恋仲になれと言われているのだ。彼の心中はお察しする。


(何かの罠なんじゃ‥‥‥?)


 どんな罠だよと、現在の女子高生の杏奈は過去の自分を鼻で笑う。しかし、女子中学生の杏奈は本気で罠の警戒をしていた。


(この騒ぎの原因の私を、深い落とし穴に落として殺そうとしているのかな? ‥‥‥そうだ! そうに決まってる! クソが! 黙って殺されると思うなよ!? ジャンプ力なら私が上だ。そんな落とし穴、軽々と乗り越してやんよ!)


 馬鹿丸出しの思考だと思うことだろう。しかし、許してやってほしい。彼女はそれくらい追い詰められていたのだ。

 決闘に向かう覚悟をしながら、告白だ告白だと騒ぐ有象無象達を引き連れて体育館裏に向かう。


(見たところ、落とし穴特有の違和感は無い。でも、奴が落とし穴なプロである可能性も充分ある。気をつけていかないと)


 そろりそろりと、和泉元彌並の動きをしながら、ゆっくり近づく杏奈。倉科くんは、そんな滑稽な女を笑うことも、戸惑うこともなくただ静かに待っていた。

 たっぷり10分かけて目的地まで辿り着いた杏奈に、彼は言う。


(あれ? 着いた? 着いちゃった? 罠は?)


 勝手に混乱する杏奈は、目の前の同級生のセリフにより、さらに頭がこんがらがることになる。


「里中さん。呼び出しちゃってごめんね。アレらを黙らせるために、少しだけ付き合ってるフリをしようと思って」


 その表情は完璧な、いや、完璧すぎる笑顔だった。

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